ちょっと、心、お疲れ中。
隙だらけ。
体も頭も疲れているからナマケモノで居よう、と決めて、
「さ、寝ようか」の時間まで、立ち上がらないで過ごす夜。
寝るための支度に立ち上がると・・・。
お夕飯の洗い物の山があり、
これから洗う洗濯物の山があり、
明日の朝のパンがなく、
明日のお弁当のご飯がなく。
えいや~っ(涙目)と気合を入れ直して
洗い物を片付け、
パンをセットし、
ご飯をセットし、
洗濯機の予約をセットし。
あ~、もうっっと投げ出したくなる気持ちと出会いそうになるのを
ゆっくり迂回して、こらえて、ひとつひとつを済ませていく。
洗い物をしながら、
パンの無いことに気づいて良かった、とため息。
つづけて、頭の中で確認。
牛乳とヨーグルトと卵とチーズはある。
ハムがない。
ハム無いな、ウィンナーではダメかな。
帰り際のお買い物、気を抜いちゃうとこれだもん。
あれこれ回らなくなる。
ダメダメだなぁ。
翌朝の、
牛乳を、ヨーグルトを、パンを、
パンを作るための小麦粉を、
お弁当に入れるための卵を、
子どもたちより先に食べ終えた夕飯の時間のうち買ってくる。
気づかずお風呂に入ってしまったら、
翌朝、子どもたちが寝ているうちに買ってくる。
まかなうのは、いつも自身の力。
大人ひとりで、子どもたちとの日々の生活を営み続けるというのは、
そういうことなんだ。
弱っている心の隙にするりとよみがえってくる、記憶の中の会話。
翌朝の牛乳を買いに出た夕飯後のお買い物、ばったり出くわした友人と。
「よめさんから、ラインで米買ってこいって。重いよ、マジで」
そうだね、重いね。がんばれ~。
この世界の随分と近いところに、
「ごめん、牛乳買ってきて、パン買ってきて、米買ってきて」と、
いまひとりのおとなに託せる家庭がある。
このまま寝ては翌朝が悲惨、と涙目で洗い物と格闘せずに済む家庭もある。
「大人ふたりならもっと楽」の、多くは幻想。
幻想であることを知ったからこそ、虚しい大人ふたりではなく、
リアルにひとりであることを選び、
ひとりの苦労を背負う方が、ずっとマシ、と決めて、今に至っているのに。
眠って全部忘れよう。
走って全部忘れよう。
忘れぬまでも、よくがんばってるよ私、エライよ私。
たくさん、自分を褒めてあげよう。