むむちゃんの散歩道

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小林哲夫『神童は大人になってどうなったのか』

ぷうちゃん、むむちゃんが観るテレビ番組は、
「ネプリーグ」(フジテレビ 月曜7時)とか
「今夜はナゾトレ」(フジテレビ 火曜7時)とか
「ミラクル9」(テレビ朝日 水曜8時)とか
「Qさま」(テレビ朝日 水曜(時間さまざま))とか
クイズ番組ばかりだ。

どの番組にも、似たような回答者が出てくるが、最近は東大出身が次々と出てきている。
ややもすれば、そろそろ勤務先の卒業生が東大生として出演することもあるのではないかと、ハラハラしたりもする。

それらのクイズ番組のせいか、東大生が身近に感じられるようになっているような気がするのだが、
かつての牛乳瓶メガネの一風変わった超変人的天才という姿は払拭されたのではなかろうか。

日々、近い将来東大生になる割合の高い青年たちと共に過ごしながら、
彼らは、このあと、どんな未来、どんな将来を進んでいくのだろうか、と思いを馳せることは少なくない。

そんなことを考えていて、目に入った一冊。
小林哲夫『神童は大人になってどうなったのか』_d0134102_16304193.jpg
天才の家系はあるのか、とか、
どういう環境で才能は開花するのか、とか、
もし、具体的なひとりひとりを名指しで書いているのでなければ、平板なするっと読んでするっと忘れる本だった。

おそらく50人以上、100人近い、具体的な人とその家庭と子ども時代をあげて書かれていた。
その顔が浮かべば浮かぶほど、書かれていることの浸透率が高まる。

「神童」として取り上げられている人と、「神童」としては取り上げられないけれど、とても似通った天性の才と集中力をもった子どもたちを日々見ている。

おそらく、持って生まれたものはある。

それが摘まれるか、伸ばされるかは、家庭の環境、学べる環境次第であることがよくよくわかる。

持って生まれたものがあっても、環境がそれが伸びることを阻害するものであったなら、十全には発揮されずに生涯を終えることがある。いや、むしろその場合の方が多いのかもしれない。

筆者が、「神童」の価値は、その才をもって「社会にいかほど貢献したか」にあると、くりかえし主張していた。

ひとりの人として捉えた場合に、「社会に貢献」するかどうかよりも、優先すべきは「生きている手応え」を本人がどれほど感じられるか、だと私は思っている。
ただし、上記のように、その才を伸ばすことのできる環境が周囲の努力により整えられたのであるのなら、その環境を得られたことへの感謝の分は、社会に還元したらいいんではないかな、と思う。


私など、その100分の1も無いくらいの才しか持ち合わせていないのだけれど、それでも、もって生まれた分は、十分に発揮させてもらえるように育ててもらったと思っている。なので、大きなことはできないけれど、ちょいちょいと、チャイルドラインとか(これは提供する以上に搾取が大きくなりバランスが崩れた悪例だが)、子どもの貧困とか、よりみちのいえとか、かるた会とか、やりたいことをやりながらだけれど、やっぱり何かをお返ししているつもり。そうすることで、ここに「居る」あるいは「在る」ことの価値を自らに認めることができて、やりたいことをやれるような感じがする。


と、ここまで書いて、いただいたものをお返ししながら生きていくのは、「神童」であろうとなかろうと誰もおんなじだな、と気づいた。


あまり「○○のために」「✖✖する」みたいな、縛りをかけるような因果を結ぶのは好きじゃないんだけど、むむちゃんは思いっきりかるたをやればいい。
その楽しさを、大きくなった時に、かつてのむむちゃんたち子どもに提供する姿が見られたらいいなぁって思う。

by shiho_kato | 2017-10-06 21:34 | 読書ノート