むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:社会&地域&子どもノート( 525 )

望月衣朔子『新聞記者』

報道はダメだな。
と、思うことが増えた。


情報を自分自身であれこれをつなぎ合わせて解釈する力をしっかりと持てないと、ダメ。
テレビのニュースも、新聞も、あくまで情報を得るための箱でしかない。

メディアは、深めることも、掘り下げることも、無い。
論説は刹那的で、その解釈は、不安定な揺らぎゆえに当てにならない。

森本学園のこととか、加計学園のこととか、
ほんとだったら、しっかり決着を導き出すまで追い込める報道機関でなければ。
そうじゃなければ、権力を民間側から監視する役割を担えないじゃないか。って思うんだ。


あやふやな情報や、それまずいだろう政権決定をする時に別の情報をかぶせて消え去らせてしまったり。

メディアと権力が結託していると、ロクなことがないってことを、
この1、2年、ものすごく学んでいる。

市民サイドの発信も、その思考のありどころを把握するのには、一定期間、定点観察する必要がある。
信頼できる人だと思っていても、時にあれっと考え方が変化する人も居る。

フィルターをかけるところから自分でしなくてはならない時代。
大きなメディアだけでなく、小さなメディアにも、私たちは直接触れる機会が与えられている。
自由度は増したのかもしれない。
その一方、チャンネルが多いことにもたれて、発信する側が自らに課す厳しさを緩めているようにも思える。

もし情報に振り回されたとしたら、
受けとめる側が、悪いんだ。自己責任だ。って言われちゃいそうな気がする。

納豆がいいと聞けば納豆を買い、もやしがいいと聞けばもやしを買うのは、
即、情報を鵜呑みに右往左往する視聴者が悪いんだよね、って、発信する側も町の人々も、ちょっとエライ人たちも思っているんじゃないのかな。


そんなことを思いながら読んだ。
望月さんの、個人として気になってしまったことを、記者として真摯に追いかけようとする姿勢は、記者レベルでは立派な方に入るのだろう。

取材で問いきれない、追い込みきれない、伝えきれない、書ききれない、もどかしさや口惜しさも伝わる。
それを超えて行け、と思う。
所属する組織に振り回されずに、組織を振り回して行け、と思う。


by shiho_kato | 2017-12-30 12:37 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

地毛証明に、地毛黒染めの、ウソ

髪を染めない人の方が、パーマをかけない人の方が、
品行方正で、より仕事ができて、より社会に貢献する意識が高く、
人に支持されすリーダーシップがあり、信頼に足る人間である。

と、おとなを評する人が居たら、その人の視野の偏りに驚き、議論に値しないと一蹴するだろう。
と、子どもを評する人が居ても、賛否両論で世論は二分される。

二分だぜ。
それを支持する人が相当数いることにびっくりだ。

ましてや、もともと茶色で、それをわざわざ黒くせよとは。
黒い頭の生徒であれば、成績優秀に育てることができるのだ。
と、教育者側が思っているのであれば、

入試まで半年を切る10月頃に勤務校に来ていただきたい。
7割近くが東大に進む生徒たちの頭の色は、
ピンク、緑、青、紫、シルバー、色とりどりだ。


彼らの上履きときたら、原色の白色はもちろんのこと、破れ剥げ、原型を留めていないものすらある。

姿が学力といかに関係無いか。
目の当たりにする毎日だ。

外面に侵食されない内面を持ち得ることが、何十年にも渡り日々証明され続けている。

むしろ、「外面に侵食されない内面を持ちうるために」どのような指導がなされているのかを学ぶことが、学力のアップにつながるかもしれないね。


いや、「地毛証明」も「地毛黒染め」も、個々人の学力アップなんて問題になっていないんだ。
問題になっているのは、学校の体面なのか。
なるほどなるほど、おとなの事情のエゴに、生徒をつきあわせているってことか。

by shiho_kato | 2017-11-06 11:58 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

地域の防災訓練

朝から小学校で地域の防災訓練。

町会の方たち、消防団の方たちが仕切ってくださって。

昨年も今年も、PTAの係としての参加。
昨年参加してみて、どんな人たちが災害時に中心となるのか知っておくことにメリットを感じたから。
勤務中に発災し避難を要する災害だった場合には、むむちゃんぷうちゃんは避難所で過ごすことになる。

私が子どもたちのもとへ駆けつけられるのは、勤務先がある程度落ち着いてからで、それには相応の時間がかかるであろうから、その間をお任せする地域の大人の人たちを知っておくことで、より具体的に何がどうなるか何をどうするかシミュレーションできる。
そのことが、私にとっての安心材料になるはずなんだ。

昨年は、割り当てられた係(日程的に選んだわけで内容ではなかった)として、
今年は、そんな意識でもって、参加した防災訓練。
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地域の担い手の高齢化をまざまざと目にすることになった。
(もちろんその前を知らないので、「高齢「化」」なのか、そもそも高齢の方々の活躍する場なのか、正確にはわからない)

段取り、指示、動きのキレ、どれをとってもお手伝いして差し上げなくては・・・という気持ちになる。

この日はおそらく100人に満たない参加者だったけれど、実際は軽くこの10倍を超えることになろう。
そのときに、避難してきた人たちはこの方々のリーダーシップに従って動けるのだろうか?即時の判断・即時の対応はできるだろうか?
あれこれと、不安が募る。

実際に発災したとなれば、もっと多くの、たとえば学校のPTAの中でもみなが知っていてリーダーシップを取れる方たちなんかが、中心となるのかもしれないなー。


地域のリアル(一側面ではあるけれど)を、目の当たりにすることができて良かった。
不安を伴いながらも「そのとき」への覚悟だけは、またほんの少しギュっと決まる。

by shiho_kato | 2017-08-19 18:11 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

ひまわりの咲く11月@川崎少年事件

はじめて、そこを訪れた。

どこなのか、探し当てるのに苦心した。

ひまわりが一本。
すっくと立って咲いている。

この季節に。
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風が冷たく吹きつけて、雨粒もぱらり降り始めた。

ひまわりの色が、そこだけあたたかに照らしていた。





朝、子どもたちが家を出たのを確認して鍵を閉めるとき。
夕方、一分でも地下鉄一本分でもはやくと家路を急ぐとき。
子どもたちよりも早く出て、夜帰ってきて朝食の洗い物が台所につまれ、
敷きっぱなしのままの布団を目にするとき。
夜7時からの会議に欠席連絡のメールを送るとき。
学校に持っていくものをプリントで知ったとき。
それらを期限までに持ち物が準備できたとき、間に合わないとき。
安心してゲラゲラと笑いころげ、だらだらとゴロゴロと過ごしている子どもたちを目の端に見ながら夕食の支度をしているとき。

あなたと、あなたのお母さんのことを思い起こします。



気づかない母にならないように、
見過ごしてしまう母にならないように、
ちょっとしたことを言い出せない母にならないように。
長く家をあけてしまう母にならないように。
夜遅い帰りにならないように。
会話する余裕を残して食卓に向かえるように。

外で何か役割を果たさねばならない気持ち、いま学びたい気持ち、いま出会いたい外に向かっていく気持ちと、それらからすっと身をかわして家の中の淡々とした日常をキープし続けていく気持ちと、
揺れ動き、葛藤しながら出かけては悔やみ、出かけなくては悔やみ、落ち着き悪く過ごしてきたこの数年間。
2月以降、私の心は固まりました。

出かけない。
子どもたちが、子どもとして居る時間はそう長くはない。
今日は、明日は、常に一度きり。
この今を、丁寧に、これまでよりいっそう丁寧に、
落ち着いて送れる日々にすること以上に、いますべきことはない。
自分自身のことでも悔いにはいくらでも苛まれよう。
でも、子どもたちのことだけは後悔を残したくない。

そう、心に決めました。




他でもないあなたたち家族は
そんな風に私たちを守ってくれています。
by shiho_kato | 2015-11-23 13:51 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

よりみちコロッケ

家に帰ると、ぷうちゃん、むむちゃんが待ち構えていて

「今日、コロッケ作りたーい!」

今日は「よりみち」でじゃがいもを掘ったそうな。
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よし。
コロッケ作ろうか。

じゃがいもの皮を剥いて茹でて
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ぷうちゃんはつぶし役。
むむちゃんはキャベツの千切り。
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丸めて、粉はむむちゃん、卵はぷうちゃん。
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できあがり!
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プランター菜園のトマトも収穫。
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美味しくいただきました(*^^*)
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自分で収穫したものを
自分で作って、食べる。

育てたり、収穫する機会があり、
イチから調理する体力と時間があり作り方がわかる。
そして気持ちにゆとりがある。


なんて、贅沢なこと。



ささやかな日常が豊かな夕べになりました。
「よりみち」に感謝。

採ったものを作って食べたい!
子どもたちの気持ちを育ててくれた環境に感謝。

by shiho_kato | 2015-06-24 19:40 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

くさっぱらまつり

30分しかのぞけなかったけれど、
みな、楽しそうだった。
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準備も、おまつりそのものも、打ち上げまで、まるごと楽しめる仲間たち。
信じていれば大丈夫。
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何もできない自分をせめる必要なんてないんだわ。
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知っている顔にもたくさん会えた。
30分だったけれど、出掛けて良かったです。
by shiho_kato | 2014-11-15 19:06 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

おとなり力 ーー長く静かに見守るおとな力

お引越しをすることになった。

不動産屋さんより先に、お世話になった大家さんへお伝えに行く。

ーあらあら~、残念だけど、新しい生活に進めるのはうれしいわ。
長く居てくれてありがとう~。

から、はじまり。

まだ赤ちゃんのぷうちゃんを抱えての母子3人暮らし。
自転車の前と後ろに子どもたちを携えての保育園への送り迎え。
仕事をしながらの生活。
体調も精神的にも思わしくなかった時期。
それらをすべて、案じながら見守っていたことをお話してくださった。

子どもたち、立派にこんなに大きくなって。
本当にエラかったわね。よくがんばったわね。

ポカポカっと胸が暖かくなった。
ずっとずっと見守っていてくれたその眼差しのなかで、苦しい時間を超えてこられたんだ、
人は、気づかぬ誰かの思いに支えられ、生きていることをあらためて、知った。


大家さんは、こんなことも言った。

元のパパさんはがんばっているけれど、週末子どもたちを連れて行ってしまい、
週末あなたがひとりで過ごすのは、寂しいでしょうね、と思っていたのよ。

平日のバタバタした慌ただしい中で過ごす子どもとの時間と、
週末のお休みのゆっくりした時間の中で過ごす子どもとの時間とは、
また、ちがうでしょ。
のんびりと子どもと過ごせる時間だって、味わいたいわよね。


ポカポカ温まった胸の中の片隅の塊が溶けて、ポロリ。


平日の5日間、寝る時間を除いた子どもとの時間の合計は、
週末のお休みの、寝る時間を除いた子どもとの時間の合計の、
半分にも満たない。

その悲しさは、封じ込めてきた。
子どもたちと父親がよりよい関係を継続して構築していけることが、
何にもまして最優先されるべきだから。

多くの人が言う。
彼はがんばっていると。

そりゃそうだろう、がんばっている姿を他者が見られるのは週末の集団の中でだもの。

フルタイムの仕事を持ちながら、
平日の日々を安定して生活できるようにまわしていくがんばりが見えにくいのは、
ひとり親に限らず、どの親も一緒。どの母親も一緒。

でも、その母たちも言う、
彼はがんばってる、と。


大家さんが異なる目で見守っていてくれたから、
ここに住み続けることができたんだ。
ここから、新たなスタートを切り、職を得、職を変え、
疲れ果てたり、復活したり、じたばたしたり、観念したり。
下手な生き方にチャレンジし続けていけたんだ、とあらためて思う。

大きな選択をしてから後の私を、
今の、今までの私を肯定された気持ちが広がって、
涙がとてもあたたかだった。


特別な人にならなくていい、
静かなあたたかさを持って、
公平性とか、目的性とか、そういうのを抜きで、
目の前のひとりの人のがんばりや悲しみや歓びを、
そっと見守り続けられるおとなになれるだろうか。
by shiho_kato | 2014-10-31 22:06 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

夢を描ける平和を願う。 -非戦憲法崩壊の恐ろしさに脅かされながら

憲法9条の改正(改悪?)はハードルが高いと判断した
ソーリは、解釈を変えるという暴挙に出た。

閣議決定という、密室でのセコイ、省エネなやり口で、
集団的自衛権の行使を可とする解釈変更を成し遂げた。

閣議決定したその日の報道で、「徴兵制」もありうるかも、、、
みたいな煽り方をした番組もあったようですが。

私が懸念するひとつめは、
この解釈変更時には世論が盛り上がたっというか、
マスコミが盛り上がってくれたわけだけれど、
いつの間にか気づかぬうちに、「集団的自衛権」が行使されてしまこと。

だってね、恥ずかしながらだけど、いつの間にかこの国は、
武器を輸出することが許される国になってしまっていたのだもの。
陸上兵器の国際展示会に日本がブースを出展したという記事を見てびっくり(6月17日)。
「三菱重工業や川崎重工業など13社が出展した。装甲車の模型や地雷探知機など」
って。。。。
非戦の国では無くなっていたんだ既に。
その二週間後に、この集団的自衛権の拡大解釈。

私よりずっと鋭敏に、この問題を追いかけている人たちが山ほど居るに違いないのに、
これらは、ほとんど「いつの間に?」か、実行に移されている。
民主主義の枠組みの中に、絶対的ブレーキは用意されていない。


この流れでは、私たちのその国への思いを問わず、
その国を傷つける行為を、政府が勝手に行ってしまう可能性がぐわんと大きくなった。
私たちが気づかぬ内に隣人、隣国、友人たちの国を攻撃している可能性があるんだ。




私が懸念するふたつめは、
仮に徴兵制とか、馬鹿げたことが行われることになったときのこと。
その時には、さっさと国籍を捨て、日本を離れさえすればいい。
徴兵拒否をすればいい。おかしな忠誠心とか、くだらない国への愛国心など、
発揮すべきではない。

しかし、他国へ逃れることのできない人たち、愛国心などなくとも、
生活のお金に困っている人たちが、追い詰められた選択として、
戦力の一部に身を投じることだってあるんだ。

いや、すでに、現在の自衛隊に入隊する人たちの中には
安定した給与を得られる(非正規雇用ではない)仕事として選ぶ人が少なくない。
まさに、堤未果が『貧困大国アメリカ』で書いている軍隊に加入する人たちは
生活するための、学ぶための、お金を必要としている人たちだ。


今の時代の戦争は、矢もて、刀もて、銃もて、ではない。
ボタンをひとつふたつ押すだけの闘いだ。
原爆投下の際のアメリカ兵たちの証言を聞けばわかる。
あの時代からすでに、ボタンひとつ。

我が身が傷まないのであれば、安全な場所で、
ボタンをひとつ押すだけであれば、別にいいんじゃない、くらいで、
戦争に参加してしまうことを、恐れる。


後になって気づく。そのボタンの押した向こうで死んでいった人たちのことを。
後になって見知ることになる。その死んでいった人たちの姿を。
イラク戦争から帰還したアメリカ兵の3~4割近くがPTSDを患うことになっている事実。
うかうかと、安易な指先で、多くの人を殺してしまった責めは、心を患わせる。
その責めからは、一生逃れることはできない。
その病いは、社会生活を淡々と送ることを阻害する。


今こそ、アメリカに学ぶべきだ。
貧困や暴力が大きく社会をおおう社会の悲惨な結末を。

アメリカが軍事協力によって日本を守る?
貧困ビジネス化した軍事ビジネスを生み出し、
心病む兵士たちを次々と作り出している国が?
心病む兵士を、自国の兵ではなく、他国の兵に転換させようとすらしかねない国じゃないか。



今年の七夕は、平和平和平和平和、ただただそれを願う。
平和ボケの世代です。
だから、ぼんやりしていられる幸せを知っている。
その幸せがあり続けることを願う。
今の泡立つ気持ちが、一過性の泡立ちであり、
総じて、多少ぼんやりしていても、脅かされることの無いまま生き続けられることを願う。
by shiho_kato | 2014-07-06 21:40 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

選挙ないしは投票という参政権のまやかし - 平川克美「オレ様化する権力者と(略)」『街場の憂国会議』

「選挙によって選ばれたからといってエライわけではありません。」


投票という行為によってしか参政する方法が無い(ように映る)ために、
投票することはとっても大事なことだと思っていた。
でもそれゆえに危なかったなぁ。認識を間違うところだった。

その重要な投票の権利を行使して人を選ぶ行為と、
(たとえ投票という行為がある程度の重みを持っていたとしても)
それにより選ばれし人物に重みがあるのかという評価とはまったくもって無関係だ。


バカバカしい下品なおやじヤジやら、
常軌を逸した号泣会見やら、
ルールを守らないプレーばかりする内閣やら、
こんな奴らをあの大切な投票権を用いて選んでいたのか、と、がっかりする日々。

もう投票なんてやーめよ、とも思えてくる。
選挙に参加しなかったら、政治なんて遠くの遠くの世界の果てくらい遠くのもの。
と、投げやりな気持ちにもなっていた。


そんな中、読んだ一節。

「選挙の結果は期間限定の国民の代行者として信任されたことを意味しているのであって、任期をまたぐような歴史的な問題に関してまで全権を与えられているわけではありません。」

「やっかいな性格や、思想の持ち主、あるいは無能な政治家が政治の世界のトップにたつということは、
現在の選挙制度のなかでは十分にありうることです。
民主主義は、そういうことを許す制度であるからです」

「民主主義が決定的に毀損されるとすれば、それは民主主義によって選ばれた無能な政治家によるのではなく、民主主義をささえている「民」が変質して、思考停止の状態に陥ってしまったときだろうと思います。

「あるいは、国民が民主主義的な手蔓気に飽きて、政治から背を向け、社会性や共同性に無関心になり、個人の利をひたすら追求するタイプの個人主義に埋没していくことです。」

(以上、平川克美「オレ様化する権力者とアノニマスな消費者」『街場の憂国会議-日本はこれからどうなるのか』より。
今回の平川原稿、とても良い。集団的自衛権の解釈変更前の原稿とは思えないくらい、とても今現在にフィットする)
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これらの文章を読んで、ハッとした。
「投票行為こそが、政治参加の最たるものである」という刷り込みや、
「選挙に行こう!!」の声高な有権者側への呼びかけは、
尊大な政治家たちを生むことと密接に関わりあっているに違いない。

投票なんて、参政権を実現するちっぽけな行為のひとつに過ぎないんだ!
と、私などは考えるようにしたほうが良さそう。

最近の投票率は5割前後。
有権者の半数は、議員なんぞに何をか託さん、と思っている。

そして、その結果で選ばれた人たちの中から次々と現れる
惨憺たる有様を見せつける議員たちから目を背け、
それらを取り上げるマスコミからも目を背け、
こんな人たちを「選んだ(でしまった)市民としての責任」なんてとれない、もうやめやめ!
と、思っちゃいけないんだ。

投票の責任なんてものを負う必要は無い。
選んだ責任を負う必要も無い。

何かを背負うとするならば、
文句をいいつつ、次はこの人はやめておこう、と思うこと。
「次」に到るまでにに、バツをつけるべき相手を見定めこと。


投票行為以外にも、政治(政策決定)に参加する方法はある。
デモとか、シュプレヒコール以外にも、政治(政策決定)に物申す方法はある。
だって、虐待防止法も、子どもの貧困法も、曲りなりに、それなりに、
政治に(だけではないけれど)物申してきた結果なのだもの。


議員選挙での投票行為よりも、
訴えたいことをもって、
聞いてくれる人(議員)に、しっかりと話し、しっかりと聞いてもらうことのほうが、効果大。

聞いてくれる人(議員)がちょっぴりでも増えるかもしれない、のが選挙で、
それは参政権のごくごくごくごく一部でしかない。


話を聞くための門戸が開かれるのは、ある部分ではときの運でもある。
ある部分では、時代に逆らえない風が吹いて、
その風向きを読んだり、
本気で社会の中の子どもの状況をなんとかしたい、の志を持つ人が
議員という名でそこにいた、ということもある。


選挙以外に、あるいは直訴?以外に、
もっと気安く、必要なことが何かを話せる機会が増えればいい、と思う。
外に開かれていて、選択肢を増やし、参加しやすさを促せるものであればなおいい。


それは民主主義を正しく機能させたいと思う者が
がんばって知恵を絞ることのひとつだろう。

私がそのひとりである自覚に乏しいことに気づいてしまったりはするし、
残念ながら、思いつく、ステキな機能も、ステキな選択肢も、ステキに開かれた機会も、
ノーアイデアではあるが。


でも、考えていること、考え続けていること、あきらめないこと、思考を停止しないこと。
「この人(たち)バカじゃない!」と思ったら、
「バカじゃない!」という気持ちになったことを大事にし続けること、
それくらいなら、明日の献立を考えながらでも私にできる。

そんなことを考えてることをここにこうして書いて忘れないようにすることくらいなら、
子どもたちの宿題する姿を片目で見ながらもできる。
by shiho_kato | 2014-07-05 21:14 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

6/30まで!「子どもの貧困削減率の目標明記を!現状の6人に一人を5年間で3人に一人へ」

内閣府にて子どもの貧困パブコメ募集中です。

「子どもの貧困削減率の数値目標を明記してください。
現状の6人に一人を、5年間で3人に一人に。」
と書き込みをどうぞお願いします。

6月30日までです。

http://www8.cao.go.jp/kodomonohinkon/bosyu/20140620.html


数値目標の入らない施策は、
飾られたまま実行されずに放り置かれてしまうことを知った。
ましてやパブコメ用に提示された資料は「~~を必要とする」ばっかり。
「~~する」「~~にとりくむ」といった文言無し。

成果を数字ではかるのは好きじゃない。

だけど、ことここに及んでは、貧困率削減に明確な目標値を入れないと
法律があっても、大綱があっても、
施策の優先順位は低く、
予算も割かれることなく、
放置されたまま時が過ぎるばかり。

施政側の取り組み優先順位をあげさせ、実際に着手してもらうためには、
数字でせまって、貧困率下げなきゃまずい、と思ってもらうしかない。

そんな風に取り組み項目を決定させなくちゃならないなんて、
相手を値踏みしているようで、本当にイヤだけど、
国とか、自治体とかの箱に、対しては、
そういう方法をとらなくては、ことが動かない。

そう箱に対しての値踏みであり、その中のひとりひとりの人格を
はかっているわけではない、と、自らに言い訳。

パブリックコメント、どうぞ書いてください。



ちなみに私がほかに書きこむ予定の内容は下記のような内容。

・自治体の子どもの貧困削減のための行動計画策定の義務付け。(次世代育成推進支援法のときのように)

・子どもの貧困に取り組む常設委員会の設置。(子ども子育て会議のように)

・子どもの貧困削減のための啓発月間の設定。(虐待防止月間などのように)

・授業の範囲の適正化。給食も修学旅行も学習活動の一部。授業料無償化の、授業料は修学旅行費、給食費をも含むべき。

・現状の児童扶養手当の受給基準を下げるとともに、第二子、第三子も、第一子並に。

・給付型奨学金の創設。

・スクールソーシャルワーカーの必置。(スクールソーシャルワーカーの安定的雇用を含む)

・皆保育が可能な保育園数、保育士数の確保。(保育士の待遇改善を含む、保育の質を下げない)

・親の就労支援は、職業訓練にとどまらず、就労まできっちり。職に就くところまでではなく、継続して就労状況が続き貧困状態が改善されるまでを見届ける支援に。

などを、書き込む予定。
by shiho_kato | 2014-06-24 19:22 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)