むむちゃんの散歩道

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読書日記7/27・28 「かなしみ」と、「さみしさ」と。

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本を選ぶ。

高木慶子『悲しみの乗り越え方』角川oneテーマ21新書 2011.6.10
小池龍之介・宮崎哲弥『さみしさサヨナラ会議』角川書店 2011.6.30

悲しみに、さみしさに、どうやら最近、興味があるようです。

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高木慶子さんははじめて読む。
私がこれまで学んできた死に向かう人の支え方とは
また異なった、支え方をする人なんだ、と知る。
ちょっぴり危うい感じを個人的には感じる。あくまで個人的。

印象に残るフレーズがいくつか。

・・・人間がふだんの人間関係でわかり合えることなど、もともと本当に限られている。人間というのは、本当に本当に孤独なものだと思うのです。・・・本当に悲しんでる方に寄り添うときは、言葉でもなく、ただ、時間と場所をともにする。人間というのは、お互いが、そういう限界のある存在だからです。

・・・この多難な時代、孤独死も自死も、なくなることはありません。でも、減らすことはできる。そういうときに私たちに必要なのは、他人に対してもきちんと関心をもつことなのではないでしょうか。


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小池龍之介さんの本は、二冊目。
いちいちなるほど、と思うほどに強い言葉ではないのだけれど、
「説き明かす」という表現がぴったりくる。さすが僧侶。

・・・"人と一緒にいることで孤立感を紛らわせたい”という衝動を時に諦めざるを得ないなかで、最初はつらい気分でもその中にしばらく身を置いていると、徐々にこころが孤立感に適応していゆくプロセスが作動する、・・・実は、幸福感はこの"自立”のなかにある。それを心理的レベルで申せば、"孤立を受け入れる”ということ。

・・・"私たちは誰といても実は孤立している”という紛れもない事実を「これはこれで、ま、いっか」と受容してゆくのです。そして、そうしてニュートラルに受容された"孤立”こそが私たちに打たれ強さと凜とした力を与えてくれます。

さみしさを解読していく手がかりは恋愛にあるということで、
はじめから終わりまで、それに貫かれています。

本書は恋愛指南書として読まれると良いなぁ、
と、つくづくと思ったりします。
全然、指南してくれませんが。

救いがたく、恋愛も結婚も幻しであるということを
しつこくしつこく説かれているわけなのです。
甘いごまかしもまやかしもいっさいなく、だからこそ寂しくも真理。

真正面から、それを知ることのチクチクした痛みと、
それを知っていればドンと深く陥らないであろう混乱や葛藤と。

これを読んで「さみしさ」にサヨナラできるかというと、
むしろ、深まるわけですが、受け入れざるを得ないものとして納得もできたりします。

「さみしさ」、ひとりで引き受けるものなんだなぁ、とぼんやり思いながら、
それを緩和する方法として唯一、ポツンと心に残るのは
「相手に居場所をプレゼントする」という言葉。

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無縁社会と命名される社会の、
無縁の中には、
虐待にいたる親の孤立と孤独も含まれているし、
自殺を念慮する若者も含まれている。

物理的無縁、物質的無縁、それには社会保障とか、社会システムとか、
制度とか、うつべき手を具体的に掲げていくことができる(はず)。

しかしながら、そこはかとなく社会に蔓延する孤独感、孤立感は、
どうできるのか、いかんともしがたいものなのだろうか。
答えを得たく、本の中にさまよう夏です。
by shiho_kato | 2011-07-29 12:08