私は「イメージ」を持って生きてる人だそうです。
私は「居場所」にこだわりのある人だそうです。
そう言われてみれば、そう言われてみなくても、かな?
言葉が、ある形を成して心の中に浮かびます。
形を成せる言葉を話す人、書く人が好きです。
自分のことを伝えるときにも、自分の中から
適切な言葉が浮かんでくるのを待ちながら語るところがあります。
居場所にはこだわってないけれど、「今・ここ」承認願望は
強いかもしれません。
そこに、なんの立場で今、私は存在しているのか、
そこに、なんの立場も役目もないときに、たじろぎ、
そこに、明確な役割があると安心します。
それでいて、「ありのままのわたしで、今、ここにいる」
ことを良しとしてよ、と、願ったりして。
ありのまま、でいるのが、苦手だから、役割の有無にこだわり、
いまここ願望が強いのだろうな、と、思ったりしました。
午後の田中さんに、
「言いつけてやりたくてしかたが無かったこと」を
言ってみました。
「それは、あんまりですね、ひどいですね、おどしですよ、それは」
と、ちゃんと適切に、怒ってくれました。
適切に。適度に。ね。
言いつけてやりたいことは、言ってもいいこととは違います。
でも、どこかで、吐き出して、踏みつぶしてしまわないと、
根を深く張って恨みの「実」をいくらでも実らせる、
悪い悪い種でした。
言ってしまえて、ほんの少し、
すでに心の中を巣食おうとしていて、
でも「巣食わないで」、と、闘っていた
何かから、解放されました。