むむちゃんの散歩道

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私の生き方

ぷうちゃんが産まれた直後に申請した公募の研究助成が
採用されることになったと、クリスマスに通知が届いた。

四年前の冬にむむちゃんを授かった。
むむちゃんとの出会いは何にも替えがたい幸せなことだったけれど、
育児家事仕事、どうバランスをとってよいかわからず、
苦しい時間がはじまった。
そして、戸惑い、もがく私にK氏は見向きもしなかった。

まだ何も軌道に乗せられていない人生に
焦ったりあきらめたり、限界を狭く設けたり。
何より日々は慌ただしく
息を止めて駆け抜けるように過ぎて行った。

むむちゃんの訪れによる変化の何もかもは
私に押し付けられ、かたや、変わらず仕事に専念するK氏は恨めしく、
また二人の関係において相手を思いやれない退屈が訪れる時期でもあった。

それでもどうにか,仕事が面白く、育児家事との両立も
やれなくはないと思えるようになった頃、
K氏は自ら希望して,単身赴任をすることを選んだ。

私とむむちゃんより、仕事を選ぶ。
と、言い切って、彼は家を出た。

その無責任にも自由に「選べる」氏と「選べない」私と
家庭内に、夫婦間に、決定的な異なりがあることが
がまんならなかった。
その異なりに無頓着な彼が許せなかった。

関係性が物理的にも心理的にも破綻していたと言って過言ではない。


ひとりで生きよう。
この人とは生きられない。
むむちゃんを一人で育てようと覚悟を決めた矢先に
ぷうちゃんを授かってしまっていることを知った。

ぷうちゃんを歓迎できなかった。

むむちゃんが毎日毎日毎日楽しみにして、
お腹のぷうちゃんに話しかけてくれたから、
私を気づかい労ってくれたから、
やっとの思いで産むことができたんだよ。
むむちゃん、ありがとう。

ぷうちゃんを生み出して、覚悟が決まった。

鬱屈としながら生きるより、私の生きたいように生きる生き方を
むむちゃんにもぷうちゃんにも示したい、と。

K氏と離婚協議をはじめた。

彼への心からの抗議と、自らの甘えを断ち切るために。

それからの彼の努力は目を見張るものがある。
遅きに過ぎた、のだろうか。
まだ、間に合うのだろうか。

研究助成の申請は、
やりたいことを自らの中に見つけるためだった。
何か現状を打破するきっかけを得るためだった。

本来、申請資格の基本条件を持たないものだったけれど
応募したのは、必死で捨て身だったから。
「やりたい」気持ちが溢れんばかりに
内側から噴き出していたから。

採用通知が届き、心から嬉しかった。
やりたいことをつめこんだ思いを、汲んでもらえたことが嬉しく
私の関心が今の時代にマッチするところに
確かにあるということが確認できて嬉しかった。

K氏には、応援して欲しい、と投げかけている。

暖かく通い合うキモチがとり戻せる可能性は、低い。

それを越え、私の生きざまを応援してくれる同士としてなら、
一緒にいられる可能性はあるのかもしれない。

彼がどう生きたいか、それしだいでもあろう。

でもとにかく間に合った。
再生へのほのかな可能性が、年のあらたまる前に得られたのだから。

今年のクリスマスプレゼントは、いつになく気が利いていたよ。サンタさん。

そして間もなく新たな年が始まる。
by shiho_kato | 2007-12-31 23:57 | ありがとノート