むむちゃんの散歩道

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辻邦生『春の戴冠』

辻邦生の『春の戴冠

ボッティチェリ展に行った帰りに図書館で予約。
文庫が無かったので単行本で。

分厚い一冊が届きました。5cm越え?
しかも中は二段組。
辻邦生『春の戴冠』_d0134102_22164376.jpeg
しばし臆する。
開いてみて、カタカタ名の列挙。
あーこれは、読んだことないはずだ。
海外作品のハードルの第一に「カタカナの名前が覚えられない」がある。
それがたとえ好きな作家の作品であっても。


それでも、寒さと雨予報・雪予報に降り込められた先週末。
えいやっと読み始めると、
物語に吸い込まれるように先へ先へと読み促される。


平日は通勤読書に一日だけ持って出たものの、
この厚さと重みは立って読むのは困難でした。


フィレンツェのボッティチェリの親友でプラトン哲学とギリシャ文学・語学を学ぶ「私」を語り手に配す。
展覧会で知ったフィレンツェにおけるメディチ家の人々や
そのもとで活躍したり衰退したりした人たちやボッティチェリのことが、
知識じゃなくて生々しい友人の人生として私の中に満ちてくる。
ようやく半分。
この先、どんなふうに時代が流れ、彼らは生きてゆくのだろう。

読んでも読んでも読み終わらぬことを喜べる一冊だ。
この週末の読書タイムが楽しみ。


・・・・・・・・・・・

久々に厚みのある重みのある(物理的にも内容的にも?)本を手に取りながら、
読者と作家の信頼関係について思い致している。

これを書いたのが辻邦生でなかったならば、
私は読むことはなかったのではないか。

厚さと重みに加え、私の苦手なカタカナの名前たち(それで世界史を選択から外した)の羅列に、
はじめの一章は前へ後ろへ頁を繰り直し、幾度も人物を確認した。

そこを乗り越えられるかどうか、微妙なラインだ。

すいすいすいと読んでいくことが好きだから、
つっかつっかえ読む読書は放棄しがち。

先に進むことができた原動力は、
すでに持っていた、私から彼の書く作品群への信頼。

そこに、美術史家であり母校の教授でもあった愛嬌ある辻佐保子さんへの信頼がプラス。
パートナーである辻邦生のこの作品に、
辻佐保子さんが資料を提供したりしていたに違いないと想像するだけで
読む楽しさは倍増だ。


作品だけを単独で楽しめる場合ももちろん無いわけではないのだけれど、
それを生み出す作家ともども合わせ見ることが多い。



その点で、
先日芥川賞直木賞が発表されたけれど、
最近の受賞作家さんたちにはもちょっと信頼に足る人であってほしいな、と思うことがままある。
その人となりを見て、この人の作品を読むのは止めておこうと思うことも多い。
(実際、努力して読んでみて徒労に終わることが多く続いたため)
そんな口うるささを自分の中に発見し、それでもいいやと開き直れるほどに年をとって良かったと思う。

by shiho_kato | 2016-01-29 09:00 | 読書ノート