むむちゃんの散歩道

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映画「聲の形」with むむちゃん・ぷうちゃん

むむちゃんとぷうちゃんと映画「聲の形」を観に行った。
三人ともコミック読了済みで、楽しみにしていた。
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「聲の形」のコミックを読んでの作品評価、難しかった。

健常者と障害を有する人の関係性の難しさと、「同じだよね」って言える感覚。

集団にうまく乗り切れずにはみ出てしまったり、調子に乗りすぎてしまったり。
客観的に自分を知っていくプロセスには、過剰な自意識とか、過剰な自己否定とか、葛藤とか、息苦しさとかを伴う。
そのもどかしさは思春期作品の定番と言えば定番だけれど、そこを描こうという意欲を感じる。

健常である友と、障害を有する友と、その部分では同じように悩み、苦しみ、もがいてもがいて、浮上するきっかけを得ていくところを自然にフラットに描けているのがとても良いと思った。

一方で、いじめと、自殺との設定が、少し強引にすぎて、盛り過ぎ感があるというか・・・。

「いじめ」に至る流れとかはそうなんだよね、その流れでいっちゃうことがあるよね、そのどこでストップをかけられるかが勝負だよね、とか思いながら読めたけれど、「自殺」に関しては、唐突に過ぎる。「この世から自分の身を消してしまいたい」の気持ちだけでは身を投げない。
もうすこし現実の重たい重りが負荷されて、そこに到る。

「聲の形」で描く聴覚の障害は、それを有していてもフラットであれるところにスポットをあてているので、重たい重りに成りえない。

等々、設定にはなんだか飛躍があるのだけれど、フツーに恋をしたり、友だちに過剰に気を使ってしまったり、自分を押し殺し過ぎてしまったりしながら、友情を知り先に進む力を得ていくお話を、「障害の有無に関わらず」と言いたくなる形でまとめられたところに、作品としての稀有な価値があるのだと思う。



映画では、登場人物やその振る舞いに、イチイチ腹を立てたりムカついたりイラっとしたりしながら、
私もこうだったんだろうなー、過去のチクチクする部分をアイタタたと痛めながら見た。

ぷうちゃんやむむちゃんは、いじめっぷりに腹を立てたり、意地悪な物言いに腹を立てたり、健やかなる感想。
表向きの感想では、「まだ」その時期は到来していない様子(ぷうちゃんはもちろん)。
むむちゃんの胸の内はいかほどかわからない。
ぼちぼち聞いてみたいな。

映画を観た後にも、聴覚の障害をクローズアップしない感想に終始するのは、とても上手に聴覚障害をくるみこんでいたからではないかな、と思う。
手話や口話や筆談を描きながら、ありていな障害者に対する人権啓発映画では無い。(かわいそうとか、助けてあげなきゃとか)
それだけでも、観て良かったなと思う。




by shiho_kato | 2016-10-01 20:57 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)