むむちゃんの散歩道

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2017年 05月 30日 ( 1 )

辻村深月『かがみの孤城』

「学校に行きたくない」

と、

「学校に行かない」
「学校に行けない」

の間には彼我のひらきがある。


「学校に行かない」

と、

「学校に行けない」

の間にもひらきはあるけれど、「行っていない」というところで共有できるものがある。



学校に行かない、行けない子どもたちはどうやって時間を過ごしているのだろう。


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鏡を通じてたどり着いた城に集められた7人の子どもたちのお話。
設定や漂う雰囲気が宮部みゆきの『過ぎ去りし王国の城』に似ている。
ふたりとも、それほど作風近くないはずなのだけど。

十代の胸につかえるもやもやっとしたものを、
何に対する勇気とか、何に対するどんな恐れとか、何に対する苛立ちとか、
細かく細かく突き止めて、嘘が無いように、ほつれもからまりもじっくりほどいて、
すっとそれぞれを一本の糸として差し出してくれるフレーズに満ちた小説だった。


少し前に読んだ原ノ内菊子の、「信じるから話しだしてもらえる、信じるから聞かせてもらえる」を、繰り返し繰り返し思い起こした。


学校に行かない、行けない、口を閉ざし説明しない彼ら彼女たちの気持ちを、
よく辛抱強く、とりあげに行ったな。
エライよ、辻村。

さらっと流したり、ありていなもやもやのまんまで放置せずに、
辿って行って、とりあげて見せてくれたことに、
ありがとうを言いたい。
「それ」を胸に抱えているんだって、世の人たちに形ある言葉で示してくれてありがとう。


静かに「闘い続けている」からこそ、
安心して居られる「居場所」が必要だっていうことを、
ただ「安心」「安心」と解くだけじゃなくって、
「闘わなくていい」場所、「闘わなくていい」時間が必要だっていうことを、
丁寧に描いてくれてありがとう。


そして、
「心の生き死に」だけではなくって、
「体の生き死に」まで乗せきって、
再生まではかって、小説を締めくくってくれたことにも、ありがとうを言いたい。


辻村、いいじゃん。
辻村、やるじゃん。


by shiho_kato | 2017-05-30 14:12 | 読書ノート | Comments(0)