朝から保育園で、クリスマス会の合唱の練習。
それから、大急ぎで、会場に駆けつけた。
森田ゆりさんの講演の途中から入る。100名くらいの参加者。
まだ、さわりの話だなぁ、と思いながらホッとしたのもつかの間、いつ本題に入るのかな、と思ううちに終わってしまいました。
あらら…。
前回、森田さんの話を聴いた時もそうだったけど、本の方が圧倒的に良いのは、何故だろう。
会場で知っている方々を見つけてお昼をご馳走になる。
おしゃべりがはずみ午後も遅れて入った。
けど、午後のシンポジウムも、いま一歩でした。
主催者に配慮して、12月5日に朝日新聞に掲載された4つの記事への見解を述べ合ったものでした。
1、赤ちゃんポスト母親の苦悩
2、キレる子ども 目を向ける大人をもっと
3、子の火遊び死、25年で785人
4、当事者に決めさせて 障害者権利条約 日本は批准まだ
以上の記事。
うち、2つは私もブログでコメント済みで、それ以上に目を輝かせたくなる何かは、ありませんでした。
(パネリストのみなさんごめんなさい。)
ランチをご馳走になりながらのお話がいちばん面白かったような…。
でも、森田ゆりさんが言っていた、これまでの30年をかけて男女共同参画が市民権を得たように、今から20年30年かけて、「子ども共同参画」が市民権を得られる社会にしましょう、というメッセージは、みなさんに伝えたいなぁと思いました。
期待値が高かったのでちょっぴり残念ですが、こういう経験をすると、自分たちの団体の企画の善し悪しや、自分が話す時に工夫できることってなんだろうと、考えられます。
暖かな日だったので、帰りは、最寄りの駅から、久しぶりにバスを使わずに歩いて帰りました。病気が判明して以来。
くっきりしてゆく星空を眺めながら、クリスマスの家庭の灯火を見つけながら。
歩ききれたことが、そして疲れ切らなかったことが、単純に嬉しく、自信になりました。
夕刊を広げつつお夕飯を食べていると、大人になりたくないという紙面相談。
私は、最近しみじみ思う。困難や責任や病気や、逃れがたい様々な出来事はあるけど、いま、生涯でいちばん、自分に正直に生きられているな、と。
子どもの時の方が、世界は窮屈で、周囲の顔色をうかがいながら、自分をおしころして生きていたな、と。
きっと、今日1日を通しての結論は、子どもも大人も、共に、いま、この瞬間をステキに生きたい同志なんだっていうこと。
それに尽きると、思いながら、今日行われていた、子どもHAPPY化計画の勉強会でみなさんと、そんな話を今日したかったなぁ、という、欲張りな名残惜しさ。