むむちゃんの散歩道

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『「生きづらさ」について』 

『「生きづらさ」について』  雨宮処凛さん・萱野稔人さん


あぁ、とため息がこぼれてしまう言葉がいくつもある



・・・いまこの国には「否定する言葉」は溢れていますが
「肯定する」言葉はあまりにも少ない。
そこで多くの人が傷つき、疲弊している。


・・・高いコミュニケーション能力が要求されるいまの社会・・・では、
他者とのコミュニケーションのなかで
そのつど自分の能力や価値を認めてもらわないといけない
という圧力がものすごくあって、
そうした社会の圧力にあわせて、
個人のほうも「自分の価値を証明しなきゃいけない」
「他者に認められないといけない」っていう
衝動に強く駆られてしまう


・・・いまの状況が昔と違うのは、・・・仕事でも人間関係でも、
高いコミュニケーション能力が要求され、
流動的な社会関係のなかで
そのつど自己の能力や存在価値を示せと迫られる。
そうしたすべてをひっくるめて、
いまの「生きづらさ」の問題がある・・・


・・・社会が流動化することによって、
これまでは無条件に人が承認されてきた
共同体的な人間関係がどんどん弱体化しています

・・・これまでの共同体的な人間関係においても、
無条件で人が受け入れられるということが少なくなってきます。

・・・社会の中で、
無条件に存在が承認されるような居場所を
どのようにつくっていくか、
というのはとても難しい課題です。


『「生きづらさ」について』 _d0134102_6182063.jpg



私自身のこれまでの道筋の
生きにくさ、生きづらさと照らして、
もっともだなぁ、
とつくづくとしみじみと感じて、
ふっと救われる気持ちになるのと
同時に、
その「救われる気持ち」によりかかってはいけない、と強く思う。

甘やかな言葉に、
「傷ついている私」と化して
立ちつくしたくなる、しゃがみこんで膝をかかえたくなる、誘惑にかられる。
それは、だめだよ、と強く、言い聞かせる。
by shiho_kato | 2008-10-06 06:18 | 私ノート