一昨年に読んだ三浦しをんの『神去りなぁなぁ日常』
三浦しをんの題材、素材を見つける着眼点、いいなぁ、と感心した作品。
映画化された。
「ウッジョブ!」
監督も『スウィングガールズ』や、『ウォーターボーイズ』の矢口史靖となれば、
小説をなぞれるか否かは別にして、面白いこと間違いなし。
ということで、観に行った。
面白い映画だった。
林業に携わるとき、
杣人たちは100年先の未来のために仕事をし、
100年前の過去の人たちの仕事を受け取り仕事をする。
地味で地道で、時にアクロバティック。
自然の大気に抱かれ、木々に抱かれながら進む時間は早くない。
早くなくて、それでいて、長い。
100年ひと単位。
自分たちが植えた苗木の成果、評価を聞くどころか、切り口さえも見ることはない。
見えない過去、見えない未来を、当たり前に身近なものとしながら、
木々の幹に手を添える。
理屈ではなく飛び越えられる時間がそこにはある。
なんて豊かなことだろう。
今の都市にひしめく仕事は、今日明日の成果を急がなくてはならないものがドンドンと増えていく。
今の仕事そのものが一年後に存在するかもわからない。
今の小学生の6割は、現在無い職業に就くだろうと、予測する人も居る。
どちらがどう、ということではないけれど、
100年間守り続けてゆく、その時間にどのくらいの間、「私」は携われるだろう、
と思いながら、日々を過ごす。
未来ではなく、100年後ですら今、真っ直ぐに考えることができる杣人の時間軸。
司書もどこか似ている。
司書というか、図書館。
林立する書架の中には、100年どころか1000年を越えて、
伝えられてきた物語たちが居る。
1000年を越えてなお色薄れない物語、教え、書物がある。
それらが脈々と人智を支え続けてきた。
これからも、この先も、人々の手に取られることを、静かに願う。
どれだけ社会が変異し、動こうとも、それらの人の生を知恵を、
底支えする価値が埋もれてしまわないように、と願いながら、埃を払う。