むむちゃんの散歩道

mumugi.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

ぷうちゃんの春休み、むむちゃんママを見つける春休み、命をきく春休み


保育園には春休みがない。
私に春休みがなければ、ぷうちゃんにも春休みはないのです。

むむちゃんは、春休み三日目から、父方祖母宅に2泊、みんなで外泊1泊、母方祖父母宅に(というか従妹宅に)5泊。

むむちゃんのいない日々が、ぷうちゃんの春休みだった。

ぷうちゃんは「つぎにむむに会えるのは〜」とカウントダウン。

むむちゃんが出かけてからの夕飯。
ある晩、おずおずとぷうちゃんが
「ラーメンがたべたい」と。
私がラーメンをあまり好んで食べないので、わが家で作るのははじめて。
ぷうちゃんの春休み、むむちゃんママを見つける春休み、命をきく春休み_d0134102_1395711.jpg

ぷうちゃんの春休み、むむちゃんママを見つける春休み、命をきく春休み_d0134102_1395799.jpg


翌日
「チーズのスパゲティたべたい」
カルボナーラにしてみた。

翌々日
「納豆巻きたべたい」
ねぎとろとたまごと納豆巻きをつくる。

炭水化物ばかりの夕食の日々なのでした。


そして、ぷうちゃんは、日に日に後追いがはげしくなった。

トイレから出よう扉をあけるそこにはニコニコ顔のぷう。

お風呂から出て、いつもどおりバスタオルでふいて脱衣所を送り出したら
私が出るまで脱衣所の前でニコニコと待っていた。風邪ひくじゃん!

洗濯ものを干していると、絵本を胸に抱えて、背後にニコニコと立っている。

洗い物をしていると、「ママ、ママ、来て来て〜!」

お料理していると「ね、ママ、ここなんてかいてあるの?」

寝るときにはモンチッチ抱っこ。

待っていられるし、ニコニコしているのでいいのですが、
ぷうちゃんの赤ちゃん時代に経験していないなぁ、この後追いみたいなもの。
そうなんだなぁ、ぷうちゃんはむむちゃんの後をこうやって追っていたのかも。

わからない文字を教えてくれるのも、
一緒に面白いものを発見して面白さをわかちあうのも、
一緒に着替えるのも、
互いに違うことをしてても、一緒に空間を過ごしていたおねえちゃん。

これほど長い不在、これほど長く離れるのは、はじめてだ。

ぷうちゃんの春休み、むむちゃんママを見つける春休み、命をきく春休み_d0134102_1395791.jpg

むむちゃんに会える日、ぷうちゃんは朝から超ご機嫌だった。
夜まで通勤電車の中でもそのご機嫌は持続し、
夕方遅くにむむちゃんと再会したときには、
とろけんばかりにニコニコしていた。
夜には寝ながら声をたてて笑っていた。
どんな夢を見ていたのだろう。

母の役割をむむちゃんに依存していたのかしら、
と思ったりする。
でも、むむちゃんは、ほんとうに時々、
だけれど幾度も繰り返して、時々、
言う。
「ママ、ぷうちゃんが居て良かったよ。
一緒にだれか居るってだけで安心だし、
おんなじ血だし、気つかわないし」

それこそ後追い激しくママべったりで、
どうにもこうにも手に余る3歳までの日々は
ぷうちゃんを授かって180度一転した。

ママを手伝い、ぷうちゃんを迎える準備に余念なく。
ぷうちゃんが生まれると、お世話に余念なく。

あれほど手がかかり、気難しく、とにかくママがいなきゃダメだった
むむちゃんは、毒気が抜けたかのように、自立していった。
むむちゃんに必要だったのは、一緒に過ごす相棒で、
ぷうちゃんは完璧に、その相棒たりえたのだ。
(何しろ、健康)

ふっと、思う。
私はむむちゃんを育てるのはもんのすごく手がかかった、
それにひきかえ、ぷうちゃんはなんて育てやすいんだ、と思ってきたけれど、
ぷうちゃんも、むむちゃんが居なかったなら、おんなじくらいに
手がかかった子どもだったのかもしれない。

むむちゃんに感謝するとともに、
わずかな可能性の中に生まれたぷうちゃんと、
いろんな状況の中で、二人を生んで育てた過去の自分にも、感謝。

子どもの面白さ、たくましさ、やさしさ、きびしさ、
すなわち、人の面白さ、たくましさ、やさしさ、きびしさ。
それをつぶさに観察させてくれる存在がここに居る。
そして生まれきた命は尊いという思いが、心の底から湧いてくる。

その経験を日々、させてくれる子どもたち。
春です、命の息吹き、命の声がよりきこえやすい季節です。
ぷうちゃんの春休み、むむちゃんママを見つける春休み、命をきく春休み_d0134102_1395719.jpg

by shiho_kato | 2013-04-05 18:09 | むむちゃんとぷうちゃん