むむちゃんの散歩道

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カブトムシ四人との、出会いと別れ。

この夏、わが家に四匹のカブトムシがやってきた。
はじめてのお世話を要する生き物たち。

保育園のお友だちにもらった
つばめくん
はなちゃん

千葉でもらった
ねこちゃん

青森でつかまえた
すずちゃん。

はなちゃん、つばめくん、すずちゃんの順に、見送り、
いま、ねこちゃんひとりになった。

ぷうちゃんは彼らを一匹と言う時もあれば、
ひとりと言うときもある。
飼うとは、どんなことか、あらためて考えたりする。

最後に残ったねこちゃんは日中を土の中で過ごす。
深夜から明け方に、土から出てきて、
飛んだり、はい上ったり、木をかじったり、ゼリーを食べる。
ねこちゃんの生存確認は、深夜から明け方にしかできない。

が、ために、ねこちゃんがひとりになってからは寝るお部屋の
光が当たらないところが、ねこちゃんの定位置だ。
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夜中に羽ばたく音や、ガリガリする音が聞こえると、
あぁ、ねこちゃん生きてるな、
と、ホッとする。

つばめくんとはなちゃんがやってきた時には、
それらの音がお隣の部屋から夜中に聞こえるのを
ぶぅぶぅ言っていたむむちゃんも、
3びきを見送って、
あと一匹の命、枕元で聞こえるとホッとすると言う。


はなちゃんとすずちゃんは、
ぷうちゃんがいないときに逝った。

むむちゃんと私で、さよならをした。
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ぷうちゃんがさよならの場面に立ち会ったのは、
つばめくんだけだ。

ねこちゃんの命も、あと少し。

ぷうちゃんにとって、むむちゃんにとって、はじめての
家族以外の、お家の中にやってきて世話を要する命たち。

ひとりと呼ぶぷうちゃんにとっての出会いと別れ、
ぷうちゃんの表情からうかがうことは出来ずにいる。

むむちゃんは、3匹めのすずちゃんには、さいごはじめて触れてそっと撫でた。

これもこの夏の、出来事。

*********
飼うことについて、少し。

かつて飼い犬とわが子の名を混同されてしきりに腹を立てていた。

子どもの代わりにペットを飼うという選択をする、という話にも、
代わりになるはずがなかろうが、という気持ちになる。
家族の一員であり、喪った人たちは「ペットモーニング」に陥り、「ペットロス」をケアする業種も生まれている。

それらへの私の異和はどこに由来するのだろう。
考えていて、この夏の津軽三味線の話に、答を見つけた。
三味線の皮は主に犬を使うそうだ。
猫も時に使われる。

人間の皮は使われない。

私は自然との共生は大事にしたいと常々思っているけど、
三味線に犬猫の皮を用いることに欠片も反対する気は起きない。
蚊もゴキブリもブヨもアブも蛾も忌むもの。

私は人という種であり、
人という種は、自らの文化に犬猫を利用する種なんだ。

ペットとして家族に迎えた犬も、猫も、カブトムシも、
存在の意味合いの点で一線を画している。

一線を画していることを承知しながら、尊い命として愛情を注ぐのは良い。
学ぶ対象であって良い。

ただし、一線は越えられない。
同じ命、で、ありながら、異なる在り方で、
存在している命がある。

被災し、ペットという家族を喪った傷みを伴う只中にある人には
突きつけてられない。

それでも、わが子たちにはいつかそう話せる私でありたい。
by shiho_kato | 2013-08-31 06:47 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)