むむちゃんの散歩道

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休むための休みかた。-それでも、イエスと言えるまでの時間-

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昨年の春からの休職期間、とても苦しかったなぁ、
とぼんやりと遠い過去のように思い起こしています。


職場やドクターの意図が正しく合わさった状態なのかどうかの
コントローラーを手に持たされたままのお休みは、
保障されたお休みであるはずなのに
気持ちはとても不安定でした。


だから、ぼろぼろになってる体と格闘しながら
自ら何かを見つけ出すことに励みたくなって、
とても苦しかったです。


いま、仕事ができる幸せを噛みしめています。


こんな風に感じていることは、
避難所で自らの身を持て余しながら、
「仕事がしたい。」
と、焦燥感を抱きながら過ごしている人と
どこかで相通じている。

「こんなときだから休みなよ」、という言葉だけでは休めない、
その思いと通じている。
苦しくても働きたい、という思いと通じている。


私は、うかうかと、「ゆっくりやすまれてくださいね」
と言ってしまいそうな人間だから、痛みを自ら感じたこと、
ほんとうに良かったです。


仕事が中断することがなければ
わかることのできなかった想いを体験できてよかったです。


お休みをどう休むかは、
休める環境をどう与えられるかということが
大きく左右することを体験できてよかったです。


重たさを感じつつ、一歩、二歩と歩み出すことが、
その重たさごと荷を取り去ってくれることがあるということ
体験できてよかったです。


そうして、少しずつ自らの内に積み重なっていく
心と体の体験として捉えなおすことで、
過去の出来事をすべて
「イエス」と言える私になっていける。



あ〜、でもノーと言えない日本人から改善すべく努力するのが
新たな私の目標でした・・・。



でも、言いたいな、それでもイエスと。



新しい職場、あそこが私の働く場所。
そう見上げられる場所があることの、ありがたさをしみじみと感じる。
by shiho_kato | 2011-04-10 09:21