むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:私ノート( 536 )

「勉強しなさい」(オマエモナ)「スマホいじるな」(オマエモナ)ー我が身を正さん

昨日、ついうっかり、「むむちゃん、スマホばっかり!」言ってしまった瞬間。
(オマエモナ:もうひとりの私の心の声)
即、自分に返ってきた。

そうだよ、きっと私のスマホに触る頻度があがっているからなんだよね。(PTAや、かるたの連絡回数がこの2ヶ月くらい倍増しているから・・・という言い訳)

我が身を正してから、言えるようでありたいよなー、って思う。
(思い先行で、70点程度の出来だけれど)



保護者会に行って驚いたこと。
「うちの子、勉強しないんです。毎日「勉強しなさい」って言い続けてもう疲れて嫌になります。」
次から次へと、半数以上7割近くが、「うちの子勉強しない」ネタだった。

最後にそれらを受けて、先生がゆるりと
「「勉強しなさい」を言うのは私たち教員の仕事ですから、どうぞご家庭ではこらえてください」
と引き取ってくださって、ホッとした。


↓これは、以前、子どもの貧困について日本女子大でお話した際に紹介した資料だ。
「図表1-1-17親の子どもへの接し方と子どもの学力との関係」(出典 文部科学省:お茶の水女子大学委託研究(平成20年度)より)

グラフの見方は、上に高く伸びるほど、好成績との相関関係が強い。下に低く伸びるほど、悪成績との相関関係が強い。

読み聞かせをしたり、美術館博物館に連れて行ったり、家に本がたくさんあったり、ニュースや新聞記事について一緒に話したりすることが、子どもの学力に好影響を与える。ということだ。

日本女子大では、Wワークやトリプルワークをしないと必要な収入が得られないひとり親が読み聞かせや一緒に話す時間がなかったり、本を買うお金や美術館博物館に連れて行くお金が無いことが、食べられない着るものが無いとかそういうことだけじゃなくって、影響があるということについて話した。
このデータを見て、紹介しながら、胸がしくしく痛んだことを思い出す。

そして、親の目線として、これは忘れないでいようと思った2つの項目。
「ほとんど毎日「勉強しなさい」と言う」のずば抜けてマイナスの影響。
「親が言わなくても子どもが自ら勉強する」のプラスの影響。


そもそも私自身が、学校(塾を含む学力を上げるだけ)の勉強がいちばん大事である、とは、まったく思っていない。
なので、そうそう「勉強しなさい」を連呼することは無いような気がする。

でも、ついうっかり易きに流れて言ってしまいそうな、気軽なワードでもあるんだ。
「テレビばっかり見てないで、勉強しなさい」
「スマホいじってないで、勉強しなさい」
「ぐずぐずだらだらしていないで、勉強しなさい」
あぁ、なんて易い言葉だろう。

保護者会では、ほぼほぼ「ゲームばっかりしていないで、勉強しなさい」だった。
ゲームを与えたのは誰なのか?未就労者である子どもたちの持ち物は、大人がコントロールできてしまう。(収入を得ることができない子どもは、大人からお金なりモノなりを得るしかないから)「ゲームばっかり」のおおもとの原因をそうして作っているのであれば、その後のことは、喜ばしくても残念であっても引き受けるしかない。


私自身は、
「マンガばっかり読んでないで、勉強しなさい」とは、冗談でしか言えないと心得よ、と戒めている。
我が家にあるコミック類は私が責任をもって、提供しているものたちだからだ(一部サンタさんのプレゼントもあるが)。
(友人から借りてくるとか、図書館から借りてくるとか、世界は広がってゆくので、
私が持ち込んだもので無いものに関しては図々しくしゃあしゃあと文句を言う。)

ヒトがゲームをしてる姿を見るのは好きじゃないので、私自身もゲームをしないようにしている。
ヒトがスマホばっかりいじっているのを見るのは好きじゃないので、私自身もいじってばっかりいないようにしている。(が、なかなか難しい。)

むむちゃんにスマホを買い与えて、あーあ・・・と思うこともあれば、良かったと思うこともある。
購入費や利用料金を私が払っている間に、程よいスタンスでスマホを扱えるようになるようにと思って渡したのだから、
あーあ・・・、も、良かったも、私自身の感情は私が引き受けて、時々ブチブチ言いながら、
望ましく無い使い方の手本にならないよう、私自身の身仕舞いをしゃんとしてなくっちゃいけないと思う。



そう。「勉強しなさい」と言いたくなる親は、まず自身が勉強するといい。
勉強する姿を子どもにガンガン見せるといい。


たとえば、はじめにあげたような「勉強しなさい」の連呼が、学力に悪影響を与えるとかは、ほんと、知っておくといいと思う。
勉強しなさいって言うよりも、ニュースや新聞記事に書かれている出来事を一緒に話すネタを集めるために新聞に目を通すとか、博物館や美術館に連れ出すつもりでまずは自分が下見に行くとか、すればいい。


「勉強しなさい」って言える時間に、家に居られるのだから、尚更。
家で何をしているかわからないくらい、外で働かなくっていいのであれば、尚更。
と、子どもの貧困的思考の続きでそう思ったりもする。

(ちなみに、この調査は小学校6年生対象だ。だから、中学生は全然違うと考えるか、似たようなものだと考えるかは、人によって違うだろう。)




子どもたちが伸びていくために、必要な親との関わりについて考えるときの参考材料として
私が持っている資料の一部をメモがわりに載せておく。(自分で見返すため)


先ほどの文部科学白書から。
①平成21年度文部科学白書 第1章「図表1-1-18親の普段の行動と子どもの学力との関係」(出典 文部科学省:お茶の水女子大学委託研究(平成20年度)より作成)
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にわかにお菓子作りをしてみたり、これを見て本を読みはじめたり、ワイドショーではない時事ネタに関心を持ったり、コンサートに出かけたり。
時間とお金が許すのであれば、どれもこれもいいじゃないか、生活が豊かになりそうだ。


内閣府「平成25年度小学生・中学生の意識に関する調査」
この調査を読むと、反抗期と言われる中学生たちが、親を信頼しているからこそ安心して反抗できているんだなー、と思ったりする。

ベネッセ教育総合研究所「小中学生の学びに関する調査報告書(2015)」研究レポート5自己効力感が高い小・中学生はどのような子どもか」より
(この調査は、母親ばっかりをターゲットにしているところが気持ち悪いのですが。)
この調査を読むと、何はできなくとも、子どもたちに対し、励まし、信じ、よくがんばってるなーっと、思える私でさえあれば、あとはなんとでもなるんじゃないかと思えて気が楽になる。
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ベネッセ教育総合研究所の調査は、時間があればつまみ読みするといいと思う。なかなかできないけれど。






by shiho_kato | 2017-05-26 20:15 | 私ノート | Comments(0)

陣馬山から高尾山縦走

陣馬山、初登頂。
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藤野駅から、一尾尾根コースから山頂を目指しました。
1時間20分くらいで、てっぺんに到着。

こいのぼりがたなびき、富士山がくっきり大きく見えた。
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ここから尾根づたいに高尾山を目指す。
明王峠は直ぐ。
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気づいたら景信山に到着していた。
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更に尾根づたい。
小仏峠から城山へ。
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城山から高尾山はあっと言う間だった。
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高尾山は山頂を迂回して稲荷山コースから下山した。
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しめて19kmなり。
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高尾山口駅の極楽湯でとっぷりたっぷりお湯につかって手足を伸ばしたら、じわじわ疲れが溶け出していった。

お風呂あがりのご褒美ソフトクリーム。
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筋肉回復に、たんぱく質は焼き鮎!美味しかった。


GW中で混んでいることを覚悟していたけれど、高尾山以外はスイスイ。極楽湯も人は多いけどゆっくりつかれた。




ぷうちゃんやむむちゃんを連れて行きたい。

by shiho_kato | 2017-04-30 17:31 | 私ノート | Comments(0)

保護者会✖︎保護者会✖︎保護者会✖︎保護者会=???

火曜日、14時ぷうちゃんのクラスの保護者会

水曜日、16時半ぷうちゃんのPTA広報の顔合わせ・役職決め


土曜日、8時半むむちゃんの学校公開

    10時ぷうちゃんのPTAの運営委員会

    1045分むむちゃんのクラスの保護者会

    15PTA広報の印刷所への引継挨拶

    17時むむちゃんのかるたの保護者会


日曜日、12時半PTA広報の仕事の引継(PCや印刷機の使い方、データの場所等)

    13時ぷうちゃんの子ども会の保護者会




これが私の今週&この週末だ。




※以下、ただただ、今年は大変そうだなぁ、、、、乗り切れるのかなぁ、、、、と、びびっているだけのグチグチグチグチグチグチの発散のために書いているばかりの、独り言なので、鼻で笑って読み飛ばしていただいた方がありがたい。

(ほら、このブログは、きわめて個人的な雑感を気ままに述べるばかりのブログであって、意見の公平性、平等性、緻密性、信頼性は担保する気は無く、私の中に溢れる言葉の行き場(場合によっては墓場)として、書いているものなので)






この保護者ウィークで、子どもたちとの家庭生活が崩壊しないのは、ひとへにむむちゃんが中学生、ぷうちゃんが小学4年生という組み合わせ故だ。週末の子どもたちに、私と過ごす以外の場所が確保されている故だ。


これで私が崩壊しないのは、フルマラソンを走れる体力を養い、走ることでストレス発散できることを知っているためだ。42kmをジョギングできる気長さで私がブーブーブーブー言うのをふんふん聞きながら週末に、掃除とか洗濯とか買い物とかを肩代わりしてくれるマサさんのおかげだ。(今週は毎晩お願いしたかった)



これが、むむちゃんが小学4年生、ぷうちゃんが年長さんっていう組み合わせの頃だったら、アウトだった。むむちゃんが小学1年生、ぷうちゃんが2歳という組み合わせの頃だったら、我が家は壊滅ものだ。






PTAの広報では、副委員長を引き当てた。つくづく委員長でなくて良かったと思う。




三つに分けたチームのリーダー役が主な仕事なので、小グループを仕切ってしまえるのはやりやすい。不慣れな人について行くよりもよほどいいだろう。他のメンバーにとっても、私にとっても。


むむちゃんの時にもやった係であるし、仕事でもやりなれた内容を選ぶことができてラッキーだったと思ってる。


しかしながらだ、副委員長ってことで出なくちゃならない会議やら、挨拶しなくちゃならないところやら、引き継がなくてはならないことがあることを知り、重いため息を飲み込む。






学校とか、部活とか、地域の子ども会とか、保護者の理解と協力が必要って。

わかってるよ、そりゃ大切さ。

だけど、子どもたちとの生活をそっちのけにできるほどに大切とは到底思えない。





と、主張するほど、学校でも部活でも、まったく貢献してないくせに、何を言うかって話だけど。





子ども会に関しては、地域の恩恵と使役は、天秤にかかるほどかみ合っているように思えない。そこでの働きで、ご近所の方々とお知り合いになることは無いし、子どもへの眼差しを得られている実感がない。よりみちとか、かるた会での出会いのほうが、たしかな手応えがある。かるた会の方が地域への貢献度は高く、子どもたちが文化を共有するという意味で得られるものが多い。(私個人の、手応えであり、実感であり、汎用性があるとは思わない)




今週続いた平日午後の保護者会やらPTAやら。

勤務時間にくい込む場合には、有休無かったら減給ですぜ。

ひとりで稼いでる家庭で、減給は、即・即・即、生活に打撃をこうむるわけです。

PTAの活動で、年間にいくら稼ぎを減らされるんですかね。

それによって、落ちてく生活水準は、どうやって担保してもらえばいいんすかね。

(保護者会は仕方ないや、先生の勤務時間内にやらなきゃならないものだから)


有休は勝ち取ったし、子どもたちは大きく育ってくれていて、どちらもしっかり者だから、これらすべて、仮定の話で済んでいるけど。

どっちかっていうと、私のこの状態が恵まれているんであって、仮定の話の方に陥るリスクの方が高いのが実際のところだけど。






やるからには、きっちり仕事する気があるから。

PTAに関しては、まだ引継前だけど、もう5月に発行する号は役割を振って作業を開始した。仕事の中身そのもは、そんなに多大な負荷があるわけではない見込み。


だったらブーブー言うほどのことも無いだろって、自分で自分につっこむ。


でも、ね、これだけ家庭崩壊のリスクと隣り合わせて、ハラハラぎりぎり切り抜けている緊張感は、ブーブー言って発散しながらじゃないとできないっすよ。





でね、おんなじように、ぎりぎりで厳しい人、ぜーったい居るもの。

だから、図々しくいられる私が、書いておこうって思う。

一年なんとかやり過ごして、あぁ終わった終わった、もう二度と無いからさっさと忘れよーって、済ませてしまいそうだから。



ブーブーの愚痴の代わりに、
私の次にやる人が、最小限の作業で、最小限の時間で、一年の役割を終えられるようにしようって思う。
子どもとの時間を極力削られずに済むように。それがミッション。



去年の副委員長で私に引き継いでくれるぷうちゃんの同級生のお母さんは、とっても丁寧な方で、負担が少なくなるようにって、準備の良い引継メモを作っておいてくれた。


だから、顔合わせ初日にも関わらず半期分のスケジュールと役割分担を終えることができた。


これを、もちょっとブラッシュアップしておけば、一年生お母さんたちが学童のお迎えに間に合うように終えることができるはずだから。










ブーブーついでに付け加えておく。


「PTAは義務でも強制でもありません。PTAはボランティア活動のひとつです。」


細々とながら曲がりなりにもボランティア論を教える立場で、私が携わるPTAに照らすならばPTA活動はボランティア活動じゃない。


ボランティアの原則「自発性」「無償性」「利他性」(「先駆性」)のうち、「自発性」に基づいてPTAに加入していると自覚するメンバーはごく一部だろう。

在籍6年のあいだに必ず一年は役を担うことと決められている時点で✖。


子どもたちを小学校、中学校に通わせる義務が保護者にあって、それに付随して発生するものであるから、義務の枠の延長(厳密にはPTAは任意であるが、子どもの公平性を代償として支払うことと引き替えであり任意とは言い難い)。部活も子ども会も、この「学校に通わせる義務」が発生していなければ、帰属することも無いものだ。



この連日の保護者会ウィークのなかで、ボランタリーな位置づけになるのは、かるたの保護者会のみだ。かるたは、義務でも強制でもなく、むむちゃんの意思で通いたいものとして選んでいるものであるから。



この保護者会とかPTAの使役は日本特有の仕組みなのだろうか、ほかの国ではどうなんだろう。



一足飛びに無くなってしまえとは思わないけれど、ほんっとうに必要なところだけに絞って、それは学級委員的位置づけで、任意とかなんとかじゃなくってそれこそ決め事でやるほうがいい。

任意とかボランティアとかいう言葉で、実態と異なるオブラートは持ち出してこない方がいい。その際に全員持ち回りみたいなのはやらない。それほどたくさんの「必要なところ」が無くても回せる絞り方をしなくては意味が無い。


それ以外は、やってみようかな、と思う人がいない係は無くしてしまうくらいの整理をして、必要だって思う人が集まって必要だって思う係をする、っていう流れにならないかな、って思う。

だって、運動会の保護者の綱引き、無くなったら残念って思う人がいるならば、残念って思う人たちがやろうやろう、で、やる方が盛り上がるもの。












このブログ、おそらく近しい方々も読んでおられて、PTAの活動を積極的になさっている方ももしかしたら目にする方もいらっしゃるかもしれないので、しつこいけれど誤解の無いように書いておく。




PTAの活動、あるいは保護者会の活動に、自らの積極性を発揮し、自覚的、主体的、能動的に取り組まれている方々を揶揄するものでは無いことは、全文を読んでいただければ理解いただけると思う。


子どもたちの学校生活、家庭での生活、そして糧を得るための仕事をギリギリまわして、時間ビンボー、お金ビンボー、健康だけはなんとか担保しながら、生きてるモノ(私のように)には、PTAは時間的重荷であり、活動の中のいくつかの必要性を見いだせない作業は心の健康を減じるものである。


と、私は私の置かれた条件の中で考えるけれど、それは私の考えであって、他に押しつけるものではない。



同時に、PTA有用論を押しつけられたくも無い。


相容れないふたつの考え方がそこにあるだけだ、とご理解いただきたい。


by shiho_kato | 2017-04-21 22:24 | 私ノート | Comments(0)

桜の道@多摩川

早朝のいつもの多摩川は桜桜桜。

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ゆっくりと走った。

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2kmに渡る桜のリバーロード。

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桜のトンネルを抜けたら。

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にわかに口をつく。

「生きてやる」


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「生きてやる~っ!」


ってなんだっけ?

あ、そうか。

「世界から猫が消えたなら」の宮崎あおいちゃんが叫ぶセリフ。



木乃花咲耶姫の精にとっぷりと触れたからだろうか。儚いはずの桜に似つかわしく無い強さでこみあげる。



何があっても、生きてやる。

生きている限り、この道の続く限り、

私は私の生を、生きてやる。

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by shiho_kato | 2017-04-09 08:00 | 私ノート | Comments(0)

はじまりの陰鬱

四月の平日初日。

今日は、一年の中でも新たなスタートを切る人がもっとも多い日だろう。
通勤の電車はピカピカのスーツ姿に溢れている。


そして。
私は、この日が苦手なんだ。

この日にキチッと切り替える場に居合わせる体験が少ないのだけれど、過去に二度のそれを思い出しただけでも、ずっしり重い気持ちになり、脂汗が滲んでくる。


一度目は、はじめての転職?女子高の司書として勤め始めるその日。
一年間の休職のあとだったのと、春休みでもあって、むむちゃんのお昼のお弁当の用意と一日を過ごす先の確保に迷走。ぷうちゃんを時間通りに保育園に預けて朝出勤する、という手筈をこなすところまでで、どっと疲労感。
通勤電車も久しぶりで、4月のはじめの日は常になく乗車率が高くって、着なれないスーツも(この人入学式、卒業式しか着なかったけれど)体を緊張させた。
帰宅時には疲れきって車内でつのる気分の悪さを、保育園のお迎え時間を思い、必死にこらえた。たどり最寄り着いた駅でトイレに駆け込み、その足で保育園にお迎えに向かった。
保育園から家までの道のりも、そのあとの夕飯を作ったりなんだりも、ボロ雑巾のようで、その翌日からこの日々が延々と続くことに私の体は耐ええないかもしれないと思った。


二度目は、今の勤務先への転職。
今までよりも早い出勤で、ぷうちゃんを保育園に預けるのに、通常の保育時間では間に合わないから、はじめて早番の時間をお願いした。やっぱり春休みで、むむちゃんの一日の確保とお弁当づくりと、ぷうちゃんをいつもよりもはやく起こして食べさせて、はやく家を出て、、、というプロセスに汗だくになった。
通勤の電車はフレッシュマンで混んでいて、全体的に高い感じのテンションがみちる空間に辟易しながら。
勤務先近くの桜にほんの少し心がほどけた。
書類を書いたり、説明を聞いたり、あちこち紹介していただいたり、ご挨拶したり。情報量が多すぎて、処理が追いつかず、後半はあふれるばかりだった。
ぷうちゃんの保育時間は、帰りも今までよりも遅帰り。勤務時間終了と同時にダッシュ。
長くなる保育時間と、短くなる家事時間を、私はやりくりできるようになるのだろうか。
増大する不安を懸命に打ち消しながら、眠りに落ちる夜だった。



はじまってさえしまえば、人は適応する。
適応できる範囲でしか、できないものはできないということを身に刻み、
できる範囲の中で、チューニングしながら出力することが可能になっていく。
だから、たいていのことは大丈夫なんだ。

と、今は知っているけれど。



今朝のピカピカする人たちの群れの中で、パリッと切り替える日として今日を過ごさずに居られることに安堵する。そして、この中にひっそりと紛れこんでいるはずの同類たちに、ガンバレだけどガンバルナと、エールを贈る通勤路。




はじまりはフェイドイン。終わりはパツんが私は好きだ。
いつはじまったのか気づいたら始まっていた。
片付いても片付かなくっても、これで終わりです。
っていうのが、私は好きだ。



マラソンの大会によく似ている。
長い列の中程にぼんやりと佇み、号砲にすら気づかず、スタートラインまでだらだら進む。
いつスタートラインを踏み越えたか、うっかりすると気づかず踏み越えてしまう。
でもゴールはきっぱりしている。はい、ここでおしまい。



新しいスタートの日。
今日をシャキっと過ごせない人も、
今日を明るく前向きな気持ちで過ごせない人も、
フェイドインOK。
ぼんやりした時間ののちに、気づけばリズムに乗って日々過ごせている自分を発見したその日からスタートだと思えばOK。


桜が眩しいぜ。
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by shiho_kato | 2017-04-03 17:13 | 私ノート | Comments(0)

ワンオペ育児と、ひとり親育児

似てて非なる。

ってことを、うっかり忘れそうになる。


決定的に違うのは、
家計をひとりで担っていること。

ワンオペは、育児がどれだけひとりでも、家計に金は入ってくる。
ひとり親は、育児はどれだけひとりでも、稼がないことには、びた一文加わる収入が無い。


一緒だよねーーー、タイヘンねーーーって、共感しそうになる自分に、うつけ者の大バカ者〜〜〜〜って言ってやりたい。




ついでにワンオペ育児を嘆きつつ走ってるランナーには負け無い。

ちっちぇなわたし。
だけど、しゃんと立つ力を養えるんだったらそんな意地もアリってことで。


by shiho_kato | 2017-03-29 19:11 | 私ノート | Comments(0)

6年目。

6年目は。


社会保険無し
年休無し
健診無し



給与の額面、勤務時間

しか、おんなじじゃ無い。

今までと全然違うっすよ。



びっくりし過ぎて。

怒りより悔しさが、悔しさより悲しさが、ジワジワジワジワジワジワ膨らんで、がんばった一年も、がんばってきた五年も、バカみたいっていう気分になる。



もちろん、感傷に浸ってもなんにも動かないから、交渉しますけどね。


甘かったぜわたし。

by shiho_kato | 2017-03-22 22:40 | 私ノート | Comments(0)

バレンタイン・デーと、あれから2年の私たち@上村くんの冥福を祈る

バレンタインデーは久しぶりの平日休み。

朝から、ぷうちゃんと学校へ向かった。
1分間スピーチをできないと、先生に伝えるために。

ぷうちゃんは小さな声の早口だったけれど、
「1分間スピーチ、できません」と、自らの口で先生に言うことができた。

先週休んだ際に、事情を伝えていたので、先生の方も心得たもの。
スピーチのために用意した原稿は受け取ってくれて、
今年度中にあと二回あるみなの前で発表する機会について、説明して尋ねてくれた。

「ひとりだったらムリ」「二人組だったら大丈夫。できる」
自分の口で言うことができた。

簡単にこれで終わりにはならないかもしれないけれど、息を潜めて体を丸めて小さくなって追い詰められるのとは他のやり方を、一緒にひとっつ追加。


*・*・*・*・*・*・*

平日のお休みで、保育園やよりみちや児童館やかるたや、他の用事が何も入っていない日は滅多にない。


今日は、行きたいところがあった。
電車や自転車では不便な、走っていくのがいちばん便のいい場所。
足の故障がだいぶよくなって、ようやくそこまで行ける。

多摩川に出て、川沿いの川崎側を海の方へ向かって走った。



上村君のことがあってから、間もなく2年。

子どもたちをひとりで育てるために働く母。
朝は子どもたちよりも先に家を出て、夜は子どもたちよりも後に帰宅して、だから学校に行っているのかどうかわからない。

それは、とても他人事とは思えなかった。

あの時から、きっぱりと、子どもたちを見失わないことを、優先順位の一に決めた。
子どもの貧困や地域の子どもに関わる夜の会議や活動に参加することを一切やめた。


この一年は、ぷうちゃんが学校に行っていないことを、学校からの連絡で知ることが幾度もあった。
むむちゃんが機転をきかせて連絡をくれなかったら、もっと多かったに違いない。

そのたびに、私は何をやっているのだろう、と、打ちのめされて、責められるような思いに塞ぎ込み、
そちらの方へ転がっていかないように、ここで踏みとどまらなくては、ここで戻さなくっては、と、焦燥感に駆られた。

苦しいけれど、その緊迫感のおかげで、たとえば今日のようにひとつずつ解決する方へと、向かうことができているんだ。



走ってたどり着いたそこには、前回訪れた時のひまわりは、もう無かった。

幾度か火災が発生しているそうだ。
それでも、追悼の花々が置かれることを妨げないように、定期的な清掃を川崎区でしているそうだ。
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ガーベラに、カーネーションに、梅に、鮮やかな花たちは、今日、昨日のもの。
見守り続けている人が居る。

今日はバレンタインデー。
チョコレートのお菓子を持ってきた。

取り出しながら、ふと思う。その日の数日前、二年前のバレンタインデーに、彼女は息子の上村君にチョコレートをあげただろうか。笑顔で渡し、笑顔で受け取る様子を思い浮かべて、涙が溢れて止まらない。


その後を、彼女たちはどのように生きているのだろう。

兄弟にまだまだ小さい子どもたちが居たはずで、お母さんとしての役割を果たし続け、生活をコツコツと続けていかなくてはならない。
子どもたちは、兄弟の一人をこういう形で失ったことを、それへの世間のあれこれの中をどう生き続けているのだろうか。

私だったら・・・の、先の想像は、恐ろしくてできない。
そうではない今を、そうならないように、生き続けることばかり。



お母さんがんばれ。子どもたちがんばれ。
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信仰心はないけれど、川の神様、どうか彼女たち一家をお守りください。どうか。どうか。
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ぷうちゃんの、今日の学校での漢字検定の話や、テニスで級があがったり、今日の勝ち抜き戦に勝ったことをウキウキと話す声を聞きながら、
友チョコをたくさん作り、たくさんもらって帰ってきたむむちゃんの浮かれたにぎやかな声を聞きながら、
いつもよりも、少しだけ整えてバレンタインデーの夕ご飯。
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大好きだよ。大切だよ。だから、居なくなってはいけないよ。




強く祈り過ぎるのも、願い過ぎるのも怖くて、だけど力が入ってしまい、奥歯を噛むように祈る。


by shiho_kato | 2017-02-14 20:16 | 私ノート | Comments(0)

たかのちゃんとおしゃべりをしに

かるたの練習がなくて、走ることもできなくて。

いいお天気で、室内で映画を見る気にもなれなくて、読書だけで過ごすのは物足りなくて。

やるべき家事が目に付くお部屋からは脱出したくて。

やるべき仕事ができてしまう環境からは遠ざかりたくて。

たかのちゃんのところに出かけた。
ついうっかり、一年以上が経ってしまっていることに気づく。

水仙と菜の花にポピー。
明るい色のお花を選んで。

たかのちゃんのところには、まだ青いお線香。
もしかしたら午前中、あるいは昨日、おうちの方が来ていたのかも。
も少しはやく着いていたら、お母様にお会いできたかしら。

梅と木瓜の花がすっくと空に伸びていた。

おしること肉まんでおしゃべり。
たかのちゃんがこの時期に買うのは、おしることコーンスープだったよね。
コーンがうまく口から出てこない、あずきが口から出てこないって、クルクル回しては仰いで飲んでた。
たかのちゃんは肉まん派だったよね。あんまんでも、ピザまんでも無かったよね。

こんなことがあってね、あんなことがあってね、こーでね、あーでね、
だよね、そうだよね、ちがうよね、それでもいいよね、そうじゃなくってもいいよね


なんでも、大きい目をびっくりさせたり、ぎゅっとつぶったりしながら、
うんうんうんうん聞いてくれるたかのちゃんに、
今日は甘えに来たんだなー。

よくしゃべる自分の口に、驚いた。


満足して、まわりを見渡すと、空きの多かったところがポツポツと埋まっている。
たかのちゃんと向かい合わせるように、「当歳」の子。
10歳かと思ったけれど、違った。1歳の子なのね。

たかのちゃんのもとにはお花がたくさんだったから、いくつか分けていいよね、って、
水仙とポピーを二本ずつおすそ分けした。

おちびちゃん相手に、怖い話ができるね。
怖い話をするには、まだまだまだまだおちびちゃん過ぎるかな。


じゃあね、またね、と手を振った。
たかのちゃんの大きな笑顔に見送られて、もう少しがんばれそうな気持ちになった。

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by shiho_kato | 2017-01-15 15:56 | 私ノート | Comments(0)

誕生日

ひとつ歳を重ねて
ひとつ楽になっていくような気がする40代。
生きねばならぬ債務を一年一年返して行くようです。
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かぼちゃのチーズケーキにグラタン。
まんまるふろふき大根は柚子味噌で。
土曜からの代休のむむちゃんがサラダを作ってくれた。
ハロウィンをかねた、黄色く丸いバースデー。


むむちゃん、ぷうちゃんからは、プレゼントに大きな電波時計を。

私が自分の部屋を持ってから30年に渡って使ってきたアナログの時計は、今も健在ながら、気まぐれに早く進んだり、最近はもっぱら立ち止まってしまうことが多くなった。

気の急くせっかちな私を、ちょっとのんびり行こうかなという私を、針に映し出し教えてくれていた時計はぷうちゃんに譲った。ぷうちゃんに譲った途端に正確に刻むようになったのだから、時計も主を選びたかったのだろう。
これからは電波が標準的な時間を知らせてくれる。標準的な時間と、私の中の時間のずれは、自ら感じ取ればいいだけ。
自らに課す時間の呪縛が、以前よりもずっとずっとゆるやかになって、追い詰められることが少なくなってきからもう大丈夫だ。

42歳。
40代は、一年一年、自分を甘やかせていくことのできる年齢だ。
半分を折り返して、もういいよね、もういいよね、と、ひとつひとつ課してきたものを置いていく。
そうして寿命の終わるころには、身も心も軽やかにこの世界にさようならできるのだろう。

とにもかくにも、むむちゃんぷうちゃんが、これから少しずつ重さを抱えるようになり、そしてやがてひとつひとつ下ろしてゆける折り返しに至るまでは、支えてあげられるように健康で元気に生きたいと思う。あと30数年。程よい長さだ。


by shiho_kato | 2016-10-30 18:44 | 私ノート | Comments(0)