むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:社会&地域&子どもノート( 158 )

ヤングフェス「oh!盛祭」「中学生百人一首大会」

ヤングフェス「oh!盛祭」の「中学生百人一首大会」。

むむちゃん、個人戦優勝!
連休の中日にも関わらず、朝から夕方まで一日中付き合ってくれた学校のお友だちと先生に感謝。

まごめかるた会に来ている中学生が、3人出場し、3人とも決勝に残った。
6人中3人は彼女たち。優勝、準優勝、三位の3つの賞があるので、分けられたら、、、。
などと欲がむくむく。他の2人も2回くらい来てくれた知った顔となると、みな僅差で勝負が進むといいな、と願う。

見入ると、フラットで居られなくなりそうで、半分終わるくらいまでは、周りの遊びかるたを取る子たちの札を眺めて過ごした。
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最後数枚になってからはお母さんモードにスイッチオンで、むむちゃんに勝たせてと。

優勝はむむちゃん、準優勝はかるた会のYちゃんと、1,2フィニッシュ。おめでとう。

団体戦はO四中の三連覇。
このところの百人一首大会は、唯一部活があり人数も多い四中の圧勝になりがちらしい。
と、知ると、そうではない学校の中学生が食い込んで行けるようになると面白いだろうなぁ。
いろいろな中学校の子たちが参加しやすいようにしたいなぁ、、、来年までのまごめかるた会での目標が見えて来る。

今日の百人一首大会の責任者の庄嶋さんはチャイルドライン時から旧知の方。
全試合の後に挨拶をして、むむちゃんのことと、まごめかるた会のことをお話をした。

そしたら、その後の閉会挨拶に、かるた会の紹介をさりげなく盛りこんで下さった。さすがだ。

ステージの上で賞状をもらうなんて、卒業式以外にはなかなか機会は無い。
いい経験です。
(天狗にはならない)自信になるといいな。
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そしてそしてまたかるたの新しい仲間が増えるといいなぁ。

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by shiho_kato | 2017-03-19 06:06 | 社会&地域&子どもノート | Comments(1)

忘れてはならぬこと。

安保法案の廃案と、強行採決がせめぎ合っている。

昨晩の強行採決は流れたけれど、今日以降、どうなるのだろう。


今日までの安保法案に関する論争は、
あらたまって振り返って整理するほどのこともないくらい、すっきりした論点でまわっている。

・憲法の専門家、外交の専門家の「この法案は憲法違反である」「安全より危険を招く」の声に耳を貸さない。
・世論の反対、というよりも、不信や不安に対して答えたり説明することがない。


法案の中身ではなく、「採決すること」ばかりが先走っている。

あからさまにそのような推し進め方をする安倍首相をはじめとする議員たちを恥じる。
おとなが、形を作ることだけを急ぎ、内容を疎かにする姿勢を恥じる。


私たちは選挙で、この法案を提案するような人たちを選んでしまった。
その愚は、何をどうしたって私たちが背負う荷だ。
しかし誤りに気づいた時に、誤りをできるかぎり早く修正することが、
傷を浅くするための方法だ。


ここで立ち止まれない政府。
ここで言葉でやりとりをして、理解を促すための話しあいの姿勢を取れない集団が
私たちの国を、政府という名の役でもって牛耳っている。
それを恐ろしく思う気持ちを、しっかりと記憶に焼き付けなくては。


他国との争いが生じた際に、
言葉を尽くして話しあうことができない政府が、
立ち止まれない政府が、ここに居る。
そのことを忘れない。


私たちは知っている。子どもたちは知っている。
他者と喧嘩した際に手を出したら負けであることを。
手を出すことなく言葉で解決し、解決に至らずとも、「うまく」交わすことができるのが、
ベターなふるまいであることを。
ベターなふるまいをおのずとできる国であらなくてはならない。

この法案のおかげで、
そのように振舞える国であり続けるために
拳を振り上げ、一方的に議論を閉ざす為政者に権力を握らせない覚悟がよりいっそう必要になった。


この安保法案の廃案がかなった先に、
この安保法案を提案するような愚かしい人々を選ばない決意を忘れない。

by shiho_kato | 2015-09-17 06:40 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

ワクワクわくわく、百人一首

小学校の夏休みのわくわくスクール。

今年も百人一首の講座をひとつ。

昨年の経験を活かし、うんちくゼロで、
どんどんとる会に。

たくさん覚えている子、
一枚も覚えていないけれど、やってみたい子
覚えているけど自信が半々の子
いろいろだ。
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自己申告で仲間分けをして、
源平戦。


スクールに申し込みをしてやって来たにも関わらず、
はじめは怖気づいている子もいる。

かるたの要領でとれることがわかって、
だんだんと興がのってくるのが見ていてわかる。

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1ゲーム終えて、まだ時間を残せたので、
もうひとゲーム。ちらしどり。


今年は先生はこなかったけれど、保護者の方が見学に来てくださった。

小学校3年生で百首覚えられるのだから
覚えたことを忘れずに続けてられる場が欲しい。
日本文化はここからだ!
と、エールをいただく。



むむちゃんが今年で卒業なので、
来年はやらないかな、、、と思っていたけれど、
来春は実写版ちはやふるの映画が公開される。


ひとときのかるたブームでニーズがあるようであれば、
来夏もやってみようかな、と、思う。


好きなことばっかりだけど、
私にできるちっぽけな地域貢献、学校貢献。


好きなことで貢献気分を味わえる私は幸せ者です。
by shiho_kato | 2015-07-23 19:01 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

よりみちのいえ感謝祭  ありがとうをめいっぱい

よりみちのいえ感謝祭でした。

子どもたちと水曜日に遊んでくれている方々に会いたい。
おはなししたい、お礼を言いたい!

というわけで。


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2010年10月に発足したよりみちのいえ。
どんなふうに何を作っていくのか、手探りの中、
行き詰ってばかりいたけれど。

よりみちの公園ができないかな、、、と願っていたら、
公園を運営している団体の方々と仲良くなって、
子どもたちといっしょに遊び、
公園の花々や食物を子どもたちもいっしょに育て収穫する仲間になった。

屋根のある場所がほしい、、、と願いながら我が家を使っていて、
これ以上使い続けることができなくなったときに、
区民センターを使わせてもらえるようになった。

すぐには解決しなくても、困ったね、どうしよう、と、
うんうんおろおろぐずぐず悩んでいると
救いの手が差し伸べられる。

その結果4年余り続いた。
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ボランティアのみなさんと自己紹介。
子どもたちを遊ばせるのではなく、子どもたちに一緒に遊んでもらっている、と。
自分がその時間を楽しんでいるんだ、と。

そんな風に言ってくださる方々に、よりみちのいえに来てほしかったんだ。

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子どもたちがよりみちのいえの水曜日を心待ちにしていること、学校は休んでも、よりみちのいえには行きたいと。子どもたちが自ら望んでやってくる場所に、よりみちのいえはなりたかったんだ。
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感謝祭には、子どもたちがよりみちにやってきているママ友たちが美味しい手作りのお料理やケーキを持って馳せ参じてくれた。

お料理のおもてなし準備の心配を何もすることなく、
私は私の作り物をせっせと作ることだけに専念できた。
支えてくれる人が増えていくなぁ。

感謝祭は、本当にみなへの感謝が湧いてくる時間でした。

名ばかりのしがない頼りにもならぬ代表で本当にごめんね。
でも、ありがとうの気持ちだけは、めいっぱいだから。
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by shiho_kato | 2015-02-14 19:17 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

ワクワクスクール「百人一首で遊ぶ会」

今夏、はじめて小学校の夏休みのワクワクスクールの企画に手をあげた。
「百人一首で遊ぶ会」

昨年度、学校に「百人一首クラブ」を作ろうとして奮闘し、駆け回った子どもたち。
残念ながら成立ならなかったけれど、
あきらめていない子どもたちを、応援する機会になればいいな、
百人一首をやってみたい子どもたちと出会えたらいいな、の企画。

遊ぶ会のお手伝いに来てくれた卒業した中学生を含め、
子ども19人。

見学に先生方が3人。
子どもたちが懸命に働きかけをした先生たちが見に来てくれた。

経験差や、今回来るきっかけの差がある中で、どうなるかな、と
あれこれ案じつつ、の日々。
でも、遊ぶ会でも同じ悩みは子どもたちが互いに相談しながら、
気持ちよくやれる方法を見つけてくれたな、と思い起こし、
基本を教えて、あとはどんどんとってみることに。

遊ぶ会の子どもたちが、審判としてグループに一人ずつ入って、
丁寧に教えてあげたり、応援してあげたり、おまけしてあげたり。

後半のチームでやる源平戦で、力の差を読みきれなくて、
組み合わせが厳しくなってしまったところには、ごめんなさい。
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途中で投げ出したくなってしまう様子も見えつつ、一方の張り切り具合も見えつつ、
どうこうする手立てを持たない私の力不足をその場で実感。
心の中でごめんなさいと謝りながら、一枚取れることを願いながら、淡々と先に進めた。

拮抗するくらいに組み合わせができたところは、
終わったあとも、またやりたいと言って帰っていってくれた。


先生方は、後半のチーム戦に先生も混ぜてあげて~、と言ったら、
いやいやいやいや、と、後ずさりしつつ消えてしまった。
それでも、模範演技や、遊ぶ会の子どもたちの教える様子をしっかり見て、
あれこれと子どもたちに質問してくれていた。


おまけの嬉しい出来事は、学校に畳があった!という事実。8枚も!
ダメ元で、「たたみかゴザがあったら貸してください」とお願いしてみたら、出てきた。
多くの先生方も知らなかったそうで、「畳まで持ってこられたのですか!?」と。
いえいえ、学校に眠っていた畳を副校長先生が出してきてくださったんです。

この畳、使わせてもらえないかな、二週間に一度の百人一首で遊ぶ会、
学校でやらせてもらえたら、嬉しいなぁ。
by shiho_kato | 2014-07-31 21:40 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

百人一首がつなぐもの

今年度に入ってからの百人一首で遊ぶ会は、
3~5人の参加。
目下、低迷中。

学年が変わったり、クラス替えがあったり。
これまでの、グループののりで「今週だよね」、「今週だよ!」、
「日曜だよね」、「日曜の午前だよ!」、「行く行く~」の
盛り上がりができなくなってしまったことがいちばんの要因らしい。

2ヶ月先までの予定表を作ってあげているけれど、クラスが替わったお友達に、
むむちゃんは渡しに行くことができなくなっていた。
そのことに気づくまでに、2ヶ月あまりかかった。

お知らせが負担だったんだ・・・。
会に来ている友だちと分担して渡せるか相談して、
むむちゃんの肩の荷がほっとおりた様子と、
おれに任せとけ!のお友だちと、を見守りながら1ヶ月。

夏休みの開催のお知らせは、
渡す予定のお友だちたちの名前とメッセージを書き添えて
むむちゃんに渡した。

「ママから・・・」と言えると少し気がラクかな、、、と思いながら、10数名分。
夏休み直前、いつもよりも多く集まってくれた。
やっぱり人数が多いと楽しい。楽しくて、嬉しい。
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場所をとったり、お知らせ作ったり、その日のその時間の予定を確保したり、
お手紙を書いたり、、、。
私は何のために、百人一首であそぶ会を続けているんだろう。
楽しげな子どもたちの声の残響を聞きつつ、問う。

そうだなぁ、百人一首が大好きだった子どもの時の私のため。
あの頃の私に、こんな機会をあげたかった、の気持ちのため。
思い出させてくれた子どもたちへのお礼のため。
こうして何十年も隔てて、取り戻すことができた喜びのため。

自分のための会だから、続けられるんだ。
大義名分などなくてよし。


そう思いながら、神奈川のかるた会にむむちゃんと練習に出かけた。
先生が、10月の大会にお母さんも出ましょう、とお誘いくださる。
「え~、いいんですか!」胸がドキドキする。
この夏に100枚しっかり覚えましょうね。
「はい」


子どもたちで定員が満ちたときには辞退するけれど、空きがあったら、ぜひに。


ほら、やっぱりね。
何十年を越えて、大好きなものは私の手のひらに戻ってくる。
焦らなくて、大丈夫。
急がなくて、大丈夫。

「私の好きなもの」が、何なのか、自分で自分をわかっていれば、大丈夫。

子どもたちに反射神経はかなわないけれど、
式子内親王も、慈円も、和泉式部も、二条院讃岐も、定家も、俊成も、小野小町も、在原業平も、紫式部も、大弐三位も、清少納言も、西行も、etc.
みんな、顔も性格も生い立ちも浮かぶ、長年の付き合いの友だちだから。
友だち100人、いいじゃない。(『ちはやふる』的には、しのぶちゃんの気分)


この夏、出会い直そう、彼ら、彼女たちと。そしてあの頃の私と。
嬉しい。
じわじわと、嬉しい。
by shiho_kato | 2014-07-20 21:32 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

集団的自衛権とは・・・。戦争するかしないか、決めるのは私たち

集団的自衛権のお話。

あっさりと議論参加の余地なく大事なことが決まってしまう国。
今に始まったことではないけれど。
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それでも子どもの貧困法関連のこととか、学校図書館法改正関連のこととかで、
私自身も、また身近な人たちも具体的に何らかの意見を伝えたりする
場があったりして、その中から若干は、施策のどこかに反映される余地を
見出したりしていた矢先に。

閣議決定ってなんじゃラホイ。

ムカっパラを立てながら、ぶつぶつ文句を言いながら新聞を読んでいたら、
記事の中に植木千可子さんのコメント。

・一人ひとりが主体的に考えることを習慣にする。
・日常的に世界で何が起きているか知る。
・戦争するしないを決めるのは、わたしたちの責任だと自覚と気概を持つ。

それらのコメントを読みながら、そうか、私たちはここから始めていくんだ。
と認識した。
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今まさに、この不可解で不愉快な出来事に立ちあった。

絶対的な平和憲法は、閣議決定の勝手な解釈により平和じゃなくなった。
何よりも強固に戦後の私たちを守ってきたそれは、守ってくれるものじゃなくなった。

に、しても、変だ。変な話。

憲法が従えるのは為政者たちなのに。
その為政者たちが勝手に自分たちに課されたルールを読み替えるって、
どういう論理の上で成り立つ手続きなんだろうなぁ。


ともあれ、歴史の中で、
私たちの誰もが暴力に怯えずに済む世界をつくる担い手である自覚を促す出来事だ。
私たち自身が、これからも、これまでよりも、一層たくましい知恵を養っていかなくては。
守ってくれるものを失いかけている私たち自身が、
守ってくれるものと同等の知恵を私たち自身のものとして持ち得なくてはならない。

不可解だ、不愉快だ、という思いをバネに、
気持ちよく、隣国とも、隣人とも、国とか人とか越えて、
誰とも争わずに済む、誰も傷つかずに済む、
到達するのが難しい、だけれど理想に掲げるその場所を探してゆく。
その人類の旅のさなか、いま、また一つのスタート地点に立ったわけなんだ。

目が覚めた。
ぐちぐち言ってる場合じゃない。
by shiho_kato | 2014-07-02 21:49 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

子どもは社会人か?

夕飯を食べていたらむむちゃんがどういう文脈でか
「ママ、子どもって社会人?」

ひゃ、なんていう投げ掛けをするんだ。

子どもだって赤ちゃんだって、生まれたときから社会のなかの一人でたから、
間違いなく「社会の一員」だから、「社会人」だと思うよ。
でもね、一般的には「社会人」って、働いてる人を指して言うことが多いんだよね、なんでだろうね・・・?

答えながら、頭を悩ませた。
私も疑問だわ。

そういえば、「女性の社会復帰」という言葉に、
「働いてない女性は社会から離脱してるっていう意味?違うよね、復帰って何よ!!」
と憤っていた人がいたなぁ・・・。
たしかに、そうだよね、と小さく共感した。

共感しておきながら、
「社会からの隠遁願望はどのような状態となれば果たせるのか」
と、逆のテーゼを立てて、ため息をついたりもした。
いつまでたっても、どこにいたって、社会の一員からは逃れられないんだなぁ、と。


ぷうちゃんが横からさらに、
「社会と会社って似てるよね~。さかさまにしただけだよ、同じ意味?」
むむちゃんとふたりがかりで説明する。

会社っていうのは一つ一つ別々の建物みたいなので、
社会っていうのはそれが建っている全部の場所みたいなの。
わかるかなぁ?

「わかんない」(けど、まいっか、の様子)


疑問が残るままは気持ちが悪いので、日本国語大辞典にて確かめると、
(1)社会を構成する一員としての個人。
(2)社会で職業につき、活動している人。学生、生徒などに対していう。
"しゃかい‐じん[シャクヮイ:]【社会人】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2014-05-28)

うむ、辞書を調べてもダメでした。
要するに子どもをどのように捉えてきたかの歴史と思想の問題でした。
「女性の社会復帰」と同じく。

むむちゃんの「不思議に感じる」アンテナは、なかなかに鋭い。

「大事なものには名前がある」のお話を聞いた時に、話してくれたAさんに
「「あなた」じゃなくて、「むむ」ってちゃんと呼んでよ。だいじなものには名前があるんでしょ!」
と言って迫った5歳の時からちっとも鈍っていない。

そのセンスが嬉しくもあり、先々する苦労を思うと、切なくもある。


結論。
子どもも社会人です。
なぜなら、社会の一員だから。
私の答えはこれで決まり。
by shiho_kato | 2014-05-28 21:20 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

第2回「生かそう!子どもの貧困対策法」市民のつどい

子どもの貧困対策法の大綱づくりの検討会が内閣府で行われている。

なくそう子どもの貧困全国ネットワークとして、
その大綱への要望をどうにかして出したいと考えている。
その要望案を豊かにするための機会のひとつとして開催された
市民のつどい。
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スクールソーシャルワーカーの荒巻さんのお話に心惹かれた。
今の私の最大の関心は、

皆保育と、保育ソーシャルワーカーだ。

小学校、中学校、発達支援学校という場はソーシャルワークに適している。
不登校を含め、すべての子どもたちが学校に籍があり、
(一部の戸籍の無い、所在不明の子どもたちを除き)
すべての子どもたちの中に、問題を抱えていそうな子ども、
子どもを入り口とした家庭を見つけ出す場になり得るからだ。
義務教育の場で、皆児童を対象とした場であるからだ。


学校じゃ、遅いことがたくさんある。
子どもの死亡割合が未就学時に多いから。

皆保育であったなら、虐待や虐待未満を発見できる。
皆保育であったなら、ひとりでは育てられないと子どもを殺す、ないしは子どもと共に死ぬシグナルを発する親との接点を、保育所で見つけることができる。
皆保育であったなら、子どもを預けることができないがために働けない親が働ける。
皆保育であったなら、毎日栄養バランスに配慮した昼ご飯を食べることができる。
皆保育であったなら、捨てられない。捨てる先が保育所であったとしたら速やかな保護が可能になる。

自分で育てたい親だって、疲れることがあり。離れたいことがある。
病院に行かなくてはならないことがあり、
役所に行かなくてはならないことがあり、
幼い子どもを連れて行くには難儀なところがある。

まともな生活が成り立つ待遇を保育士に保障し、保育園という「就労先」を増やせばよいではないか。
そして子どもの専門家である保育士は、社会資源を結びつける専門家ではない。
虐待されている子どもを発見することはできても、環境改善までは及ばない。
貧困化にある子どもを発見することはできても、その親のサポートに手を十全に伸ばしていくことはできない。
子どもが安心して毎日を暮らせることへ全力を傾けることに特化していいのだろう、と思う。

そのかわりに、なんらかのサポートを要する親や、
社会資源を活用することで状況を改善できる(就労だったり、病気の治療だったり、etc.
親に、情報を提供しながら、あれこれの組み合わせを一緒に考え、時に付き添い、、、が
できるソーシャルワーカーを常駐させたい。親との子との信頼関係を構築していく上でも常駐は必至だ。

要保護児童対策地域協議会ができて、虐待情報の共有、家庭や親子の環境調整等は、成果を上げているようだけれど、協議会にまであげない事例は多々ある。
協議会に含まれない保育所もたくさんある。そこにも子どもは居るのに。


夢、だ。
実現したらきっと、とってもいい、と確信を持って言える夢。
だけど、これまでみたいに、夢を見てしまったならそれを実現させるために、
がむしゃらになろう、とは思わない。身を削り、身を滅ぼすから。
子どもたちに迷惑をかけるから。

だから、願掛けだけ、しっかりしようと思う。
そして、チャンスがあれば、伝えて行きたいと思う。


チャンスがあったので、グループのお話の時間にはそれを話した。
チャンスがあったので、欲しい施策の要望にそれを書き込んだ。
by shiho_kato | 2014-05-25 23:48 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

【スッキリ編】「子どもの貧困」とは~ 「貧困対策」「子どもの発達保障」

「子どもの貧困」ってなんなんだろう?
5年以上子どもの貧困の活動に携わっていて、説明できる言葉を持てずにいた。

どのような状況に子どもたちがあり、その状況ゆえに、何を失い、何を疎外されるのか、
その具体についてはたくさんたくさんお話を聞いて、知ることができ、わかることができた。
それでも、子どもの貧困とは何かを端的に説明できる言葉を獲得することができなかった。

5年を経て、ようやく出会ったこの言葉が、腑に落ちた。
・「子どもの貧困対策」のベースは、「貧困対策」
そして、「貧困対策」の中でも、
・「子ども期という特性に焦点化し、子どもの成育条件・教育環境を整備・改善・充実する必要性」

※【第3回子どもの貧困対策に関する検討会 配付資料  3.湯澤直美氏提出資料】
http://www8.cao.go.jp/kodomonohinkon/kentoukai/k_3/gijishidai.html


「子どもの貧困」とは、
「貧困の問題の中の、子どもに特化した内容」のことなんだ。

書いてしまうと当たり前の言葉の羅列だけれど、
私には、ようやくすっきりとよくわかった。

子どもの貧困ってつまりは親の貧困ってことでしょ。

そう正解。
親の貧困により家庭環境(生育環境)教育環境が整わないことが、「子どもの貧困」
貧困により家庭環境(子の生育環境)教育環境を整えることができないのが、「親の貧困」
立場の違いによる切り口の違いということなんだ。

それだけわかるのに、5年を費やした。
でも、5年費やした甲斐があった。答えを見つけることができたから。
by shiho_kato | 2014-05-24 22:19 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)