むむちゃんの散歩道

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木下通子『読みたい心に火をつけろ!』

学校司書の大先輩の本。
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ビブリオバトル企画で、ガンガン前に出ている司書さんなので、
敬しつつ、すこうし距離を置いていた。

本も、直ぐには手に取ることができなくて、
じわりじわりじわりと、自分の中で追い詰めて行って、さすがにもう読まないと先に進めないや・・・
煮詰まったところで一気に読んだ。


本を読むのが苦手な生徒も来る学校図書館を、当たり前のものと捉えているところに、安心する。
小説や物語から、はじめたい、それがあなたに寄り添ってくれる存在だから、という考え方にも、安心した。


読めずに置いておいた時間、読み進める時間、そして読み終えて、
あぁ、私は「学校司書として、私どうなのよ」と、揺れてるんだなぁ、と気づいた。

この本の中に「安心」がひとつ見つかるごとに、胸をなで下ろしながら読んだ。


*****

「仕事をするイメージ」とういのが私には欠落している。
そもそも、働く人になることを想定して、人生を組み立てたことが無いまま、
気づいたら「NPOの人」になり、NPOで「働く人」になり、「ワーキングマザー」になり、「学校司書」になり。
そのどれもこれもが、イメージトレーニングを積んで積んで積んで、の結果ではなく、
期せずして振り返ったら、そういう場に身を置いていた、というのが実感に近い。

いまの勤務先で、このポジションに置かれてこの役割を与えられ、
こういうことが必要で望まれている(と、汲み取って)、それに即した働きをしよう。
日々、そういうことで働いている。

その働きの内容が、割とおおむね学校司書としてするべき仕事に合致しているようだ、と我が身を振り返る。
しかし、ここから先のビジョンというか、どこに向かっているのか、行くのか、灯台のようなものを持ち合わせていない。


学期中は、学校司書としての灯台云々よりも、この学校にとってのこの場所の有意性、有用性をどう捉えるかに気持ちを集中させていられたのだけれど。
学期が終わりフツフツと湧いてくる「学校司書の人たちは何を見、何を目指しているのだろう」「それは、私がやりたいことと合致するのだろうか」「そもそも私のやりたいこととは何だろうか」「いややりたいことよりも生活していける仕事をきちんとすることこそが今は重要ではないだろうか」「生活のための仕事云々よりも、子どもたちの今に立ち会えるかどうかが大事だろう、時間こそ、最も取り戻しのきかないものなのだから」等々。
歯止めをきかせるエネルギーが弱体しているので、ぐるぐると巡っている。








by shiho_kato | 2017-07-29 21:23 | 読書ノート | Comments(0)