むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:学習ノート( 122 )

柳田邦男さん

勤務先でナマで柳田邦男(さん)のお話を聞ける幸運!!!

年齢を考えても、うっかりすればもうこれっきりかもしれない貴重なチャンス。


絵本の話、童話の話、園児の描く絵の話、飛行機事故の話、命の話、加害被害の話、もりだくさんのお話、話を広げすぎではないだろうか、、、
心配しながら、ハラハラしながら、生徒たちの斜めうしろから見守った。

杞憂。
当たり前だ。
ぜんぶ、計算づくでのラインナップ。
それもこれもちゃんと一本につながる。


中高生に向けてお話するのははじめてだそうだ。
つかむところをつかみ、落とすところを落とす。
小さな一粒を大海まで広げる。


あぁ、今日はプレゼンテーションではない。
ふっと思う。

このところ聞く講演聞く講演、数字がとにかく多い。
人に何かを伝えるときに、数字は雄弁。数字をじょうずに使うことは、プレゼンテクニックの基本中の基本。


今日はちがう。
数字を出されなくっても、エピソードと経験と体験と自ら考えとが盛り込まれたお話は、力強い。

ひとつ尋ねれば、次から次へと様々な人の言葉や著書が紹介され答えられてゆく。
自らの体験と、他者の言葉と、それを膨大に積み重ねてみしっと詰まった知は、数字を用いなくとも、強い説得力を持つ。

そして、わからないことは「わからない」と言ってくれるんだ。


久しぶりに、このひとのお話はまるっと信頼しても大丈夫だ。
そう思いながらお話を聞くことができた。
余韻で、もっと本を読みたい。手ごたえのある知に触れたい熱が、ぽっぽぽっぽする。





講演会終了後、柳田さんをよんだ先生に、この人の話をぜひとも聞きたい、できればこの先聞ける可能性の低い人で。そういう人が居たらぜひ名前をあげて、と言われた。

過去には加藤周一、立花隆をよんだことがあるそうだ。

たとえば?
大江健三郎とか?
たとえば?
名前浮かばないなー。
私の知筋、ダメダメだなー。







by shiho_kato | 2016-12-13 16:24 | 学習ノート | Comments(0)

TSUTAYA図書館

図書館総合展に出かけた。

毎年毎年、かける時間の割に得るものが少なくて、時間的コスパが悪いと思う。
去年はとうとう行くのを止めた。

今年は学校で取り入れたい内容についての、ど真ん中のフォーラムがあったので、期待半分で出かけた。

メインは午後。
午前はつまみ食いのつもりでフォーラム二つをはしごした。

そのふたっつ目は、武雄図書館、海老名図書館で評判の著しく悪いTSUTAYAの運営する図書館のお話。
これが、驚く程よかったのです。

市場に揉まれる人は、よくよく勉強しているなー。よくよく工夫しているなー。

いくつか具体的に良いな、と思ったのは次の点。

・スタッフに外国人と障害者を雇用。共に働く仲間と、どう働ける環境を作るかの工夫が、そのまま利用者サービス(多文化や障害者)に活かせる。
・子どもの貧困で、たとえば英語に触れる機会の無い子どもが、図書館のミニセミナーで英語話者のスタッフが講師の工作を企画することで、工作しながら英語に触れられる。文法を教えることはなくっても、やりとりの英会話ができる。(英語だよ!のハードルを低く。無料で。図書館に来る子なら誰れでも)
・今後展開しようとしている岡山県高梁市の図書館は、過疎対策。地域創生を狙う。高齢化率40%。朝から町の食堂に集まってお酒を飲む高齢者。せめてお酒は夕方からに、朝から夕方まで居座ることのできる場としての図書館を作ろう。広い市内に、点在する住民に移動図書館サービスは必須。本だけではなく、買い物代行・パンやお弁当日用品などものせて、頻繁に巡回。図書館だから利益は不要、本以外の配達マージンで移動図書館車のガソリン代だけ出ればOKな低コストサービス。


子どもの学習支援の拠点としても、TSUTAYAの運営する図書館だったら場をひらいてくれるのではないかとうい期待が持てる。
高梁市に関しても、また先んじて始まった多賀城市に関しても、事前のリサーチ、マーケティングをしっかり行って、その地域で必要とされること、優先順位、それらの中で図書館をどう位置づけるか、練って練ってそれぞれ1館ごとに組み立てていることがわかった。

紙の本を置くばかりの図書館は、いずれ淘汰されていく。
その危機感は図書館界にものすごく強くあるそうだ。日本ばかりではなく世界各国で。

「静かに本と向き合える」核の部分は守りつつ、外壁を壊して、枠組みを壊して、目に見えて地域や社会とつながる場になっていくことは、ぜひに!と思う。
知を逞しくしていく上でも、逞しい知を底支えする確かな知識が並ぶその場所はふさわしい。

いくつかそういう取り組みをあらたに打ち出している図書館がある。武蔵野プレイスもしかり。
それらは、この先も輝きを帯びた場所として残っていくだろう。


とか言ってないで、まずは海老名図書館に足を運んでみなくっちゃ。
理念と実際が一致しているだろうか。
口ばっかりの実践無しではお話にならない。



(おそらくTSUTAYA図書館の弱点は選書。「底支えする確かな知識」を軽んじてしまったところにあろうと思われる。未整備の基盤に、立派な柱を建てちゃったところにあるのではないだろうか。仮説を確かめに、いざ海老名へ…いつ行けるかな)

by shiho_kato | 2016-11-09 17:24 | 学習ノート | Comments(0)

大阪出張

学ぶことがたくさんあって、
考えること、思うこと、感じたことで
四六時中言葉が湧き出し続けている。

この洪水が落ち着いたら書こう。

でも、駄文、駄思、駄考上等で、今書かなかったら、無味乾燥な感想しか書けなくなるかも。

いかんせん時間が足りない。
考えをまとめるにしても、書くにしても。

by shiho_kato | 2016-10-21 08:08 | 学習ノート | Comments(0)

備忘録メモ JLA 全国大会

IFLAの学校図書館基準が改定された。
ひとりで読んでも変更点、目新しい点、今日的な点、問題点、ちっともわからないので、こういうときはお勉強。
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項目すべてを網羅する「学校図書館」は、なんてビジネスライクな場だろう。
能力を上げるための、技能を習得するための、訓練の場のように思えてくる。

そして、そういう場をコーディネートするのであるから求められる「学校図書館員」像は
高技能、高能力、スーパーウーマン、スーパーマン。
隙の無い人であり、常に常に向上心の塊でなくては現在の目まぐるしく情報の届け方やあり方が変わる状況を常に常に先取りして、「教え」られる人でなくてはならない。

目指せるかな・・・
ぼんやりと未来の私を浮かべる。

もしも、この先も図書館に携わり続けるとしたら、「面白い」「胸に響く」「足元を揺るがす」「心安らぐ」「しんと静かになる」そういう目には見えない耳には聞こえないひとりひとりの「揺らぎ」にざわめく図書館に身を置きたいと思う。
探求・探索スキルや、思考のステップや、組立や手順や、そういったことをこそ、授業において学べばいい。
スッキリと整理できないもやっとぼやっとしたものとつきあうためのゆるい箱が、学校の中にある図書館の大きな大きな役割の一つではなかろうか。

だってね、「生きるってなに?」という一生付き合わなくってはならない問いに苛まれ始める年齢であり、未来の自分の姿として進学とか職業とか「おとな」の像を結ぶのに手こずりながら、もがき足掻きながら、過ごす年齢だから。

今の私でいい、なんて言うつもりはからっきしない。
知識も技量も足りなくて、劣等感ばっかりで、もちっとなんとかならないのかな、と自分に呆れながら、でもやれることをやってみよう、今この目の前の図書館に、目の前の生徒たちに、目の前の先生たちに必要なものはなんなのか、それを見極める目は養おうと思うんだ。
そして、たとえそれが図書館員として、あまり実の無いことでも構わない。


by shiho_kato | 2016-10-16 21:49 | 学習ノート | Comments(0)

IASL 国際学校図書館研究会 年次大会@明治大学

朝イチは、里中満智子さんの講演。
直接お話を聞くのははじめてだ。
私にとっての里中さんは、漫画に関するあれこれをのぞいたところで、「学校教育」の意味を教えてくれた人。

言葉は正確ではないのだけれど、
「大成したかったら、これしきの勉強をやすやすとこなせ」
そう母親に言われて、ナニクソと思ったのが、義務教育を終えるところまで学校に留まった里中さんのモチベーションだった、というお話。

「たかが学校の勉強もこなせなくって、エラそうなことを言ったりできたりすると思うな」

授業くだらないな、つまんないな、って思う時間が少なからずあった。
それをやり過ごそうとしながら、何度自分に言い聞かせたことか。
大学に入ってからも、曲りなりに社会に出てからも、課せられた自らは望まない課題を与えられたときに「これしきを・・・」って思いながら、私のやりたいことを際立たせてきた。

今日の里中さんのお話は、ぜんぜんそんなことではなくって、手塚治虫が日本のあるいは世界の漫画界に与えた影響と、漫画という形式、絵と、短文と、第三者の視点から見せる構図、とが、自己の内面に抱えたものを顕わにしやすい形式であるというお話。

百回くらいうんうんうなづいて聞いた。

(後から、図書館界の人には、よりによってこの大会で漫画の話メインの講演でなくても良かったんじゃない、、、というような、講演者のチョイス、良くなかったんじゃないというような、あまり評価を得られていないことを知って、びっくりした。だって「マンガ」あるいは「アニメ」でもいいけれど、日本発の文化なのでしょう?日本を会場にした国際大会にふさわしいではありませんか)



そのあとは、英語の発表を聴く一日。

日本人の発表者の分科会を巡り歩いてわかった。
日本英語だからといって、聞き取りやすいわけでは無いということを。

他国の方々も、母語が英語ではない国はたくさんある。
お互いにカタコトの英語で、比較的速度がゆっくりであれば、聞けることは聞ける。
あとは内容について、想像の範囲の中で発表が行われていれば聞ける。

自分の英語力を、残念に思う時間だった。


内容に関しては多読についてのお話が多かったので、「多読」の流行りに関してはとっても勉強になった。
全体にとってはどうでもいいような、初歩的にすぎる質問をさせてもらったら、演者の方と仲良くなることができて、面白そうなコンテンツを紹介していただいた。これは持ち帰って、先生に見てもらおう!!


それと、世界のどこの国の学校図書館も、多くの国でおんなじように、学校の中の図書館の位置づけや、ライブラリアンの位置づけで悩んでいることがわかった。教員との意思疎通、授業とのコラボをどうするのか、、、みたいなお話がなされて、世界中にそこに悩む仲間がいるのだ、と思えるのはちょっと嬉しく、悩みがいもあるってことだ。
(実際は、本校では、そこのところであまり深く悩むことが無い。良し悪し別として)

by shiho_kato | 2016-08-25 16:46 | 学習ノート | Comments(0)

どの党、だれに、投票するか

イギリスが国民投票によりEU離脱を決めた。

EU離脱、残留について、この国民投票のことがあたがために?日本でも多く報道されるようになり、
私自身はその「多く報道」されるようになったがために、知ったという程度で、
これこれこういう理由でこちらにするほうがいいと思う。
と、理路整然と述べられるほどに、状況を学んでいない。

でも、なんとなく、
「ボーダーをなくそうぜ」で、通貨を同じくしていくところとか、ごちゃまぜを受け入れられるのは感じがいいなぁ、と思っていたので、
離脱かよ、純血主義というのか、国粋主義というのか、保守的というか、排他的というか、閉鎖的というか、そんな印象のことばが次々と染み出すようで怖い。


かさねて、トランプ。
あんな暴言を吐くようなひとが、大きくて力ばかり強いアメリカのTOPに座ったら、世界はめちゃくちゃだ。
でも、選ばれ、対立候補と二分するほどに支持されている。
アメリカ人ってバカじゃないの、と、強く言い捨てたくなる。
見るからに、聞くからに、知るからに、おそまつな人格のあれを支持できるなんて。。。
最後は選ばれることはないだろう、と、タカを括りたいところだけど、EU離脱が決まっちゃうような現代。
私の感覚で、昭和初期の思想性が漂って感じられる。
昭和のはじめだったら、何が起こっても、そう、たとえば大きな戦争が起こっても不思議はない。
「いま」はもしかして思う以上にそんな危機的な時代なのかもしれない。


あぁ、この流れ、日本も戦争する国にならんとしてる?
人の命より、国のなんとかの方が、大事と思われる時代にならんとしてる?(それとも、もうなってる?)


そのタイミングで参院選がある。
18歳から投票できるはじめての選挙だ。


イギリスの国民投票も、アメリカの直接選挙による大統領選も、
投じたひとり一票の集合体が結果を生む。

とくに、接戦だったイギリスの国民投票は天候により投票できなかった、とかとかいうことが、
すっごく大きく響く結果だった、かのように映る。

参院選には、離脱か残留かの二者択一、トランプかヒラリーかの二者択一、そういったわかりやすいスリリングな面白さがない。
候補者をながめて、一押し!!ではなく、これダメ、あれダメ、それダメ、のダメダメダメの消去法の中で、残った人に投じる「しかないか」な感じ。

盛り上がらない。

だけれど、それしか制度的に方法がないのであれば、
これは絶対にダメ、この人は絶対にダメ、この主張は絶対にダメ、ほんとダメ、絶対にイヤ、ほんとイヤ、
と、思う者へのNOだけでも、意思表示できる機会と思わなくては。

✖(バツ)投票ができればいいんだけどな。


東京選挙区は、立候補者が多い。
バツをつけていって、残りそうな数名の中の、誰?までいったら、せめて多少はバツ勢力に対抗できる受かりそうな人を選びたいものだけれど、そういう選び出すセンスがない。


に十年も選挙権を行使してきても、この程度の選び方、投票の仕方しかできないのだから、
今回、はじめて選挙権を行使する18歳(あるいは投票を放棄してきたが今回は投票しようと思うその他の年齢のひと)は、どんなふうに投票先を決めるのだろう。


自分のいい加減な選び方は棚上げして、他人のことだとヤキモキする気質。
こんなツールをで遊びながら、しぼっていくのもありかと思う。

投票マッチング

えらぼーと 2016参院選

みんなの政治 相性診断

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このところ、そこいらに漂い、私たちを支配しようとする粘着質な、保守、国粋、愛国心!?、そんなふるくっさいカビ臭いキナ臭いオドロオドロしい空気を発するポマード臭い居丈高な人たちから逃れて、大きく深呼吸できる「いま」を感じたいなぁ。。。
by shiho_kato | 2016-06-28 19:46 | 学習ノート | Comments(0)

ボランティアの内的動機

間もなくサイバー大学でのボランティア論・秋学期がはじまる。

8年目に入るだろうか。


一度収録したものを用いながらの授業。

私の中に流れてきた時間は、おのずと知識と経験とを増やす。

社会そのものも、地震や水害や噴火等々の自然災害等の
リアルな体験を増やしている。

そうなると(そうでなくとも自分に対しては)、
かつて収録したものに対して、冷ややかに批判的になるのも仕方なし。


その中で、あぁ、あの頃の私は正しかったな、と教えられものもある。


ボランティアで最も重要なのは「内的動機」であるということ。

私がいかなる場面でも、くりかえし教えられてきたことでもあり、
私自身が実感をともなって経験したことでもあり、
伝えるべき重要事項のひとつとして決して落としてはいけないもの。



一昨年から少しずつ、活動総量を減らしている。

社会的な使命感に駆り立てられるように始めたことも、
ときを経て、なんらかの成果だったり(成果がなくとも)、手応えだったりを得て(得なくても)、
ステージを変える時期がある。
3年だったり、5年だったりという時のサイクルだったり、
活動の内容だったり、契機は様々。

「がんばって」そこに携わらなくては「ならない」としている自分に気づいたとたん、
活動への関わりは、あっという間にウソくさくなる。


対価や称賛を得なければ続けられないな、
そう思ったときには、ボランティアの立場は放棄したほうがよい。
みなと同じ立場で、そこに関わることをやめたほうがよい。


そこをひとつの私自身のボランティアかそうでないかの線引きに使ってきた。

やめてしまった活動も、遠くから応援していることに変わりはない。
ボランティアではなく、アルバイトという形に変えたものもある。
できることを限りなく小さくして、「無理のない範囲」を狭めて関わるようになったものもある。


良くないのは、突き動かされるものに突き動かされて身を注いできたことを、
「心ここにあらず(熱意のない)」の状態で、続けようとすることだ。
おのずと、一緒にやっている人たちへの不満が増え、
いままでこなせたはずの仕事量が手に余るようになる。

そんなふうに、すでに内的動機が薄らいでしまった状態では、
活動の活力を削ぐばかりだ。


ボランティア論では、
ボランティアをしたことがない人が自らのうちにあるボランタリーな、
ぼんやりとした何かしたいを、
はっきりとした輪郭を得たり、
さらに進められる人には手応えをもって感じてもらえるようになればいい。





私自身
賃金をもらって働く立場に変わったならば、関わりは変わる。
かつてNPOで働いていたときに、そこをもっと
by shiho_kato | 2015-11-12 14:59 | 学習ノート | Comments(0)

読むこと、書くこと、学ぶこと

学ぶとは何か。

この夏のテーマだった。

先月号の『世界』に、子どもの貧困でご一緒させていただいている中嶋先生の記事を発見した。

・・・・・・・・・・・・・・
中嶋哲彦「子どもの貧困からの自己解放」世界2015年8月号
「その(ユネスコの「学習権宣言」)中に、学習権とは自分自身の世界を知り、歴史を書き綴る権利であるという印象的な一節がある。
ここで「自分自身の世界を知る」とは、自分を支配・抑圧する他者にとって都合よく描かれた世界像(自然、人間、社会)の押しつけに甘んずることなく、自分自身の視点に立って世界像を描き直すことを意味するのだろう。そして「歴史を書き綴る」とは、自分自身の文脈から歴史を再解釈することを意味する。
(中略)
要するに、自分自身の世界を知り、歴史を書き綴る権利とは、他者から押しつけられた世界像・歴史像・自己像を乗り越えて、世界と歴史の認識を通じて尊厳ある自己像を確立する権利が保障されなければならないと言っているのだ。」
・・・・・・・・・

学びとは、
「自らを見つめながら、自らの人生のストーリーをこの世界の中に描きこむこと」
そして
「その自ら描く権利を(学びの権利として)保障されなくてはならない」
と、読み直すとしたら曲解だろうか。

なんてステキで力強くて、命を生き長らえさせることを支えるのにふさわしい学び観だろう。



・・・・・・・・・
勤務校司書教諭・国語科教員S先生は言う。
「図書館は、人が評価者の視線から逃れて、自己の物語を作り、自由な存在になっていく、とても大切な場の一つで、自由な学校であるべき本校には、そのような場所こそが本質的に必要とされている」

S先生は、生涯に渡って書き続けることができる生徒を育てることを目的に教育を行っているそうだ。
その技術をいっそう高めるために、一年間日本を離れた。

・・・・・・・・・

それは、中嶋先生とS先生と、おふたりの言葉が見事に響きあうことに、
驚き、心がふるえた。



私はしがない本読みだ。
そして、読んで読んで読んで生きのびてきた。
狭いキャパを溢れさせながら。
飲み込めない、溢れこぼれてしまうものに溺れかけながら、
私を紡ぐ物語の糸を頼りに、生きのびてきた。

その実感を片手に抱えながら、
本のかけがえのない力は物語を作る力を養うことにあると思っている。

さまざまなバリエーションの物語を無限に描く想像力がたくましくなることで、
いま置かれた苦しい状況を越えていく力を得ることができると信じている。



自由を保障する図書館を、
自らの物語を描く力を養える図書館を、
学びの根にある自らを獲得していくための図書館を、
どうかここに実現できますように。

それがこの夏、考え続けてきた「学び」に、得た答えだ。
by shiho_kato | 2015-09-02 20:51 | 学習ノート | Comments(0)

1歳の学び、15歳の学び

「自立した学び手」備忘録。


1歳の子は、ボックスティッシュを見つけ、箱をあれこれ弄り回したのち、ティッシュは引き出せることを知り、空になるまで、ティッシュを引き出す。

2歳の子は、新聞紙を丸く丸めてボールにし、棒のように丸めてバットにし、バットでボールを打つ遊びを生み出す。

どちらも、誰に教えられたのでもなく、
自らの工夫と創意をこらして行う行為だ。

私にとって彼らは学び手である。


定時制高校に通う15歳の少女。
通学のための交通費は自らアルバイトをして稼ぎださなくてはならない。
学用品も、学校で食べる食費も、自らの稼ぎで賄う。
体調を崩しアルバイトが中断するやいなや、
学校までの交通費をまかなえなくなる危機に幾度も遭遇しながら、
なんとかやっとのことで学校に通っている。
「安心して学ばせてください」
か細い声で訴える彼女は、
学ぶ意思を自覚し、学ぶ場と時間と機会を自ら欲している立派な、
学び手である。


私たちは、日々の生活の中で、心を動かし、頭を動かし、手を動かし、足を動かし、
新たな何かに遭遇し、解決しながら、生きている。
生きる人はみな、1歳でも、15歳でも、80歳でも、みな学び手だ。


自らの意思で、自らあがき、自ら選び取った手段で、自ら解決に向かおうとするとき、
「学び手」は、「自立した学び手」となる。
1歳でも、15歳でも、80歳でも。


私は、それを支える人になりたい。
私は、そこに寄り添える人になりたい。
私は、それを見守ることのできる人でありたい。
by shiho_kato | 2015-08-05 18:28 | 学習ノート | Comments(0)

学校図書館研究会全国大会 2015埼玉大会

熊谷開催。

朝4時半に起き、
子どもたちのお弁当と学童に行く用意をし、
温めるだけで食べられる夕食を用意し、
6時に家を出た。

予定通りの電車に乗り、小さく息を吐く。
これで、今日の予定の3分の1はクリアできた。

午前中は実践報告を聞いた。
杉並区立久我山小学校の横山寿美代さんのお話。
卓越した話術にぐいぐいと引き込まれた。

常勤であろうが非常勤であろうが、
学校司書として何を大事にし、何をなさねばならないか、は、
変わらない。

心意気の問題を、あらためて力強く訴えるメッセージ。
日々奮闘しては、非常勤であることに心のつかえを感じる方々に向けた、
プライドもてとの励ましを120%発揮したお話。

社会全体の雇用のゆがみを学校司書も一部引き受けて、
雇用の問題、待遇、処遇、格差、同一の労働を行うもの同士、看過できない。
であるけれど、それでも、大事にしなくてはならないものを、
そこに負けて折ってはいけない。
そんなメッセージを受け取った。

続いての小林聖心女子学院の山本敬子さんのお話は、
前職の甲南高等学校・中学校での実践を伝えるものだった。
甲南の教員やとりわけ生徒たちが教えてくれたことへの
感謝と敬意を伝えたい気持ちがにじむお話だった。

人に向けてお話すると、体系だった美しい図式で伝えることになるけれど、
本当の現場は、混沌とした中から探り当てていって
たどり着いた結果を、振り仰ぐとこんなことでした、というお話なのだろう。


午後は分科会①学校図書館の教育力というタイトル。

前半は
学校図書館において教育力が発揮されるためのチェックシートが提示され、
模範的実践を行っている学校から、チェックシートにそって実践の具体例が話され、
ミニシアターで、正しくない司書と司書教諭のあり方実演8例を演じられた。

後半は、
グループに分かれ、
チェックシートのチェック
ミニシアター実演の再構成
実践報告に学ぶことを話す
三つのワークを行った。

チェックシートを見ながら途方に暮れる。
ひとつとして◎をつけられる項目が無いような気がして。
×がついてしまう内容を◎にする努力を現場でしてみたとして、
より良い環境づくりを進められるかどうかイメージが湧かなかった。

前のチャイルドラインの仕事でも、全国の数十の団体の
支援活動の内容と質の確保のためにチェックシートを作った。
作るプロセスでは、この紙の上の項目チェックだけで
活動の内実ははかれないことを自明とし、
それでも他の方法でバイアスのかからない方法は無いのだからと、
半ばあきらめて作り上げた。


この学校図書館のチェックシートも、作るプロセスに立会い共に作業をしていれば
このチェックシートの限界性にも思いを致しながら、
せめてもの、、、の気持ちになれるだろう。

できあがったものではかられる側は、
こんなにもびくびくと苦しい気持ちになるものか。
しみじみかみしめながら、立場の異なりは想像を超えることを
あらためて思い知った。

◎をつらねて嬉々としている姿に、これを励みにされてください、と心の内でつぶやき、
◎のつかなさにため息を落とす姿には、これはあくまでごく一部、と心の内でもらす。
そして、双方これが目指すべきすべてであるとの勘違いだけはしないでください、と祈る。

そんな声かけを十分にしえず、チェックシートが独り歩きし、
絶対的尺度と成り代わっていくことを止めえなかった
チャイルドライン時の贖罪か。


我に返り、この分科会の運営者でもないくせに何を考えているのかしら。
私には謙虚さが欠けている?
反省し、学ぶ姿勢が欠けている?


学校図書館の内容以前に、
自らの姿勢へのダメ出し気分が多くを占めた時間だった。


学校図書館の教育力。。。
学校図書館が発揮しようとしている「教育」とは何か。
そのイメージをすべての学校で等しくしていく作業はとても難しいだろう。

いま私にチャレンジし得うるのは自分の学校における「教育」のイメージを結ぶことだけなんだ。
そのことが今日のいちばんの気づき。


分科会の終わりまで残ると、
子どもたちは夕飯ばかりはお風呂の時間まで子どもだけで過ごすことになる。
不可能ではないけれど、そこまでの腹をくくれずに、
まとめの時間の前に退席した。
by shiho_kato | 2015-08-03 21:52 | 学習ノート | Comments(0)