背中合わせのむむちゃんに話しかける。
「むむちゃん、つつみあげって何?」
む「知らな~い。」
「保育園のオヤツで食べたでしょ。」
む「たべたのかなぁ?だって、オヤツたべるのに、名前聞いてからたべたりしないもん。」
「あ、そっか。そだね、言われてみれば」
む「 ママってば、そんなこと知らないの、おバカさんだねぇ」
「むむちゃんがかしこすぎるんだと思うんだけど」
*****
学校をお休みしたむむちゃんは、私の書道のお稽古に着いてきた。
先生には学校を休んだのは内緒だそうだ。
行く道の途中で、よりみち仲間のRちゃん(おとな)に会う。
「お~い、Rちゃ~ん!」
「あ、あれ、どうしたの?あ、そっか、しほさん今日お休みか」
「うん、これから書道なの」
「あ、そっか、そっか、じゃ、またね~」
となりにいたむむちゃんに、声をひそめて
「むむちゃん、学校どうしたの、とか聞かれなかったね」
む 「うん。ママの友だちが聞くわけないじゃん。」
はっと、する。
「そっか、そだね、うん、そうだ」
む 「ママ、あのさ、書道の先生に学校休んだこと、言ってもいいよ」
むむちゃんのぽつりぽつりとある気まぐれ休み。
動揺がまったくないと言えば、ウソになる。
理屈がたってもたたなくても、ちょっぴりのお休みを時おりとることは、
子どもにもおとなにも生き続けていくために必要。
仕事など、してしまうと、体や頭に休む必要を感じながら休めずに、
ごまかしながら、やり過ごしながら、すり減らしていくことがある。
(仕事するの大好きです。働くのも大好き)
すり減らしながらする仕事の出来不出来、
個人の効率が減ってるのは確か。
トータルでは、ただただ流れを止めないことが最優先になったりする。
スパッと休めるセンスは周りを巻き込まないために、
自らを追い込み過ぎないために、大事。
効率主義ではないけれどそれでも限られた時間の中での
パフォーマンスをあげることはきっと大事。
つくづくと休むことの大切さを思い、
だけれど、なかなかに実行できないわが身を思う。
むむちゃんが休むとき、むむちゃん自身にも、葛藤ゼロではない。
無風でも真空でもない。
今日、ほんの少しそれをかいま見た。
それでも休むと決められる。
むむちゃんはいさぎよい。
むむちゃんが教えてくれる。ひと休みの効用。
今のうちにたっぷりと体感してほしい、
理屈なく、休んで得られるちょっぴりの元気、ちょっぴりの息抜き、息継ぎ。
それが生き続けていくための、力になること。
休むことの下手な国だから。
休むことの下手な親だから。
せめても、安心して休める場所を。