むむちゃんの散歩道

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中村安希『N女の研究』

NPOで働く女性をN女と言うそうだ。

かれこれ、20年近く前の私はN女のハシリだったわけだ。
N女を止めて7年。

NPOという法人格(と言うのか法人体と言うのか)も、
そのNPOで働くことも、
働いていたNPOの取り組むチャイルドラインという事業も、
どれもこれも黎明期だった。
何をどうするか、は、すべてこちらも手探り、あちら(たとえば法人を認証する側だったり、非営利事業に対する税務の取り扱いだったり、事業に後援をつける省庁だったり、また社会だったり・・・)も手探り、まだらな対応に振り回されたり、振り回したりしていたなぁ、と思い出される。

その黎明期のごたごたの最中で、社会についての基礎的な知識もスキルも経験も無い(たとえば社会保険に関すること、たとえば税務に関すること、たとえば企業やらどこやらへの電話のかけ方等々)状態で、毎日の仕事を成り立たせるために、「死ぬほど」という形容が過言では無いほど勉強しながら駈けずり回る日々だった。

今、振り返って、今だったら、もちょっと何とかなっていたなぁ、と、思う。
今だったら、あんなに大変な思いをせずにいられたこともあるなぁ、と、思う。

よくぞ乗り切ったな(いや、乗り切ってないのか?)の気持ちと、
だからダメでも仕方なかったんじゃないか?の気持ちと、
両方が入り混ざる形で、混沌として残っている。

で、だから、あまりくどくどと思い出さずに居よう、という位置に置き去りにして、もちょっと枯れてくれるのを待っているところだ。


前置きが長いが、そんな中でこんな本は、手にとらなくってもいいや、と思ったのだけれど、
イハラちゃんが読んで、もやっとしているようだったので、
どんなところに、どんなふうにもやっとしているのか、
私がリアルもやっとをNPOに対して持っているのと、
この本の中のもやっとは似ているのかまったく異なるところにあるのか、
知りたい気持ちが勝って、読んでみた。
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感想は?
作者が言葉をどのように工夫して試みたところで、
「バイタリティのある、自ら立つことのできるタレントを持ち合わせた、ごく一部の「特別な」女性」
で、あることに、変わりはないように思えたのが率直なところ。

作者は、おそらく黎明期、私がNPOで働いていた時代のN女と、今のN女とでは、こんなに違ってきている、と言いたのだろう。

実際にそのN女のハシリだった者として、同じようにNPOで仕事として(給与をもらいボランティアでは無い)働いていた人(男女問わず)をインタビューした経験と照らして、描かれた彼女たちの像はあまり変わっていないように思う。

変わっていないと思うのはここ。
・自らの給与は自らで稼ぐ。
・キレイゴトで成り立たないことを知っている。N女は基本的に辛口で毒を有する。「なんだよおかしいじゃねぇか、てやんでぇ」魂みたいなものを持っている。
・極貧生活への覚悟を背負うか、一人で二足ではなくパートナーと二人で三足くらいで生きることを受け入れようという思いと、それはダメじゃないか?の危機感をうっすらと背負っている。


もし、かつての今の異なりをなんとかかんとかひねり出すとしたら、NPOであるか無いかへの肩肘の張り方が、以前より今の方が幾分ゆるいかもしれない。
私たちの時代は、NPOここにあり!みたいなものを示さねば、NPOっていうものを認知してもらわねば、というプレッシャーを同時に背負っていたから。

ミッション実現のために、NPOであっても他の方法であってもいい、っていうのは個々人はみなそう思っていたので、変化ではなく、上記のプレッシャーが薄まった故に、自由に?明確になっただけだ。


残念なのは筆者のまとめ。
女の敵は女。
ステレオタイプにまとめ過ぎ。力尽きちゃったのかな。
インタビューしたタイプの女子たちは女同士でつるまないから、敵となる「女」と敵対するほど近く寄ったりしない。
私はかつてあんなにがんばったんだから、みたいなガンバリージョ(女)は、しゅう縁には居ても中核では生き残れない。


そのほか、読んでよくわかったのは、あの当時から言われていた、アメリカでは他の就職先とNPOとは同等の就活対象だ、というレベルにはまだ程遠いということ。





**********

久々に、NPOと私、みたいなテーマでちょいちょいと我が身を振り返ってみて、
もし、今のまんまの私で、
「NPOで働くか」「そうでないところで働くか」の二者択一を迫られたら、
即答で「そうでない」方を選ぶ。
自身の給与は自身で稼げっていう働き方は私には合わない。



生まれたからには、生きているからには、私の資源を、世に還元しなくては。

この気持ちは以前と変わらずにあるけれど、
還元する方法は多々あって、身を削って還元する「鶴の恩返し」方式はうまくない。
身を豊かにしていく還元の仕方っていうのがある。
それは、必ずしも「職業」とか「生業」と直結していない。
もちろん直結している人も居るだろうけれど、
直結していなくっても、ゆるやかに還元するのを支える形で「職業」があり、
職業と離れたとこに「還元の方法」があることもある。

それを無理に一致させる必要は無いってことに、気づけた40代は、20代の頃30代の頃よりも、よほど還元率が高い気がする。
還元量をプラスとした場合に、それを提供するために損なわれたり削られたりする差し引くべきマイナスがあんまりにも多過ぎだったのが、かつての私だ。

人には向き不向きがある。

不向きな現場で、よくぞあれだけがんばったもんだ、と、褒め続けてあげないと、私自身の自尊感情の採算が合わないからなぁ。


イハラちゃん、だからいいんだよ。
おかしいぜって思うこと全部にアクション起こせない自身の限界を
嘆くことも責めることもつまんないって思うことも無能だって思うこともない。

ダメダメな自分を、ダメだなー私って思うことが気づいたら減ってる。
そんな場所にたどり着けたら、そこからやっと始まることがあるから。
まずはそこ目指せって、40代の私は、30代の私に言いたい。





by shiho_kato | 2017-04-26 16:02 | 読書ノート | Comments(0)