むむちゃんの散歩道

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「なかま」として、母娘として。むむちゃんの涙と救いの手。

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先日の就職面接の直後、駅のホームで、
地下鉄に乗る直前にむむちゃんから電話がかかってきた。

泣いていて何を言っているのか聴こえない。
地下鉄を何本か見送って、
泣き声が言葉になるのを待った。

お家のカギがキーホルダーにからまってしまって、
パニックになってしまったよう。

でも、お家の中には入ることができて、家から電話している。


「むむちゃん、ママは今から大急ぎで帰るから待っててね」
と言って、むむちゃんが電話を切ったのと同時に
目の前に入ってきた地下鉄に飛び乗った。


とにかく急げ、と、思いながら、
今週、むむちゃんにたくさんたくさんがんばってもらったことを
数えあげていた。
まだ、小学一年生のむむちゃん。
なかまとして支えるには、重すぎる私。
ごめんね、むむちゃん。ごめんね、むむちゃん。
疲れたね、一週間、疲れたね、ありがとう。


帰りついたら、むむちゃんはコートを着たまま眠っていた。

眠っているむむちゃんのほっぺをつついて、
抱き起こしてひざに抱っこして、
「ママ帰ってきたよ、大丈夫だよ、ほら、カギとれたよ。」

そうしたら、携帯に電話がかかってきた。附属高校から。
「満場一致で採用することになりました。
高校の卒業証明書を取り寄せてもらえますか?」と。


むむちゃん、ママの闘いは、一つは小休止できるよ。
「むむちゃん、うれしいことがあったよ。今日、いまお出かけしてた図書館でお仕事できることになったよ」

いっぱい心配かけて、いっぱい不安定な気持ちに
振り回される私。 
その私に振り回されるむむちゃん。振り回してごめんね。

むむちゃんが限界を迎えた時に、
救いの手はおりてきた。
そんな気持ちだった。


救いなどなければいい。と以前、書いたけど前言撤回。

私と共に生きなければならない、小さな命たちも含めて、
救いの手は必要でした。神さまありがとう。


もちつもたれるの「なかま」の私たち。
ぎりぎりのバランスの中で生きている私たち。

むむちゃんが週末はパパに甘えて過ごせていたらいいな。

私は、今日は頭の割れそうな頭痛と朝から闘って
効かない薬と自己暗示とで、なんとか夕方の4時になって、
起きられるくらいになりました。

頭痛だってなんだって、今日は迷惑をかけない、誰にも。
明日からまた一週間はじまる。
どうか、おだやかに過ごせるように。
by shiho_kato | 2011-02-06 18:49 | ありがとノート