むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:社会&地域&子どもノート( 522 )

ひまわりの咲く11月@川崎少年事件

はじめて、そこを訪れた。

どこなのか、探し当てるのに苦心した。

ひまわりが一本。
すっくと立って咲いている。

この季節に。
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風が冷たく吹きつけて、雨粒もぱらり降り始めた。

ひまわりの色が、そこだけあたたかに照らしていた。





朝、子どもたちが家を出たのを確認して鍵を閉めるとき。
夕方、一分でも地下鉄一本分でもはやくと家路を急ぐとき。
子どもたちよりも早く出て、夜帰ってきて朝食の洗い物が台所につまれ、
敷きっぱなしのままの布団を目にするとき。
夜7時からの会議に欠席連絡のメールを送るとき。
学校に持っていくものをプリントで知ったとき。
それらを期限までに持ち物が準備できたとき、間に合わないとき。
安心してゲラゲラと笑いころげ、だらだらとゴロゴロと過ごしている子どもたちを目の端に見ながら夕食の支度をしているとき。

あなたと、あなたのお母さんのことを思い起こします。



気づかない母にならないように、
見過ごしてしまう母にならないように、
ちょっとしたことを言い出せない母にならないように。
長く家をあけてしまう母にならないように。
夜遅い帰りにならないように。
会話する余裕を残して食卓に向かえるように。

外で何か役割を果たさねばならない気持ち、いま学びたい気持ち、いま出会いたい外に向かっていく気持ちと、それらからすっと身をかわして家の中の淡々とした日常をキープし続けていく気持ちと、
揺れ動き、葛藤しながら出かけては悔やみ、出かけなくては悔やみ、落ち着き悪く過ごしてきたこの数年間。
2月以降、私の心は固まりました。

出かけない。
子どもたちが、子どもとして居る時間はそう長くはない。
今日は、明日は、常に一度きり。
この今を、丁寧に、これまでよりいっそう丁寧に、
落ち着いて送れる日々にすること以上に、いますべきことはない。
自分自身のことでも悔いにはいくらでも苛まれよう。
でも、子どもたちのことだけは後悔を残したくない。

そう、心に決めました。




他でもないあなたたち家族は
そんな風に私たちを守ってくれています。
by shiho_kato | 2015-11-23 13:51 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

よりみちコロッケ

家に帰ると、ぷうちゃん、むむちゃんが待ち構えていて

「今日、コロッケ作りたーい!」

今日は「よりみち」でじゃがいもを掘ったそうな。
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よし。
コロッケ作ろうか。

じゃがいもの皮を剥いて茹でて
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ぷうちゃんはつぶし役。
むむちゃんはキャベツの千切り。
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丸めて、粉はむむちゃん、卵はぷうちゃん。
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できあがり!
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プランター菜園のトマトも収穫。
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美味しくいただきました(*^^*)
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自分で収穫したものを
自分で作って、食べる。

育てたり、収穫する機会があり、
イチから調理する体力と時間があり作り方がわかる。
そして気持ちにゆとりがある。


なんて、贅沢なこと。



ささやかな日常が豊かな夕べになりました。
「よりみち」に感謝。

採ったものを作って食べたい!
子どもたちの気持ちを育ててくれた環境に感謝。

by shiho_kato | 2015-06-24 19:40 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

くさっぱらまつり

30分しかのぞけなかったけれど、
みな、楽しそうだった。
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準備も、おまつりそのものも、打ち上げまで、まるごと楽しめる仲間たち。
信じていれば大丈夫。
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何もできない自分をせめる必要なんてないんだわ。
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知っている顔にもたくさん会えた。
30分だったけれど、出掛けて良かったです。
by shiho_kato | 2014-11-15 19:06 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

おとなり力 ーー長く静かに見守るおとな力

お引越しをすることになった。

不動産屋さんより先に、お世話になった大家さんへお伝えに行く。

ーあらあら~、残念だけど、新しい生活に進めるのはうれしいわ。
長く居てくれてありがとう~。

から、はじまり。

まだ赤ちゃんのぷうちゃんを抱えての母子3人暮らし。
自転車の前と後ろに子どもたちを携えての保育園への送り迎え。
仕事をしながらの生活。
体調も精神的にも思わしくなかった時期。
それらをすべて、案じながら見守っていたことをお話してくださった。

子どもたち、立派にこんなに大きくなって。
本当にエラかったわね。よくがんばったわね。

ポカポカっと胸が暖かくなった。
ずっとずっと見守っていてくれたその眼差しのなかで、苦しい時間を超えてこられたんだ、
人は、気づかぬ誰かの思いに支えられ、生きていることをあらためて、知った。


大家さんは、こんなことも言った。

元のパパさんはがんばっているけれど、週末子どもたちを連れて行ってしまい、
週末あなたがひとりで過ごすのは、寂しいでしょうね、と思っていたのよ。

平日のバタバタした慌ただしい中で過ごす子どもとの時間と、
週末のお休みのゆっくりした時間の中で過ごす子どもとの時間とは、
また、ちがうでしょ。
のんびりと子どもと過ごせる時間だって、味わいたいわよね。


ポカポカ温まった胸の中の片隅の塊が溶けて、ポロリ。


平日の5日間、寝る時間を除いた子どもとの時間の合計は、
週末のお休みの、寝る時間を除いた子どもとの時間の合計の、
半分にも満たない。

その悲しさは、封じ込めてきた。
子どもたちと父親がよりよい関係を継続して構築していけることが、
何にもまして最優先されるべきだから。

多くの人が言う。
彼はがんばっていると。

そりゃそうだろう、がんばっている姿を他者が見られるのは週末の集団の中でだもの。

フルタイムの仕事を持ちながら、
平日の日々を安定して生活できるようにまわしていくがんばりが見えにくいのは、
ひとり親に限らず、どの親も一緒。どの母親も一緒。

でも、その母たちも言う、
彼はがんばってる、と。


大家さんが異なる目で見守っていてくれたから、
ここに住み続けることができたんだ。
ここから、新たなスタートを切り、職を得、職を変え、
疲れ果てたり、復活したり、じたばたしたり、観念したり。
下手な生き方にチャレンジし続けていけたんだ、とあらためて思う。

大きな選択をしてから後の私を、
今の、今までの私を肯定された気持ちが広がって、
涙がとてもあたたかだった。


特別な人にならなくていい、
静かなあたたかさを持って、
公平性とか、目的性とか、そういうのを抜きで、
目の前のひとりの人のがんばりや悲しみや歓びを、
そっと見守り続けられるおとなになれるだろうか。
by shiho_kato | 2014-10-31 22:06 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

夢を描ける平和を願う。 -非戦憲法崩壊の恐ろしさに脅かされながら

憲法9条の改正(改悪?)はハードルが高いと判断した
ソーリは、解釈を変えるという暴挙に出た。

閣議決定という、密室でのセコイ、省エネなやり口で、
集団的自衛権の行使を可とする解釈変更を成し遂げた。

閣議決定したその日の報道で、「徴兵制」もありうるかも、、、
みたいな煽り方をした番組もあったようですが。

私が懸念するひとつめは、
この解釈変更時には世論が盛り上がたっというか、
マスコミが盛り上がってくれたわけだけれど、
いつの間にか気づかぬうちに、「集団的自衛権」が行使されてしまこと。

だってね、恥ずかしながらだけど、いつの間にかこの国は、
武器を輸出することが許される国になってしまっていたのだもの。
陸上兵器の国際展示会に日本がブースを出展したという記事を見てびっくり(6月17日)。
「三菱重工業や川崎重工業など13社が出展した。装甲車の模型や地雷探知機など」
って。。。。
非戦の国では無くなっていたんだ既に。
その二週間後に、この集団的自衛権の拡大解釈。

私よりずっと鋭敏に、この問題を追いかけている人たちが山ほど居るに違いないのに、
これらは、ほとんど「いつの間に?」か、実行に移されている。
民主主義の枠組みの中に、絶対的ブレーキは用意されていない。


この流れでは、私たちのその国への思いを問わず、
その国を傷つける行為を、政府が勝手に行ってしまう可能性がぐわんと大きくなった。
私たちが気づかぬ内に隣人、隣国、友人たちの国を攻撃している可能性があるんだ。




私が懸念するふたつめは、
仮に徴兵制とか、馬鹿げたことが行われることになったときのこと。
その時には、さっさと国籍を捨て、日本を離れさえすればいい。
徴兵拒否をすればいい。おかしな忠誠心とか、くだらない国への愛国心など、
発揮すべきではない。

しかし、他国へ逃れることのできない人たち、愛国心などなくとも、
生活のお金に困っている人たちが、追い詰められた選択として、
戦力の一部に身を投じることだってあるんだ。

いや、すでに、現在の自衛隊に入隊する人たちの中には
安定した給与を得られる(非正規雇用ではない)仕事として選ぶ人が少なくない。
まさに、堤未果が『貧困大国アメリカ』で書いている軍隊に加入する人たちは
生活するための、学ぶための、お金を必要としている人たちだ。


今の時代の戦争は、矢もて、刀もて、銃もて、ではない。
ボタンをひとつふたつ押すだけの闘いだ。
原爆投下の際のアメリカ兵たちの証言を聞けばわかる。
あの時代からすでに、ボタンひとつ。

我が身が傷まないのであれば、安全な場所で、
ボタンをひとつ押すだけであれば、別にいいんじゃない、くらいで、
戦争に参加してしまうことを、恐れる。


後になって気づく。そのボタンの押した向こうで死んでいった人たちのことを。
後になって見知ることになる。その死んでいった人たちの姿を。
イラク戦争から帰還したアメリカ兵の3~4割近くがPTSDを患うことになっている事実。
うかうかと、安易な指先で、多くの人を殺してしまった責めは、心を患わせる。
その責めからは、一生逃れることはできない。
その病いは、社会生活を淡々と送ることを阻害する。


今こそ、アメリカに学ぶべきだ。
貧困や暴力が大きく社会をおおう社会の悲惨な結末を。

アメリカが軍事協力によって日本を守る?
貧困ビジネス化した軍事ビジネスを生み出し、
心病む兵士たちを次々と作り出している国が?
心病む兵士を、自国の兵ではなく、他国の兵に転換させようとすらしかねない国じゃないか。



今年の七夕は、平和平和平和平和、ただただそれを願う。
平和ボケの世代です。
だから、ぼんやりしていられる幸せを知っている。
その幸せがあり続けることを願う。
今の泡立つ気持ちが、一過性の泡立ちであり、
総じて、多少ぼんやりしていても、脅かされることの無いまま生き続けられることを願う。
by shiho_kato | 2014-07-06 21:40 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

選挙ないしは投票という参政権のまやかし - 平川克美「オレ様化する権力者と(略)」『街場の憂国会議』

「選挙によって選ばれたからといってエライわけではありません。」


投票という行為によってしか参政する方法が無い(ように映る)ために、
投票することはとっても大事なことだと思っていた。
でもそれゆえに危なかったなぁ。認識を間違うところだった。

その重要な投票の権利を行使して人を選ぶ行為と、
(たとえ投票という行為がある程度の重みを持っていたとしても)
それにより選ばれし人物に重みがあるのかという評価とはまったくもって無関係だ。


バカバカしい下品なおやじヤジやら、
常軌を逸した号泣会見やら、
ルールを守らないプレーばかりする内閣やら、
こんな奴らをあの大切な投票権を用いて選んでいたのか、と、がっかりする日々。

もう投票なんてやーめよ、とも思えてくる。
選挙に参加しなかったら、政治なんて遠くの遠くの世界の果てくらい遠くのもの。
と、投げやりな気持ちにもなっていた。


そんな中、読んだ一節。

「選挙の結果は期間限定の国民の代行者として信任されたことを意味しているのであって、任期をまたぐような歴史的な問題に関してまで全権を与えられているわけではありません。」

「やっかいな性格や、思想の持ち主、あるいは無能な政治家が政治の世界のトップにたつということは、
現在の選挙制度のなかでは十分にありうることです。
民主主義は、そういうことを許す制度であるからです」

「民主主義が決定的に毀損されるとすれば、それは民主主義によって選ばれた無能な政治家によるのではなく、民主主義をささえている「民」が変質して、思考停止の状態に陥ってしまったときだろうと思います。

「あるいは、国民が民主主義的な手蔓気に飽きて、政治から背を向け、社会性や共同性に無関心になり、個人の利をひたすら追求するタイプの個人主義に埋没していくことです。」

(以上、平川克美「オレ様化する権力者とアノニマスな消費者」『街場の憂国会議-日本はこれからどうなるのか』より。
今回の平川原稿、とても良い。集団的自衛権の解釈変更前の原稿とは思えないくらい、とても今現在にフィットする)
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これらの文章を読んで、ハッとした。
「投票行為こそが、政治参加の最たるものである」という刷り込みや、
「選挙に行こう!!」の声高な有権者側への呼びかけは、
尊大な政治家たちを生むことと密接に関わりあっているに違いない。

投票なんて、参政権を実現するちっぽけな行為のひとつに過ぎないんだ!
と、私などは考えるようにしたほうが良さそう。

最近の投票率は5割前後。
有権者の半数は、議員なんぞに何をか託さん、と思っている。

そして、その結果で選ばれた人たちの中から次々と現れる
惨憺たる有様を見せつける議員たちから目を背け、
それらを取り上げるマスコミからも目を背け、
こんな人たちを「選んだ(でしまった)市民としての責任」なんてとれない、もうやめやめ!
と、思っちゃいけないんだ。

投票の責任なんてものを負う必要は無い。
選んだ責任を負う必要も無い。

何かを背負うとするならば、
文句をいいつつ、次はこの人はやめておこう、と思うこと。
「次」に到るまでにに、バツをつけるべき相手を見定めこと。


投票行為以外にも、政治(政策決定)に参加する方法はある。
デモとか、シュプレヒコール以外にも、政治(政策決定)に物申す方法はある。
だって、虐待防止法も、子どもの貧困法も、曲りなりに、それなりに、
政治に(だけではないけれど)物申してきた結果なのだもの。


議員選挙での投票行為よりも、
訴えたいことをもって、
聞いてくれる人(議員)に、しっかりと話し、しっかりと聞いてもらうことのほうが、効果大。

聞いてくれる人(議員)がちょっぴりでも増えるかもしれない、のが選挙で、
それは参政権のごくごくごくごく一部でしかない。


話を聞くための門戸が開かれるのは、ある部分ではときの運でもある。
ある部分では、時代に逆らえない風が吹いて、
その風向きを読んだり、
本気で社会の中の子どもの状況をなんとかしたい、の志を持つ人が
議員という名でそこにいた、ということもある。


選挙以外に、あるいは直訴?以外に、
もっと気安く、必要なことが何かを話せる機会が増えればいい、と思う。
外に開かれていて、選択肢を増やし、参加しやすさを促せるものであればなおいい。


それは民主主義を正しく機能させたいと思う者が
がんばって知恵を絞ることのひとつだろう。

私がそのひとりである自覚に乏しいことに気づいてしまったりはするし、
残念ながら、思いつく、ステキな機能も、ステキな選択肢も、ステキに開かれた機会も、
ノーアイデアではあるが。


でも、考えていること、考え続けていること、あきらめないこと、思考を停止しないこと。
「この人(たち)バカじゃない!」と思ったら、
「バカじゃない!」という気持ちになったことを大事にし続けること、
それくらいなら、明日の献立を考えながらでも私にできる。

そんなことを考えてることをここにこうして書いて忘れないようにすることくらいなら、
子どもたちの宿題する姿を片目で見ながらもできる。
by shiho_kato | 2014-07-05 21:14 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

6/30まで!「子どもの貧困削減率の目標明記を!現状の6人に一人を5年間で3人に一人へ」

内閣府にて子どもの貧困パブコメ募集中です。

「子どもの貧困削減率の数値目標を明記してください。
現状の6人に一人を、5年間で3人に一人に。」
と書き込みをどうぞお願いします。

6月30日までです。

http://www8.cao.go.jp/kodomonohinkon/bosyu/20140620.html


数値目標の入らない施策は、
飾られたまま実行されずに放り置かれてしまうことを知った。
ましてやパブコメ用に提示された資料は「~~を必要とする」ばっかり。
「~~する」「~~にとりくむ」といった文言無し。

成果を数字ではかるのは好きじゃない。

だけど、ことここに及んでは、貧困率削減に明確な目標値を入れないと
法律があっても、大綱があっても、
施策の優先順位は低く、
予算も割かれることなく、
放置されたまま時が過ぎるばかり。

施政側の取り組み優先順位をあげさせ、実際に着手してもらうためには、
数字でせまって、貧困率下げなきゃまずい、と思ってもらうしかない。

そんな風に取り組み項目を決定させなくちゃならないなんて、
相手を値踏みしているようで、本当にイヤだけど、
国とか、自治体とかの箱に、対しては、
そういう方法をとらなくては、ことが動かない。

そう箱に対しての値踏みであり、その中のひとりひとりの人格を
はかっているわけではない、と、自らに言い訳。

パブリックコメント、どうぞ書いてください。



ちなみに私がほかに書きこむ予定の内容は下記のような内容。

・自治体の子どもの貧困削減のための行動計画策定の義務付け。(次世代育成推進支援法のときのように)

・子どもの貧困に取り組む常設委員会の設置。(子ども子育て会議のように)

・子どもの貧困削減のための啓発月間の設定。(虐待防止月間などのように)

・授業の範囲の適正化。給食も修学旅行も学習活動の一部。授業料無償化の、授業料は修学旅行費、給食費をも含むべき。

・現状の児童扶養手当の受給基準を下げるとともに、第二子、第三子も、第一子並に。

・給付型奨学金の創設。

・スクールソーシャルワーカーの必置。(スクールソーシャルワーカーの安定的雇用を含む)

・皆保育が可能な保育園数、保育士数の確保。(保育士の待遇改善を含む、保育の質を下げない)

・親の就労支援は、職業訓練にとどまらず、就労まできっちり。職に就くところまでではなく、継続して就労状況が続き貧困状態が改善されるまでを見届ける支援に。

などを、書き込む予定。
by shiho_kato | 2014-06-24 19:22 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

【イライラ編】「子どもの貧困」とは ~未就学時期の投資の具体を示せ~

イライラしている。

先の「第2回子どもの貧困対策に関する検討会
http://www8.cao.go.jp/kodomonohinkon/kentoukai/k_2/gijishidai.html
において、4組の有識者がプレゼンテーションした。

うち3組(3名)が、「子どもの貧困対策では未就学時期に投資するのが最も効果が高い」と言い切った。
2人はヘックマンの人的投資モデルを用い、
1人は自身の研究結果から導き出した答えとして。

にも、関わらず、3名とも、未就学時期の「投資内容」「投資先」「投資方法」について、
ほとんどまったく触れなかった。
議事録を何度読み返してみても、1点、「児童扶養手当の拡充」のみ。

ヘックマンはわかったよ。頻繁に使われている図表は、私も何度か目にしている。
じゃ、その内容は?投資すべき施策、日本の施策として打ち立てる内容は何?日本の施策として有効なのは何?
それを示すのが有識者のお仕事ではないのでしょうか?
なんて、中途半端なプレゼンテーションなんだ。

イライラが募るので、走ってばかりいた。本を読んでばかりいた。

でもイライラは消えず、どんどん沸点に近づく。

仕方ないので、指摘されている具体的内容がいいのか、調べることにした。
なれない分野に手を出すと、無駄ばかりだ。
無駄ばかりだけれど、イライラが頭痛や肩こりや不眠や・・・に派生している状態よりはまだましだ。

ようやくいくつか答えらしきものにたどり着いた。

その整理未満のメモ
***************
あれこれ読んでみた中で、私がインスピレーションを受けることができた池本論文(※)をベースにして立ち止まって考えることにした。

※池本美香「経済成長戦略として注目される幼児教育・保育政策-諸外国の動向を中心に-」教育社会学研究,88(2011),27-45

◎貧困問題は、生活所得が十分にない、というところに端を発する。
生活所得が十分にないとは。
①就労できる人・・・就労による収入の不足。(賃金が低い、労働時間が短い)
②就労できない(病気、障害、子どもが小さい等)・・・収入源となるものがない。

そのことをまず押さえた上で、池本氏が紹介する成功施策は次の3点(と、勝手に私が要約)
①皆保育・皆教育年齢の低年齢化
②就労支援、職業訓練、学び直し支援(学歴取得含む)
③就労時間の短時間化

①によって、達成されるのは、子どもたちの居場所の確保だ。
すべての子どもたちが身を置ける場所を早期に作り出すことで、
格差が拡大する前の予防となる。
すべての子どもたちに食を提供できる。
忘れずに付け足さなくてはならないのは教育は、発達段階に応じた遊びによってより伸びる、
ということをそれらの国々は低年齢の子どもたちの「教育」の中心に据えていること。

②によって、達成されるのは、格差の中に放り込まれた親が
自らの成長によって、格差を縮小する主体者となっていくことだ。
そしてここでも忘れずに付け足さなくてはならないのは、親こそが子どもにもっとも身近な教育者である、
という考え方から、親の学び直しや訓練や就労がサポートされていくこと。
子どもたちが学べる親になることが目指されてる。

③によって、達成されるのは、低年齢の子どもたちが親と共に過ごす時間を十分に確保すること。
ゆとりある時間は親の心のゆとり、肉体のゆとりにつながり、穏やかに子どもと向き合うことができる。
子どもは十分に安心して愛情を得、自己肯定感を育むことができる。
双方に、学びの意欲、生きる意欲が生じてゆく。

そして、
④上記①~③が安定して、安心して成り立つだけの、生活所得の保障を同時に行っている。

***********
という私の個人的な理解にたって、日本はどうか、無理やりまとめた現状の把握(私の理解)と、必要な施策(私案)は下記のとおり。

◎現状の把握
 この数ヶ月間に下記のような事件が起きている。すべて、ひとり親世帯で生じている。
・3月17日母子世帯、2児をベビーシッタ宅にて2歳児死亡(埼玉県富士見市)
・3月28日母子世帯、1歳女児をトイレに置き去り、H24棄児44名(大阪市)
・5月21日母子世帯、小1息子を殺害、34歳母親を逮捕。無理心中か(京都・山科)
これらすべてが貧困を起因とすると断ずることはできないが、ひとり親世帯の半数以上は貧困ラインを割っている。

 また、厚生労働省、文部科学省からは、下記のような調査結果が報告されている。
・児童の置き去り(棄児H24・44名)
・虐待死(心中含むH22・98名)-以上厚生労働省報告より。
・居所不明児童(H24入学時998名、入学後493名)-以上文部科学省報告より。
居所不明児童が確認できたのは、入学時に入学するはずの児童が現れなかったためである。入学時にすでに不明となっていることを鑑みても、入学後からの対処では遅いことが知れる。

 すでに、貧困研究を行っている研究者らから指摘されるヘックマンの人的投資モデルによると貧困対策においては、0~5歳児への投資が最も効果的であるとされている。

 諸外国の貧困対策で成果があがった例を複数検討すると、①0~5歳の期間に皆保育・皆教育の制度に子ども組み込まれること、②親の就労が訓練のみならず就業まで支援が受けられること、③親の就業時間が短時間であっても生活に必要な所得が得られること(就労による収入、手当等による収入)以上の3点が達成された国においては、「子どもの貧困」が解消されていっている。

①に関しては、未就学児のうちにすべての子どもが社会の受け皿に身を置くことが寛容であり、それによって、子どもの生活状況が子どもの発達の初期段階から把握でき、その後の成長プロセスでの変化等を見守ることができる。

②就労訓練による働くスキルを得た後の、職に就き、仕事を続けるところまでサポートされることにより、就業の持続、継続性が保たれる。

③未就学児の子育て期の親の心身、特に産後期・授乳期・抱っこ期の肉体的負担は他の期に比べても大きい。外で仕事をし、家庭内で家事を行い、育児を行う、それらの肉体的バランスが保たれていなくては健康で労働を続けることは難しい。そのため、長時間労働を避け、家事労働、子どもと穏やかに過ごせる育児時間、そして休息に体力・時間を残すことが必要である。短時間労働により収入が減じることなく生活維持に必要な経済的保証が得られる。

 現在の日本においては、認可保育園は待機、親が求職中では入園申請資格を得られず、親の就労がパート、派遣等単価の易い短時間では入園優先度を測るポイントが低く換算され、必要収入は得られない。保育園にも入園できず、幼い子どもたちに留守番させ仕事に向かい、ダブルワークトリプルワークの状況では深夜の子どもの寝ている時間帯に子どもたちだけを残し仕事に出るような状況も珍しくはない。ひとり親の就業率の高さは諸国に比べて高いにも関わらず低所得世帯から抜け出ることができない劣悪な子育て環境はくり返し指摘されているところである。このような不安定な環境下で乳幼児期を過ごさずに済む資金投下を行うことで、子どもの健やかな発達・成長が促され、その後の育ちを大きく左右していくというのがヘックマンモデルの示していることである。

 にも関わらず数少ない現金給付の児童扶養手当は、生活を維持するには低い額に設定されている。その給付要件も同じく生活を維持するに十分ではない収入を基準として切られてしまう。
これらの制度ゆえに自助努力(就労収入を増やす努力)をする貧困家庭は、行政支援を受け難く、行政支援が受けられないという時点で、親の側からは支援制度との縁が切れ、行政からは支援対象外家庭となっていく。

 先にあげた子どもたちが亡くなり、捨てられる事件の多くはその「切れた」ないしは「つながれなかった」ことを発端として生じている。

 発見、未然に防ぐためのアウトリーチが必要だと述べる識者もいるが、どこにどのようにアウトリーチしていくのか。「虐待」は虐待防止対策法によって、通告義務が生じ、通告を要する大きな怒鳴り声泣き声などの音や、事象を目撃された場合に、それを周囲の人々がひろいあげ伝えていく仕組み故に発見されるようになってきた。「発見」→「通告」→「アウトリーチ」という流れで動いている。

 経済的貧困は人的(つながりの)貧困をも誘発する。その中でひっそりと努力したり、ひっそりと身をやつしたり、他者とコミットメントしていく場から断絶していく貧困状況にある親子を「発見」できる「手がかり」がなければアウトリーチには至らないのである。「発見」の場としての皆教育(義務教育)の場が手がかりを得られる場になっていることはSSWの活用事例によって明らかになってきている。

 しかしながら、ヘックマンモデルの指摘に照らすならば、義務教育からでは効果が半減するのである。未就学の段階で発見され、手を打っていく施策に転換していく方法を見出すことが、効果ある貧困対策を打ち出していく上で必要である。

◎必要な施策
①に対応して
・0歳からの皆保育・幼児教育(義務ではない。望むものは皆、の意)を可能にする保育所・幼稚園の増設。入所要件の見直し
・保育料負担額の見直し。保育料以外支出(お昼寝布団、おむつ、粉ミルク、お道具類の用意など)の無償化
・未就学児に携わる保育士、幼稚園教員等の待遇改善。(賃金の引き上げ、単年度契約の撤廃。同一労働同一賃金)
・保育園、幼稚園のSWの常駐(保育ソーシャルワーカーの新設)


②に対応して
・親の学び直し(中卒→高卒等、学び直し。その間の生活所得補償)
・職業訓練の受講や資格取得にとどまらない、就労支援、就業サポート(マッチング、就労の持続、継続の見守り、(パート、契約等の短期雇用ではない雇用))

③に対応して
・親の子育て期の短時間労働の推奨、その間の生活所得補償
・未就学児育児期間の送迎支援、家事支援(親の病気、学び直し、職業訓練などで家事時間を作れない、短時間労働がかなわない家庭等)

④生活所得の保障について
・児童扶養手当の拡充、基準の見直し
・家庭環境の変化に伴う保育料、課税額の減免制度(前年度家庭所得を基準とした額からの減免)
・未就学児を対象とした乳児医療証(保険証の有無によらない)の提示による医療費完全無償
・住居保障

心理的にも手続き的にも経済的にもハードル低く預けられる先がなくて、
子どもが捨てられたり、置いておかれて餓死したり、おかしな預け先で死に至ることを回避しなくてはならない。

将来、未来どころか今を乗り越える力をすべて失った親が子どもと共に死を選ぶのを回避しなくてはならない。

ただでさえ、出産という肉体労働の上に、貧困に至る要因(離婚、病気、障害他)で心身共に弱っている親がこれ以上擦り切れてしまわないように、物心両面から支え、子どもと笑顔で向き合える状況を作らなくてはならない。

日々の、食、住、笑いを長期的に安心して得られるように。
それは、子どもの貧困に限らず、すべての人々にとって社会が、国が補償しなくてはならない。
と、日本国憲法は、為政者に守ることを命じている。(第25条 生存権)

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書いて吐き出したことで、溜飲はかなり下がった。
それでも知りたい。

未就学時期に打つべき手が、施策としてはどんなものなのか。
この世に生まれ出てすぐに、注がれなくてはならない
「効果的人的投資」とは何を指しているのか。

私がその情報にたどり着けないだけで、施策を打ちたてるために調べて知恵を練って立案することを生業とする人たちはその仕事をしっかりとしているんだよね?

隅っこでやってないで、ちょっと調べれば見えるところにもってきてほしい。

しがない当事者もどきのひとり親である私としては、ここに時間と労力を注ぐよりは、
夢中になっている本を読み、子どもたちの明日の持ち物の用意をし、ピアノの練習をして過ごしたい。

あぁ、やっぱり、腹が立ったままみたい。
by shiho_kato | 2014-05-25 23:45 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

子育て期の生活のあり方 ~1分、1秒、に心身を削りとられてゆかないために~

保育園を完卒して、子どもたちが小学生になり、
いちばん楽になったのは、
時間に終われない夕方を迎えられること。

勤務時間ジャストに飛び出して、保育園に向かって、
ギリギリに飛び込む毎日を過ごしてきた。

電車に1本遅れたらアウト。
1秒遅れたらアウト。

帰宅直前に話しかけられることも、
帰宅直前に入る用事も、
帰宅直前の電話も、
帰宅準備がいつも通りに進められない、小さな小さなアクシデントも、
呪わしいものだった数ヶ月前。

いったい、どれだけの呪いを重ねてきただろう、と思う。

いつもの帰宅の電車の2本やり過ごしてしまった帰りの道々、
苛立ちや呪わしさにさいなまれていない自身を振り返りながら、
ぼんやりと考えていた。

お迎えの時間にそこまで脅迫的に遅れてはならないと思った理由はなんだったのだろう。
ひとへに、保育時間という約束。
ひとへに、1秒でも遅れれば加算される多額の延長代。
わが子は、30分も遅れなければ、多少のお迎えの遅れに悲嘆に暮れる性質ではなかったから。

お金のチカラで帰宅を急いでいたのか、と思い至り、
すっと背筋から指先まで冷え冷えしていくのを感じた。

それがなかったならば、呪わずに済んだ数々をあげたら、
その量と重さに押しつぶされてしまいそうだ。
それがなかったならば、すり減らなかったであろう神経。
それがなかったならば、嘘のない笑顔で、興味深く聞けた話の中身。

それらと引き換えにしていたものが、
保育料の延長代だったのか。つまるところ、お金の問題だったのか・・・?
気づかなければ、良かった・・・。

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と、そこで思考を止めてはいけない。

保育料の負担が少ない公立の保育園でも、
保育時間内のお迎えに身をすり減らしている親たちはいて、
じゃ、保育時間を伸ばせばいいかという問題でもなく、
じゃ、勤務時間を早く切り上げられるようになればいいかという問題でもない。

それで解決できる人もあれば、それが解決にならない人もいる。

早い時間に勤務時間を切り上げるわけには行かない仕事があり(保育士しかり)、
収入が減っては困る人もいる。
保育時間を生活の一部で考えると、子どももわが身も健康な生活リズムを保てなくなるラインがあり、
それを超えるのは子どもにもわが身にも望ましくない。

1、子どもとわが身の健康を保てる生活時間のバランス
2、それに応じた働く時間
3、その働く時間によって生活を保証する収入(あるいは経済的な状況)が左右されないこと
4、その働く時間によって職場が影響を受けないこと(職場側から見て補填手段、代替手段があること)

子どもが育つ時期に、子どもを育てる時期に、
削り取られない、搾取されない、生活の仕方を保証される社会に、
なることを切に願う。

いま、必死の保育園時期を超えて、その名残の疲労感に身を浸しながら、
喉もと過ぎた熱さを忘れないように記しておこう。
by shiho_kato | 2014-05-21 17:58 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

母の日、地域密着?の週末

日曜の午前中は百人一首であそぶ会。
今日は学校公開の次の日の午前中。
一日しかないお休みの半日。
そしてクラス替えで、一緒にやっていたメンバーがバラバラになったりもして、
参加は3人。

3人なので、一人が読んで、二人で対戦。
濃く百人一首三昧。
たまにはこういうのもいいよね、と言えるような子どもたちで良かった。

午後は今日も小学校へ。
分団という古めかしい名前の子ども会の保護者会。
係り決め。
来年度は役員学年になるので、そのレクチャーを受けた。
帰り道、同じ学年のお母さんたちとPTAとか、分団役員とかのお話を
たくさん聞かせてもらう。

いろいろと聞きながら、どんな役員も、大変さでは保育園のほうが勝るなぁ。
なのに、やりたくなさは、今のほうが勝るのはなぜだろう・・・。と思ったり。
保育園でも今ごろ行事の担当決めの時期。

帰宅すると子どもたちがこっそり母の日プレゼントをセットしておいてくれた。。
二人それぞれのメッセージに心ほころぶ。
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ぷうちゃん、つぼみいっぱい咲かせようね。
むむちゃん、ニコニコ居られるように心がけるね。

嬉しくて滅多にしない夕方のrun。
川岸からの夕焼けが見たくて。
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川辺から夕焼け空に薄く富士。
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よくよく考えると、電車には乗らなかった週末だから、
ちゃんとお休みできた週末とも言えるんだ。
地域密着のお休み、とも。
そう、だから、今週もがんばろ~。
by shiho_kato | 2014-05-11 19:49 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)