先日、桜美林大学に出かけました。
「自己実現とキャリアデザイン」について、お話するため。
去年、ほかの女子大でお話した内容を聞いた先生から、
うちの講座でも、話してほしいというオファーをいただき。
何カ月もかけて、講座の主旨や先生の意図を聞かせていただきながら
準備しました。
準備しながらの先生との対話、たくさんの発見を導いてくださった。
「自己実現」という言葉は、とってもとっても、難解なテーマだなぁ、とつくづくと思います。
学生のときは、「自己実現」できることを望んでいました。
でも、いまあらためてふりかえってみると、「実現」できる「自己」は、
それほど容易につかめるものではないことに気づく。
そして、学生時代から10数年を経て、
目の前のことに、夢中で突き進んできて、
いまようやく、実現できた自己を、発見しているのです。
「キャリアデザイン」も、同じ。
目指すものがあって、道のりを描いてすすむのもよし。
目の前の衝動や、突然の出来事等々に突き動かされてすすむのもよし。
どちらともがまじりあっていて、当然。
そして、これも振り返ってみると、
計画的だったり、後づけだったりしながら、
それを導いているのは、かつての自分。
生きていることで、未来への要素をたくわえていっている。
それがいつ開花するか、いつ萌芽するか、わからないけれど、
花も芽も、種のもとに生まれる。
だから、恐れずに生きてほしい。
そんなメッセージを伝えさせてもらった。
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感想文を読ませてもらって、気がつきました。
光をふり仰いで、いま、立っているような気持ちでいた。
光の中で話したような気持ちでいた。
光の部分をたっぷり話したような気持ちでいた。
学生のみなさんは、ひとりひとり異なる言葉で、それぞれの言葉で、
メッセージのような、励ましのような感想を下さいました。
私が多くを乗り越えて、いま、光のもとに立っている、と。
多くを乗り越えてきたつもりはなかった。
来たりし道の延長に、今がある、
私の今は、これまでになく好きなこと楽しい気持ちに満ちている。
好きなことのために、苦しみを乗り越えた、と、自覚していなかった。
でも、その指摘は正しい。
そのとき、そのとき、とっても苦しんで、格闘して、戦いに疲れて、
ため息ばかり、命のたよりないともしびがいつ消えてもおかしくないような、
そんな時があったことも、そう、思い出せるもの。
感想文を読みながら、思う。
そうか、素直なメッセージは、もしかしたら、
明けない夜はない。
止まない雨はない。
雨のあとの光は美しく、
夜のあとの朝はまぶしい。
陳腐で、当たり前の、だけど生身のメッセージ。
私、苦難を乗り越えたんだ、がんばったんだ、よくやったね、えらいぞ、
と、ほめてもらったような気持ちになった。
つたない話、聞いてくださった学生のみなみなさまに感謝。
率直な感想を、聞かせてくださったことに感謝。
わが身を振り返り、学生のみなさんに話す機会をくださった先生に感謝。