むむちゃんの散歩道

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伊藤史織『異才、発見!-枠を飛び出す子どもたち』

異才発掘プロジェクトROCKETは、東京大学先端科学技術研究センターと日本財団が組んで取り組む、学校に不適応の「天才」を見つけ育てるプロジェクトだ。

団体の紹介によると下記のように記されている。
「新しい学びへの挑戦
“ROCKET”は、“Room Of Children with Kokorozashi and Extra-ordinary Talents”の頭文字をとったものです。そこにあるように学校を目指すものではありません。志ある特異な(ユニークな)才能を有する子ども達が集まる部屋(空間)です。
ここで選抜された子ども達が異才であると我々が評価しているわけでもありませんし、彼らを万能な天才に育てるプロジェクトでもありません。 また、いまの学校教育を否定し対抗するプロジェクトでもありません。
残念ながら、ユニークさ故にそこに馴染めない子ども達が学校にいなければならない事で不適応を起こす現状に疑問を感じています。彼らには彼らの新しい学びの場所と自由な学びのスタイルが必要です。それは決していまの学校教育システムと矛盾するものではありません。むしろ両輪であるべきだと考えています。
ユニークな子ども達が彼ららしさを発揮できるROCKETという空間を彼らとともに創造することによって、結果としてユニークな人材が育つ社会的素地が生まれるであろうと考えています。 学びの多様性を切り拓く挑戦です。」

『異才、発見!』はその取り組みの様子を描いた本。

教科書無し、時間割無し、何を学ぶかは自分で決める。
好きなことをとことんやり続けることを助ける場として「ROCKET」はある。

このROCKETの代表を務める中邑教授の話に、ガンガン今までの価値観をぶち壊されて気持ちがいい。

「(前略)本当にレゴが好きでものづくりに熱中しているのであれば、放っておけばいいんです。頑張っているところを親に見せ、ほめられたいだけの子どもは、親が寝てしまったら、十分も経たないうちに寝ます。本当にレゴに興味があり、ものづくりが好きならば、たとえほめられなくてもずっとやり続けます。なぜ、やり続けられるのか。それはほんとうに好きだから」

とか、

「計画の中でものごとを進めていくと子どもたちは好きなことをとことんやるということがない。それは時間の制限があり、ゴールが決められているからです。すごい力で集中できるのは、頑張っているのではなく好きだからやっているのです。努力していると感じることなく真剣に取り組むことができるのです」

とか、
友だちが居なくても案ずるな、と、
「好きなことをやり続けていれば、今は友達がいなくても大丈夫。大人になって、世界が広がると同じ興味を持つ人たちが仲間になる。いま、同じことに興味を持てる子どもが周りにいなくても日本中、世界中には自分だけだと思っていた興味にも関心を持ち、情熱を注ぎ続ける人たちがたくさんいるから安心しろ」
とか。

こういった信念を貫く姿勢で、大人が子どもたちと向き合える「学校」が、「学校」と名のつく場の1割程度を占めるようになれば、子どもたちは生きやすくなるだろうなー。

みなと一緒におんなじことをすることが安心だったり、モチベーションになる子どもは少なくなくって、それはそれでいいとも思う。今の形が合っている子はそれはそれでいい。

でも現状はそればっかりで、あんまりに揃い過ぎて(画一的に過ぎて)苦しいんだよなー。

ちょっとしたはみ出しも、ちょっとしたつまづきも、ちょっとしたへそ曲がりも、人生のごくわずかな時間だけなのにやたらと目立ってしまい、ぼんやりと社会の中に没入できないから、闘うしかなくなって磨り減っちゃうんだよね。


あっちとこっちとぜんっぜん違うじゃん!
って思えるような、あり方がいろいろの学校文化が育てばいいのにな。

受けている教育環境がバラバラだから、全国一斉の試験など無意味になって、測れる学力などなくなって、ただただ自分に合いそうな自分の学びたいことを学びたい方法で学べそうな高校だったり大学だったりを選んで行くような、そんな多様な教育のあり方ってムリなのかな。

「自由の相互承認」ベースなら、ちっとも不可能じゃないんだけどな。



もし、教育ってものに夢を見るのであれば、そんな夢だ。

by shiho_kato | 2017-06-16 20:20 | 読書ノート