むむちゃんの散歩道

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いじめについて。 すまない、子どもたち。

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いじめられている子は、
耐える必要はありません。

泣いて、苦しい、こわい、さびしい、辛いって、叫んでほしい。
全然、みっともなくない。
そして、心配、させてください。おとなは子どもを心配したい。


いじめられている子が望むのは、
いじめっ子に制裁を加えることではなく、
いつまでも、おびえずに、日々を、その場所で、暮らし続けることができること。

出席停止をして登校しはじめたいじめていた子が、
おびやかす存在にならないために。

いじめの根とか、
いじめの芯とかを、
そのまんまにして、
引き離すだけでは、
怯えて過ごす気持ちは、ゼロにならない。

そして、わかるんです。
いじめの根や、芯が、まだ、そこにあるのかどうかということは。
わかってしまうのです。


子どもたちと私の関係です。
疲れがたまると、口調が荒くなる。
気になること、案じることがあると、攻撃的な気持ちが
ふつふつと湧いてくる。
荒さや、攻撃的な気持ちに、自覚的であり続けて、
あ、今、なんだか、私、間違ってる、って、
心を敏感にして、ブレーキをかけないと、うっかり、それは表にあらわれてしまう。

若さとは、
内側にあるものと表にあらわれるものとの
距離が近いものだ。

いじめる側にある、疲れ、気になること、案じること、
行き場のない気持ち、やり場のない気持ち、
少なくしていくのは、ひとりの力じゃ無理なことが
多いのかもしれない。
じゃなくて、多いんだ。

だって、子どもって、不自由なんだもの。
空間も、時間も、お金も、環境も、生きるためのリソースすべてが。


苛立ち方は、生きてて学習する。
うっぷんのはらし方は、見よう見まねで学習する。
人に上下をつけるようなものの見方だって、
赤ちゃんは知らない。真似て、学ぶんだ。

本能が持つ暴力的な衝動を、御する方法も学んでいく。
そこに学びの機会を用意できないのは、
不幸でも、不運でもなく、設計ミス。おとなのミス。
たとえば、前頭前野の「キレやすさ」を抑制する力がうまく働かないように
育ててしまう環境をつくっているのもおとなたち。


「その子の親」、じゃ、なく、おとな、たち。


そうして、学ばれているおとなたちである私たちは、
いつだって、子どもたちが起こす
いじめにも、自殺にも、暴力にも、殺人にも、その一端を少しずつ少しずつ、誰もが担っている。

だから、つらい。
ごめんね。
って、思う。

おとなになるって、しんどいや。

子どもたち、ごめん。
すまない。
ほんとに。
by shiho_kato | 2012-09-13 20:33 | 読書ノート