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原田マハ『太陽の棘』  沖縄とアメリカと今を生きる私たちと

原田マハは一通り読みあさった気がしていたけれど、あれ?これは読んでないかな、と思い手にとった。
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終戦直後1948年から1950年の沖縄を舞台にした小説。
軍医として沖縄アメリカ軍基地に派遣された若い精神科医エドを語り手に据える。

彼にはサンフランシスコ在住の精神科医、スタンレー・スタインバーグ博士という実在のモデルが居た。
彼と、終戦直後に沖縄に作られたニシムイ美術村のアーティストとが、芸術を媒介として友として生きた2年にも満たない時間の物語。

沖縄県立博物館・美術館に、スタインバーグ博士のニシムイ・コレクションが提供された展覧会を見て、この小説の着想を得たそうだ。



戦後の沖縄における基地のことを、現在に連なる歴史と言うにはいまだ生々しい現実だ。
数ヶ月前の若い女性が殺された事件がまさに。

米軍よ出て行け、沖縄から出て行け。それは痛切な願いである。
私は、性格として、性質として、拳をふりあげてシュプレヒコールを叫ぶ形で、
その願いを表現するのは身に沿わないと自認している。


語り手である精神科医エドの同僚は、沖縄の風土も文化も好きになりこの先の人生を沖縄で過ごすことすら夢見ながら、否応なしに本国アメリカに送り返される。
彼は言う。
「どのみち、おれら全員、いつかは帰ることになるんだろう。そうならなくちゃいけないだろ。おれらのためにも・・・沖縄のためにも」


エドのニシムイ美術村の友人が米兵に言われない暴力を受け、失明する。
民間人への暴力は軍の規則違反であることを負って治療にあたったエドの上司である医師は言う。
「生き延びてほしい。この島が、真に解放される日まで。」


これらが原田マハの創作であるのか、モデルである精神科医が友人や上司の言葉として原田マハに伝えたものなのかはわからない。

けれど、こんな風な言葉を抱きながら沖縄に在留する兵士・軍医たちが居たとということを、
私は、この小説を読むまで、ひとかけらとして想像し得なかった。

彼らとならば、大きな声をあげずに、静かに話し合えるだろうと思う。
そして、1972年、沖縄はアメリカから日本に返還された。
(日本に、ではなく、沖縄は沖縄に、返されるべきだったのかもしれないけれど。)

現在駐留する米軍の中にもきっと、このような形で留まることを否と考える人がきっといる。
そう考える人が増えていくような方法はないだろうか。

そんなことをにわかに考えたくなるような小説だった。


原田マハは、いまこの時代を生きている私たちと地続きの日本のどこかだったり、世界のどこかだったりで、昨日、今日、明日、起こる出来事に想いを寄せずにおれなくなる小説をたびたび書く。
『暗幕のゲルニカ』などまさに。

静かだけれど、熱く揺さぶる。
小説だからこそ、揺さぶられる。

巧い。

私など、イチコロだ。簡単に引き寄せられて、のせられて、知りたい、と強く思う。

口数多い移り気なメディアよりも、おえらい人たちの大声でがなりたてる虚飾に満ちた言葉よりも、ひとりひとりを揺さぶり、社会を変える力がある。

あとは、私たちの読む力だ。



※参考までに参考文献
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by shiho_kato | 2016-07-27 19:02 | 読書ノート | Comments(0)