むむちゃんの散歩道

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辻邦生『春の戴冠』

辻邦生の『春の戴冠

ボッティチェリ展に行った帰りに図書館で予約。
文庫が無かったので単行本で。

分厚い一冊が届きました。5cm越え?
しかも中は二段組。
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しばし臆する。
開いてみて、カタカタ名の列挙。
あーこれは、読んだことないはずだ。
海外作品のハードルの第一に「カタカナの名前が覚えられない」がある。
それがたとえ好きな作家の作品であっても。


それでも、寒さと雨予報・雪予報に降り込められた先週末。
えいやっと読み始めると、
物語に吸い込まれるように先へ先へと読み促される。


平日は通勤読書に一日だけ持って出たものの、
この厚さと重みは立って読むのは困難でした。


フィレンツェのボッティチェリの親友でプラトン哲学とギリシャ文学・語学を学ぶ「私」を語り手に配す。
展覧会で知ったフィレンツェにおけるメディチ家の人々や
そのもとで活躍したり衰退したりした人たちやボッティチェリのことが、
知識じゃなくて生々しい友人の人生として私の中に満ちてくる。
ようやく半分。
この先、どんなふうに時代が流れ、彼らは生きてゆくのだろう。

読んでも読んでも読み終わらぬことを喜べる一冊だ。
この週末の読書タイムが楽しみ。


・・・・・・・・・・・

久々に厚みのある重みのある(物理的にも内容的にも?)本を手に取りながら、
読者と作家の信頼関係について思い致している。

これを書いたのが辻邦生でなかったならば、
私は読むことはなかったのではないか。

厚さと重みに加え、私の苦手なカタカナの名前たち(それで世界史を選択から外した)の羅列に、
はじめの一章は前へ後ろへ頁を繰り直し、幾度も人物を確認した。

そこを乗り越えられるかどうか、微妙なラインだ。

すいすいすいと読んでいくことが好きだから、
つっかつっかえ読む読書は放棄しがち。

先に進むことができた原動力は、
すでに持っていた、私から彼の書く作品群への信頼。

そこに、美術史家であり母校の教授でもあった愛嬌ある辻佐保子さんへの信頼がプラス。
パートナーである辻邦生のこの作品に、
辻佐保子さんが資料を提供したりしていたに違いないと想像するだけで
読む楽しさは倍増だ。


作品だけを単独で楽しめる場合ももちろん無いわけではないのだけれど、
それを生み出す作家ともども合わせ見ることが多い。



その点で、
先日芥川賞直木賞が発表されたけれど、
最近の受賞作家さんたちにはもちょっと信頼に足る人であってほしいな、と思うことがままある。
その人となりを見て、この人の作品を読むのは止めておこうと思うことも多い。
(実際、努力して読んでみて徒労に終わることが多く続いたため)
そんな口うるささを自分の中に発見し、それでもいいやと開き直れるほどに年をとって良かったと思う。

by shiho_kato | 2016-01-29 09:00 | 読書ノート | Comments(2)
Commented by osanaito at 2016-03-04 22:19
 大学生の頃、「回廊にて」で辻邦生を知りました。そして間もなく、彼の父祖の地が、私の郷里にも近い旧春日居町であることを知り、なるほどと首肯しました。それというのも、理知的で柔和な彼の額や目は、実はこの地方の風貌の一典型で、高校時代に国語を教えていただいた恩師のそれとあまりにもよく似ていたからでした。以来、新しい作品が出版されると必ず本屋へ足を運ぶようになりました。
 さて、先年、フィレンツェを再訪しようと思い立ち、それならばと、書架の奥から黄ばんだ辻邦生の「春の戴冠」を取り出して再読しました。ボッティチェリがシニョーリア広場脇の横丁から飛び出してくるような生き生きとした描写が、フィレンツェやメディチ家の栄光と衰退の物語を改めて思い起こさせてくれました。
 数日後、残影の「プリマヴェーラ」とともにウフィッツィ美術館を出ると、アルノ川は、早春の光を川面に燦めかせてゆったりと流れていました。そこから、ボッティチェリの暮らしたオグニッサンティ教会界隈までは20分ほどです。建物の陰や石畳の上に、フィレンツェの春の盛りを謳歌した人々やボッティチェリの姿が重なるような気がしました。
 それから数か月後、子供の頃よく遊んだ郷里の路地を歩きました。かつてと変わらない道端のさもない石や土蔵の漆喰の剥がれ跡などを目にすると、記憶の底に沈んでいた様々な情景が次々と浮かび上がってきました。路地に向かって開け放たれた縁側には、すでに亡くなられたお婆さんが、日向ぼっこをしながら繕い物をしていました。石崖の間から美しい光沢をまとってトカゲが姿をあらわしました。
 フィレンツェにしろ、この路地にしろ、佇まいの中に時間の流れや暮らしていた人々の息づかいが感じられる街は、一人の人間が空間や時間を超えてあらゆる世界と連続性をもって繋がっているという豊かな感覚をもたらしてくれるものなのですね。
Commented by 藤田伊織 at 2017-07-31 13:16 x
私も若いころ辻邦生先生の小説に魅了されました。すでに、辻先生の「嵯峨野明月記」は英訳が済んでいますが、これもどうなるかわかりません。「嵯峨野明月記」では、俵屋宗達や本阿弥光悦や角倉素庵とその父了以を知り、「風神雷神図屏風」や茶碗「不二山」や保津川開削に興味を持ちました。それで、「春の戴冠」のフィレンツェにも行って、「ヴィーナスの誕生」や「春」を見て、ドウオモのてっぺんにも登りました。シニューリア広場に面するレストランで美味しいパスタもいただきました。それから数十年、今では「春の戴冠」の英訳を進めています。公表できるか、まして出版できるかどうかは、全くわかりませんが、ただ読み直すより、もっと濃密な時間を過ごしています。その英訳の途中で、辻先生がサンドロの生涯について参考にしたかも知れない英国のジュリア・カートライト著「サンドロ・ボッティチェリの生涯と芸術」を見つけました。見つけたというのは、私の知る限り、全く日本では紹介されていないからです。そこで、これを邦訳して公開しました。著者が90年前に亡くなっているので、邦訳・公開は自由だからです。
http://www.geocities.jp/imyfujita/sandro-botticelli-life-art/botticelli_life_and_art.html
是非ごらんください。