ぷうちゃんが宿題で漢字のノートを前に、ぽろぽろ涙をこぼしている。
どうしたの?
(わが家の子どもたちはなぜに、こうして静かに涙するのか・・・)
「ちがうって言われた…」
漢字の「三」を使った単語と文章を作る宿題。
単語を三つつくるところまではやってきたそうだ。
「三ぽ」に「三じ」に「三ご」
ひとつめの「三ぽ」を先生にも、隣の席のおせっかいな口やかましい友だち(だということがこの数日で判明)にも、ちがうと言われたそうだ。
どこが違うんだ・・・?あ、そうね「散歩」違いか。。。
って、違わないじゃん、思い至らぬ先生と友だちのボキャブラリーが貧困。
と、カッとしそうになるところを抑えて、
ゆっくりお話タイム。
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-ママは間違いじゃないと思うよ。
ぷうちゃんはさ、「だるまさんが転んだ」するとき鬼になったら、最後捕まえるときなんて言う?
「ストップ」
-うんその次は?タッチするまで数えるよね。
「うん、、、」
-大股5歩、小股10歩って言われたら?
「いっぽ、に~ほ、さんぽ、よんぽ、ごほ」
-(ん?よんぽは違うな・・・は置いといて)ね、さんぽって言うでしょ。
指を一本、二本・・・、と立てていきながら、一緒に数えた。
-三つ歩くのは「三ぽ」だね。あってるよ。
「うん!」
文章は三の漢字からはじまる文章を作らなくてはならないそうで、
「三ぽ、4ほ、5ほあるいた。」と書いた。
みっつめの「三ご」は、「三語」とか「三五(十五)」とかすればあっているけれど、
彼のボキャブラリーにはないので、違うのを考えて、「三こ」に落ち着いた。
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宿題を終えて安心したのか、別の涙。
なんでもかんでも、ダメ、違う、間違い、とダメだしばかりする隣の席の女の子に打ちのめされているらしい。
先生はずるいそうだ。自分より大きい人の前では静かなのに、そうでないときは怖いと。
「ママ、先生に席替えしてって言って」
・・・うむ・・・親が出張る場面なのかどうか、少し考える。
「お話しに行く時間がないのね、ぷうちゃん。だから連絡帳に書いてあげる。
丁寧に丁寧にちゃんと伝わるように書くから大丈夫よ」
席替えしてくださいとは書かなかった。
ダメだしされ続けの状況にダメージを受けていることと、
家庭でもフォローしますが、先生も気に留めておいてください、と。
学校に行きたくなれない理由をひとつひとつ解きほぐしていくための時間。
親にできるわずかなことが手元に転がってきた時には、
アンテナをめぐらせながら、全力で。
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翌朝は、三人とも、「学校行きたくな~い」とぶうぶう言いながらの金曜の朝。
学校まで送っていく道すがら、トトロのさんぽを歌いながら手をつないで歩いた。
「だからさ、そやって(何がちがうか)言ってくれたらいいんだけどさ~」
小さな声でつぶやいた。
そうよね、三歩じゃ散歩にならないことくらい、すぐに気づく。
先生に宣戦布告!など、必要ないけれど、
「違うよ」ではなく、「あってる」で、新たな発見に出会えるように
私は子どもを育てます。
先生がひとりひとりに付き合いきれないことなど重々承知しているもの。
人によるのだろうけれど、発想の貧困、柔軟性の不足もね。
今回の件、「先生間違ってますよ」って頭ごなしに言ったら、何か改善しただろうか。
しません、ぜったいに。
「三歩も知らないんですか?」って詰め寄ったって何も改善しない。
だから、いいんです。これで。
せめて、安易に「間違ってます」と言わない先生でさえ居てくれれば。
ぷうちゃんが、どんな単語をつくってきたって、「あってる」を探し当ててみせる。
だって、彼の中にあるたくさんの言葉は、何もないところから生まれたのではなくて、
毎日の遊びや、会話や、読書や、読み聞かせや、日々を生きている中で養われている
言葉のストックから生まれてくるものなんですもの。
小さくファイティングポーズをとっちゃう私。
ひそやかな闘志がね、メラっと。
敵の姿は見えないながら。