むむちゃんの散歩道

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2017年 08月 23日 ( 1 )

小説ばかりを読んでいる

なんだか小説ばかりを読んでいる。
以前からそうだったけれど、拍車が掛かっているというか。

この夏はラノベとの境目っぽい、中高生とか大学生が主人公になるお話ばかりを読んでいた気がする。


仕事上の選書では、小説を選ぶことの方が圧倒的に少なくて(割と新しい小説については出版情報が入りやすいので、選書にかける時間が少ないというのもある)、自然科学、社会科学、いまの社会の動きの中で知っておくといいだろうなーと思うもの、彼らが興味を持っているらしかったりこのところ勉強しているらしいことの周辺を開拓しようと、本を選ぶ。

選んだ本の全てとまでは言わないまでも、どんな内容なのか概要だけはさっと目を通してチョイスするので、すぐに忘却ボックスの中に入ってしまうにしても、一度は「見た」もの。

日々、その作業を積み重ねていると、タイトルと内容を「見た」だけで、読んだ気になる。
つまみ食いだけで、お腹いっぱいな感じで、しっかり味わって食べる気にならない。
いいんだか、悪いんだか。


小説は、さっと目を通すだけではなかなかお腹いっぱいにならない。
美味しそうであれば、ちゃんとはじめっから読みたくなってしまうのだ。
きっと、素材が同じであっても、登場人物の性格付け、物語の運びに同じものが無いからだ。


小説ばかりだではダメだよね・・・と自嘲気味に思っていたら、
こんな言葉と出会った。


為末大
「人間は現実ではなく、物語を生きている」というのが、私の競技人生で学んだことだ。現実に起きた事は変えられないが、物語はいくらでも変えられる。そして物語が変われば、過去も未来も、風景が違って見える。
47NEWS「為末大の視点」2017/08/23


どの人も、どの人も、プログラミングされた人生は無く、
一年後どころか、ひと月後も一週間後も一日後も、一時間後ですら、約束されていない。
どの人も、どの人も、レールのない人生を生きている。(敷かれたレールを生きているつもりになっている人もいるのだろうけれど、そんな人とて自身の寿命までコントロールすることはできない)

それを生き抜くには、今ここにいる自分を「捉える」あるいは時によっては「支える」ための、私を主人公としたストーリーを構築できる力が必要なんだと、40数年生きてきてつくづく思う。



そして、私だけではない、他者の生に心傾けることが、たったひとりで生きているわけではないこの地上で、絶対に不可欠な作業だ。最も近しい人たちでは、子どもたちもそう、パートナーもそう、父や母でさえもそう。

他者の生に心傾けるとは、彼らの描く彼らを主人公とした物語を読み理解することだ。

その体幹となる力を、私は「小説読み」から得ている。
混沌としたあれやこれやをどう組み合わせて、解釈し、時を進め、展開させていくのか。
そのバリエーションは、本当に文字通り十人十色。1%も、0.00001%すらも一致することはない。
好き嫌いはある。
だけれど、理解するという点においては、どんなバリエーションも知っておきたいと思う。

だって、未来は予想不可能、人の生は予想不可能で、近しい人たちのそれだって予想不可能だ。それを百も承知で、子どもたちや父母や友人たちの生と、共にありたいと私自身が強く願っているから。







by shiho_kato | 2017-08-23 22:13 | 私ノート | Comments(0)