むむちゃんの散歩道

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柴田愛子さんのお話を聞く。子どもを、「ひとり」と「ひとり」と「ひとり」と・・・に見ることのできる

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今日は朝から、柴田愛子さんのお話を聞きに自転車でびゅんと坂をこえてエセナ大田へ。
寝坊したので寒さもなんのそので飛び出しました。

柴田愛子さんは絵本作家さんで、りんごの木幼稚園の園長さん。
http://www.lares.dti.ne.jp/~ringo/who'who.html
『ケンカのきもち』の絵本や、チャイルドラインの関係でりんごの木のことも以前から知っていた。
でもご本人に会ってお話を聴くのははじめてでした。

去年同じ講演会でお話しされて、聞いた友たちがとっても良かった、と言っていたので、
今年再公演、うれしい!

いやぁ、笑った笑った。思わず、お腹から笑ってしまう、ユーモアたっぷりのお話し。
たっぷり笑って力が抜けました。

日々子どもに接している人で、子どもを子どもとしてくくらないで、ひとりひとりを知りたいと思っている人は
どういうわけか、おんなじ匂いがする。
品川のおばちゃんちのみこちゃんを思い浮かべたり、
北海道の山崎みっちゃんを思い浮かべたりした。

子どもたちと過ごしていると、反射神経が鍛えられる。
そして頭の回路を通さずに、パッと出る感性で勝負する場面が増える。
そのパッと出る感性を、自ら信じられるものに磨き上げていった結果、
「おんなじ匂い」になっていくのだろう。

自分自身に正直で、ありのままをさらすことができる。
でも、同時にとても観察者で、観察することに徹することができて、
手を出さず口を出さずにこらえることもできる。

・「育てる」の正しいやり方は、時代によって変わっていき、正答は無い。
正答がない「育て」の中で、子どもひとりひとりの、今、育つ力を、今、見守りながら待つ。
・子どもは今を生きている
・子どもが「子どもの時間」をたっぷり生きられることで、しっかりと根をはることができる
・共感するおとながそばにいるだけでいい
・おとなが周囲のおとなの顔色を見ながら子どもに接していたら子どもは混乱する


そういうお話は、今まで誰からか何度も聞いてきたお話し。
今日のお話の面白さでもあり、私自身がとっても共感した点は二点。

一つは、動物としての本能を持つ子どもであるから、危険の察知能力は高いということ。
私は、動物としての生物としての人間のあり方を大事にしたほうがいいと願っているから。(実行が伴わないのが悲しいかな)

もう一つは、
おとなとしての私が、イヤダ、ダメだ、と思ったことは、
迫力をもって叱る、叱った理由が理解されるのは、ずっとずっと後でいい、というところ。

柴田さんにとっての
イヤダは、人を侮辱したり、貶めたりすること。
ダメだは、お金のことや車のこと。

それはひとそれぞれに違うだろう、とも言っていた。

「私がイヤダ、ダメだ」を伝えることは、私が大事にしていることを伝えることであり、
子どもがそれぞれに大事にしていることを持つ、持って良い、ということを教えることでもあるのだろう。
そういう言い方はされなかったけれど、そういうことなのだと思う。

そして、「「私がイヤダ、ダメだ」は伝えるんだ」と、他者の前で言いきることができるのは、
柴田さん自身が、侮辱、貶め、車の怖さ、お金のことへの、信念みたいなものを揺るがず持っているからだ。
その信念が薄っぺらで、ぐらぐらするものであったら、これは言えない、話せない。

そうやって、信念というのか芯というのか、それさえあれば、
他のことは、いかようにもなることで、許すことも、受け流すことも、見送ることも、身を置くことも可能になる。


今、イライラするくらい足りないのは、
自らの「芯」とか「信念」を確かに持つ大人の姿じゃなかろうか。
(まさに今この瞬間、イライラするのは、もっぱら選挙カーの空虚な演説のリフレインによるのだけれど)


柴田さんは、
17歳の時に、「子どもが「生まれてよかった〜」と思える仕事をしよう」、と決めたそうだ。
現実の日本は、子どもの自己肯定感は低く、自殺率も高く、おとなになりたくない子どもが増えている。
おとなひとりひとりが素敵な姿を子どもに見せることが、子どももひとりひとりが自己肯定感の高い、
夢を持てる子どもに育ってゆく方法だと思う。
と、しめくくった。

子どもをどう育てるか、以上に、私がどう生きるか、生きて見せるか、が大事なんだ。

それだけはよくも悪くも、ちょっぴり自信がある。
むむちゃんにもぷうちゃんにも、親としても、大人としても、欠陥だらけで、
これと信じたようにしか生きてない。というか、生きられずにいるからなぁ。


終わってから本にサインをしてくださるというので、
ミーハーに、自己紹介してサインをいただいた。

「子どもの声に耳をすまそう。心の扉が開いてくる」

どこに居ても、どこに行っても手渡されるメッセージはいつもおんなじだ。


私も、いつか、「おんなじ匂い」のおとなになれるだろうか。
今は、まだまだまだまだ迷いと惑いの真っただ中だけど。
by shiho_kato | 2012-12-09 20:10 | 学習ノート