むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:読書ノート( 590 )

大崎茂芳『クモの糸でバイオリン』

「蜘蛛の糸を19万本集めて、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように人が蜘蛛の糸にぶら下がることに成功」したそうだ。

ヒトがぶら下がることに成功した、その次にチャレンジしたのが「バイオリンの弦」
とは言うものの、大崎さん自身がバイオリンに触ったことが無かったので、バイオリンレッスンに通うことから始めたとか。
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うーむ、蜘蛛の糸の研究に40年を費やすことができる。
なんて幸せなヒトなんだ!!

その結果。
蜘蛛の糸を弦とするバイオリン演奏に成功した。


夢とロマン。
なんていう甘ったるい言葉が現実に追求できる。
そんな勇気をもらえる一冊だった。
(大崎さんの本業はコラーゲン繊維等の研究だそうな。)

そして、何の役に立つとか立たないとかを抜きに、そのことに人生を費やすことができることの豊かさをしみじみと実感できる一冊だった。



人類の平和は、この目的的ではない、自身の好奇心の追求に答えがあるのではなかろうか。
世俗にまみれすぎてて、平和から遠ざかってないかしら、と、我が身を省みる。

by shiho_kato | 2017-05-24 18:49 | 読書ノート | Comments(0)

大山淳子『猫弁』シリーズと『原之内菊子の憂鬱なインタビュー』

『猫弁』
お弁当のお話ではなく、弁護士のお話。
あたたかくて面白かったので、5冊せっせと読んでしまった。
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(『猫便』『猫弁と透明人間』『猫弁と指輪物語』『猫弁と少女探偵』『猫弁と魔女裁判』、魔女裁判を読んだら、以前にも読んだことがあったことを思い出した。忘れるって素晴らしい、二度楽しめるということだ)

正しくあろうとすることは、とても難しく、
最終巻の後書きで筆者が言っているように、
「自分でぜんぶ背負うのがいい」
他者に求め始めたら、自他ともに崩壊するしかなくなる。

そして、正しくだけある人と接するのは、疲れることだ。
鈍感力の権化でもなければ、正しくばかりいるのは難しいことだから。

それでも、この小説を読んでいて清々しいのは、弁護士であり「正義」に近いところの仕事をしている人が、「正しさ」を実直に求めるがために不器用だからだ。
「正義」と、「正しくあること」には乖離があることをぜひ、知っていて欲しいと思う。

私自身は、正しく真っ直ぐになんか居られない。
自分の内なる声には、それなりに向き合って、どう処理し、外にどうあらわすかは、ちょいと考えよう。
そのくらいの正直さを持ち合わせていればいいや、って思う。


猫弁シリーズが面白かったので、大山淳子を続けて読む。
『原之内菊子の憂鬱なインタビュー』
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「原之内菊子」は「腹の内、聞く子」の意だ。

聞き女として生まれてしまった菊子の前に立つと、人は話したくなる。
お腹の中に貯めていたことを話したくなる。
お腹の中に貯めていない人は話したくならない。

「話しながら、取り散らかったものを引き出しの中に仕舞う作業をしている。」

うんうんそうそう、うなづきながら読んだ。

菊子の祖母が言う、「話したくなるのは、菊子が相手を信じているからだ。」と。
話し出す側が菊子を信じるのではなく、まず聞く菊子が相手を信じていることが、相手に伝わるから話し出す。

さらっと書かれているけれど、とっても大事なことを言っている。

話してもらえる人になるために、信頼されるために、どうすればいいのか、ではない。
相手を信じる私になるために、どうすればいいのか。

そう転換したとたんに、「自分ごと」になる。
ということは、転換する前は、「相手ごと」だったということだ。

チャイルドラインを頭に思い浮かべながら、そんなふうに「子ども」と「受け手」を捉えていたかどうか。できていたような気もするけれど、いささか自信が無い。

「子どもに信頼される大人になる。子どもに選ばれる大人になる」というメッセージは多かったけれど
「子どもを信頼する大人になる」というメッセージは、はたしてあっただろうか。

子どもを信頼していなければ、電話を受けられない。という前提の置き方はあれど、
そこを高め深め厚くしていこうという考え方はあっただろうか。

楽しく読んでいた小説に、ふいに突きつけられて、おっと、と揺らめく。

by shiho_kato | 2017-05-22 16:51 | 読書ノート | Comments(0)

読書記録

小学生で読書ノートをつけるようになってから今に至るまで、読書記録を付け続けている。

このブログで読書記録も兼ねるようになってからは、読んだものすべての記録ではなく一部記録になっているけれど。

このところ、書く方が追いつかなくて、一部記録は、ほんとにひと握りの記録に成り下がってしまっている。
よくあることだけれど、貯まれば貯まるほど消化できずに持て余し、記録の期を逃し、、、の負のスパイラル。

それで、せめて読んだことだけでも、何かに留めておきたいと思っていたら、
こんな便利なものができていた。

読書管理ビブリア

スマホのバーコードリーダーで本のバーコードを読み込むだけで記録できる。
書名、著者名、出版社に加え、表紙の画像も読み出してくれるので、タイトルだけではなくって、読んだ読まないを思い出すことができる。
記録した日付も一緒に入るので、いつ読んだかも思い出すことができる。
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簡単な感想メモも残すことができる。
これなら滞留なく、続けることができそうだ。
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これを使えば、父の膨大な蔵書もデータ化できるということか。
便利な世の中になったなぁ~。


by shiho_kato | 2017-05-15 19:11 | 読書ノート | Comments(0)

佐々涼子『紙つなげ』

ちょっと前に読んだ本。

私たちが手に取る本の「紙」は、
日本製紙の石巻工場(岩手県)で作られているそうだ。
いわゆる出版で流通している本の4割を占めているそうだ。

たとえば、コミック『ワンピース』
たとえば、『コロコロコミック』
たとえば、『永遠の0』

海外の雑誌、ニューヨークタイムスの、ペラッペラの薄い紙も、
石巻工場で作られたものを、卸しているそうだ。

2011年3月11日の東日本大震災で、この石巻工場も大きな打撃を受けた。

紙が、作られない。

これを再起しなければ、日本の出版界すら現状を存続するのが危うい。
それだけ大きくシェアを占めている紙作り工場が、岩手県石巻にある。

その事実は、この本が出なかったなら、知ることは無かっただろう。


震災の打撃から立て直し、紙を作り出すことのできる状態まで漕ぎ着けた石巻工場を描いたルポ。

書いたのは佐々涼子。
彼女の名前は第10回開高健ノンフィクション賞を受賞した『エンジェル・フライト』で知った。
東日本大震災の数年前に映画化されアカデミー賞外国語映画賞やモントリオール映画祭グランプリを受賞した『おくりびと』とセットで読んだ。

死者を整えて送り出す準備をする「納棺師」を描いた『おくりびと』に対し
国外で亡くなった人を国内に搬送する「国際霊柩送還師」を『エンジェル・フライト』。
どちらも死者と生者をつなぐあまり世に知られていない仕事を知らせる役割を果たした作品だ。


『紙つなげ』を読みながら、私(たち)のこんなにも身近なモノを、作り出している人たちの姿を知らなかったこと、知らずに一生を終えてしまいそうだったこと、たまたま知ることになったけれど、それに類する「知らない」に囲まれて、今、生きていることを痛感した。
この痛感が、生かされている感覚だと身をもって思う。


今年度から、『小説幻冬』を購読することになった。
『紙つなげ』を読んでいたから、表紙の下の方に小さく記されている文字を見逃さなかった。

「この号の本文用紙は、熊本県にある株式会社日本製紙八代工場で生産されたものです」

2016年4月に被災した熊本県。
それを励まし、生かそうとする営みが、ここにもある。


私たちの生活の中には、気づかぬところにこんな支えたり励ましたりイキな取り計らいをしたり、の結果として手に渡っているものが満ちている。


農業とか漁業みたいな直接的な生産物のわかりやすさから離れているからこそ、
経済活動は、お金の勘定のみで成り立っているわけではないっていうことを、ひしと知る。


by shiho_kato | 2017-05-10 15:19 | 読書ノート | Comments(0)

小野寺史宣『ホケツ』

小野寺史宣はぼんやりした少年、青年を書くのがうまい。

ぼんやりというのは、
ガツっとコミットメントできないけれど、仲間に入れないわけではなく
一歩引いたところに身を置いているけれど、冷ややかなわけでなく、
戸惑いながら、少し遅れてひとつひとつを理解しながら、飲み込んで行こうとする前向きなぼんやり。

この姿勢、この距離感、私は好きだ。

『ホケツ』は、それを真っ直ぐに書いたお話だった。
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サッカー部の中のホケツ。
チームメイトの中のホケツ。
家族のあり方もホケツ。

そのポジションを静かに引き受けることは、意外に難しい。
その難しさと、引き受けていくプロセスを描いていて面白かった。

by shiho_kato | 2017-05-09 18:09 | 読書ノート | Comments(0)

「サトラレ」を観る

もう20年以上前の映画「サトラレ」

もとはコミックだったようだけれど、これは映画しか観ていない。
大学院のゼミでの、奈良への桜旅行の車中でこれを話題に盛り上がったことを思い出す。


「恐ろしいよね「サトラレ」」
「考えていることが周囲に聞こえちゃうなんて、ムリ、ぜったいムリ」

「あ、でも、たかのちゃんはサトラレになっても大丈夫なんじゃない?」
って誰が言ったのか、うんうんみなでうなづいた。


心の中と外とが、近そうに見える。
そんな友が居る安心ったら無い。
たかのちゃんが居て良かった、、、。

そう思った車中は、春のふわふわとしたあたたかひ光で満ちていた。




by shiho_kato | 2017-05-06 16:29 | 読書ノート | Comments(0)

中村安希『N女の研究』

NPOで働く女性をN女と言うそうだ。

かれこれ、20年近く前の私はN女のハシリだったわけだ。
N女を止めて7年。

NPOという法人格(と言うのか法人体と言うのか)も、
そのNPOで働くことも、
働いていたNPOの取り組むチャイルドラインという事業も、
どれもこれも黎明期だった。
何をどうするか、は、すべてこちらも手探り、あちら(たとえば法人を認証する側だったり、非営利事業に対する税務の取り扱いだったり、事業に後援をつける省庁だったり、また社会だったり・・・)も手探り、まだらな対応に振り回されたり、振り回したりしていたなぁ、と思い出される。

その黎明期のごたごたの最中で、社会についての基礎的な知識もスキルも経験も無い(たとえば社会保険に関すること、たとえば税務に関すること、たとえば企業やらどこやらへの電話のかけ方等々)状態で、毎日の仕事を成り立たせるために、「死ぬほど」という形容が過言では無いほど勉強しながら駈けずり回る日々だった。

今、振り返って、今だったら、もちょっと何とかなっていたなぁ、と、思う。
今だったら、あんなに大変な思いをせずにいられたこともあるなぁ、と、思う。

よくぞ乗り切ったな(いや、乗り切ってないのか?)の気持ちと、
だからダメでも仕方なかったんじゃないか?の気持ちと、
両方が入り混ざる形で、混沌として残っている。

で、だから、あまりくどくどと思い出さずに居よう、という位置に置き去りにして、もちょっと枯れてくれるのを待っているところだ。


前置きが長いが、そんな中でこんな本は、手にとらなくってもいいや、と思ったのだけれど、
イハラちゃんが読んで、もやっとしているようだったので、
どんなところに、どんなふうにもやっとしているのか、
私がリアルもやっとをNPOに対して持っているのと、
この本の中のもやっとは似ているのかまったく異なるところにあるのか、
知りたい気持ちが勝って、読んでみた。
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感想は?
作者が言葉をどのように工夫して試みたところで、
「バイタリティのある、自ら立つことのできるタレントを持ち合わせた、ごく一部の「特別な」女性」
で、あることに、変わりはないように思えたのが率直なところ。

作者は、おそらく黎明期、私がNPOで働いていた時代のN女と、今のN女とでは、こんなに違ってきている、と言いたのだろう。

実際にそのN女のハシリだった者として、同じようにNPOで仕事として(給与をもらいボランティアでは無い)働いていた人(男女問わず)をインタビューした経験と照らして、描かれた彼女たちの像はあまり変わっていないように思う。

変わっていないと思うのはここ。
・自らの給与は自らで稼ぐ。
・キレイゴトで成り立たないことを知っている。N女は基本的に辛口で毒を有する。「なんだよおかしいじゃねぇか、てやんでぇ」魂みたいなものを持っている。
・極貧生活への覚悟を背負うか、一人で二足ではなくパートナーと二人で三足くらいで生きることを受け入れようという思いと、それはダメじゃないか?の危機感をうっすらと背負っている。


もし、かつての今の異なりをなんとかかんとかひねり出すとしたら、NPOであるか無いかへの肩肘の張り方が、以前より今の方が幾分ゆるいかもしれない。
私たちの時代は、NPOここにあり!みたいなものを示さねば、NPOっていうものを認知してもらわねば、というプレッシャーを同時に背負っていたから。

ミッション実現のために、NPOであっても他の方法であってもいい、っていうのは個々人はみなそう思っていたので、変化ではなく、上記のプレッシャーが薄まった故に、自由に?明確になっただけだ。


残念なのは筆者のまとめ。
女の敵は女。
ステレオタイプにまとめ過ぎ。力尽きちゃったのかな。
インタビューしたタイプの女子たちは女同士でつるまないから、敵となる「女」と敵対するほど近く寄ったりしない。
私はかつてあんなにがんばったんだから、みたいなガンバリージョ(女)は、しゅう縁には居ても中核では生き残れない。


そのほか、読んでよくわかったのは、あの当時から言われていた、アメリカでは他の就職先とNPOとは同等の就活対象だ、というレベルにはまだ程遠いということ。





**********

久々に、NPOと私、みたいなテーマでちょいちょいと我が身を振り返ってみて、
もし、今のまんまの私で、
「NPOで働くか」「そうでないところで働くか」の二者択一を迫られたら、
即答で「そうでない」方を選ぶ。
自身の給与は自身で稼げっていう働き方は私には合わない。



生まれたからには、生きているからには、私の資源を、世に還元しなくては。

この気持ちは以前と変わらずにあるけれど、
還元する方法は多々あって、身を削って還元する「鶴の恩返し」方式はうまくない。
身を豊かにしていく還元の仕方っていうのがある。
それは、必ずしも「職業」とか「生業」と直結していない。
もちろん直結している人も居るだろうけれど、
直結していなくっても、ゆるやかに還元するのを支える形で「職業」があり、
職業と離れたとこに「還元の方法」があることもある。

それを無理に一致させる必要は無いってことに、気づけた40代は、20代の頃30代の頃よりも、よほど還元率が高い気がする。
還元量をプラスとした場合に、それを提供するために損なわれたり削られたりする差し引くべきマイナスがあんまりにも多過ぎだったのが、かつての私だ。

人には向き不向きがある。

不向きな現場で、よくぞあれだけがんばったもんだ、と、褒め続けてあげないと、私自身の自尊感情の採算が合わないからなぁ。


イハラちゃん、だからいいんだよ。
おかしいぜって思うこと全部にアクション起こせない自身の限界を
嘆くことも責めることもつまんないって思うことも無能だって思うこともない。

ダメダメな自分を、ダメだなー私って思うことが気づいたら減ってる。
そんな場所にたどり着けたら、そこからやっと始まることがあるから。
まずはそこ目指せって、40代の私は、30代の私に言いたい。





by shiho_kato | 2017-04-26 16:02 | 読書ノート | Comments(0)

恩田陸『錆びた太陽』

日本各地の原発がテロで爆破され、


日本国土の二割が立ち入り制限区域になる。


立ち入り制限区域は、AIロボットによって管理される。


その立ち入り制限区域内で、密かに政府によって、他国の原発の廃棄物を預かる「レンタルルーム」事業が行われようとしていることが発覚する。半永久的に高額のレンタル料が国の財源として確保されるという計画。


そのとき、AIロボットたちはどのような判断をし、どのような行動に出るのか。




っていうお話。


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バカバカしいファンタジーって、笑えない。


だって、今の政府だったらやりそうだもの。


収入という目先の利益。


リスキーで壊すことも廃棄することも計画に無い(相当に時間がかかり、容易ではない)原発を次々に作り続け、実際に事故が発生し住民の生命を損なったにも関わらず(責任は?東電に押しつけてそれで?)、それらに対ししゃあしゃあと想定外と眉をひそめたにも関わらず、国内での再稼働どころか(あなたたちの想定内って何?)、他国に新設しようっていうことすら平気でする政府だもん。




このところ、くりかえし考える。

「人間の叡智ってなんだ?」

「人間であることってなんだ?」


ほんとに、刹那のこの生存してる80年、あるいは政権にある10年、20年、単位でしか、ものごとを設計しない。






私はいつ死んでも後悔無いように、今を生きることを自らの姿勢として推奨する。


けれど、その全力の中には、子どもたちが大人になったときに今の「負」を遺産として渡さずに済むようにってことも含みでの、「今」への力投。「私の今」をやり過ごすばっかりの今を生きるじゃない。(つもり)








学芸員はガンだし、原発のリスクは見ないふりしてただの金蔓だし、読書よりもアルバイトだし、自由に物言うことは共謀罪で制限されるし、敵を増やす安保法案改悪は行われるし、教育勅語は推奨されるし、銃剣道って誤植かと思うびっくりするような兵隊さん養成のためのバカげたそれがいきなり飛び出してくるし。




今にはじまったことじゃないけど、この国、ダメだな。




って、諦めたり切り捨てたりできないぜ。子どもたちを目の前にして。





by shiho_kato | 2017-04-22 13:34 | 読書ノート | Comments(0)

門井慶喜『おさがしの本は』、夏川草介『本を守ろうとする猫の話』

どこぞの馬鹿な政治家が、「学芸員はガン」だとか宣ったそうな。
こういう人たちは、司書もガンって言うのでしょう。
あなたたちこそ、この国の文化や芸術やetcにとって、ガンですって言いたい。

複数形なのは、こいつの後ろに有象無象のおんなじ「学芸員はガン」「司書はガン」的、文化を共有する馬鹿なオヤジ達がうごめいているのが見えるから。そういう文化に支えられてこの発想はできていて、だからこそ声高に言っちゃえるんだ。自分間違ってる、って疑う余地が欠片も無かったってこと。
あぁあ、どうりで下品な政策ばっかり立ち上がってくるわけだ。


そして、おバカが政治家で隔離されていればいいんだ。
残念ながら、それは社会にじんわりというよりもふんわり全体的に相当あつく層をなしているっぽい。


だってね、新聞の投稿で、本読むよりアルバイトや部活の方が社会を学べるってさ。
あなたの言う社会って、狭っっっっ!!!
アルバイトや部活をしてて、シリアで死んでく子どもたちのことを知れるのか?
日本が国際的に見ても、教育にお金を割かない国だってことを知れるのか?

そんな、「今」しか見えない刹那的な生き物は「人間」なのか?

生きたことの無い過去を受け取ったり、生きることの無い未来に伝えたり、「そこに居ない」時間空間をも我がモノにできるのが他の動物には無い「人間」の際立つ特性だっていうのに。

過去も未来も関係無いっていうこういう人が、教育学部を出て教員になって我が子たちを教える・・・
想像するだに末恐ろしい。
彼本人は想像しない生き物だから、ちっとも危機感無いんだろう。


はてさて、無批判に、本はいいよって言っても論拠、根拠が無い。
私なりの端的な言葉では、自身体験できないことを、運んでくれるのが本であるのだけれど。

二つの小説が、私とは異なる視点で、異なる形で答えてくれている。

門井慶喜『おさがしの本は』
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図書館など要らないっていう政治家に対し、参考人として図書館は何故必要かを述べる。
ちょうど、上記投稿に対する枡野の応答とよく似た弁論だと感じた。

もひとつ。
夏川草介『本を守ろうとする猫の話』
神様のカルテを書いた夏川が、紙の本を無きものにしようとする刺客たちとの闘いに打ち勝っていくちょっとしたファンタジー。


この世は言葉でできてるんだぜ。
私が見ているこの世界は、私が獲得した言葉で認知されて成り立っているんだぜ。
言葉を失った輩は、世界を構築し得ないんだぜ。


って、冒頭の輩たちには、イミフ(意味不明)だろうな。
私の見ている世界では、そういう輩をバカって言うんだ。





もちょっと毒を吐きがてら付け加えておく。

私は司書の末端にも連なれないほどのなんちゃって司書だ。司書職に対してはそうであるが、図書館のヘビーユーザーで本読みであることには、自負があり、その立場で図書館界を理解し支え担うひとりであると自覚している。
それでもって、ときどきあちこちの図書館に電話をかける機会に恵まれる。

するとね、もうね、何回かに一回の割合で当たるんだ。(これ、頻度高いですよ)

ボソボソ喋りなさんな!
相手に聞こえるようにモノを言いなさい!
相手にわかるようにモノを言いなさい!

って言いたくなるような出方をするあなたは、司書ですか?勘弁してください。人とコミュニケーション取るお仕事でしょ。
末端とは言え、同業者だからこそ、いっそう言いたくなる。



もののついでに、付け加えると、
学校事務関係者にも、この手のボソボソ電話応対が多くておののく。
それで仕事になるのか?なってないってわかってるのか?

隣の職員と話しているときのほうが声が大きくてハキハキしてるって、おかしいだろ。
それで仕事になっちゃってるかのように平然とあぐらかいてる人たちが居るから、次から次へと正規職員じゃなくって非常勤職でこと足りるって、切り替えられっちゃうんじゃないの?

同業者だから、こそ、言いたくなるんだよぉぉぉぉ。




どぉやら私、溜まってるものがあるらしい。
言葉で輪郭を与えると自分の中で炎上しそうなので、認識しないようにぼんやりしたままで漂わせておくよ。



あー、こんなこと書くと自分に即跳ね返って来て仕事のハードルあがるーーー。とほほ。

まあいい、それでも言いたい時があるってことで。


by shiho_kato | 2017-04-17 17:18 | 読書ノート | Comments(0)

小野寺史宣『家族のシナリオ』『近いはずの人』『みつばの郵便屋さん』

『家族のシナリオ』

・母は、元女優
・現父は、元父の弟
・元父は、現存中近所住まい

元女優かどうかは置いておいて。
僕と妹と、そしておとなたちの、新しい家族の形は成り立つのか。
しがらみにとらわれない作者だからだろうか。母の造詣が気持ち良い。
難しい設定ほど、人がにじみ出るよな、、、と思う。
僕のやわらか頭な受けとめも、私は好きだ。
「多様な家族のあり方」などと銘打つよりも、こうして淡々と書かれていく方が、身体馴染みが良い。


『近いはずの人』
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どこかで読んだ設定だと思ったら、映画にもなった西川美和の『永い言い訳』と同じだった。
死なれた妻の、知らなかった姿を、紐解いていく物語。
ちょっと残念なのは、生きていたらドロドロになっていたかも。
と、思わせる。
逆を返すと、死んだからこんな風にすっと流れてくれる。
死人を出汁にする使い方をせずに、お話として整ってくれていれば上出来なのだけれど。


『みつばの郵便屋さん』
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『近いはずの人』も、みつば市に住む。
京葉線沿線の設定は、どこのことなのか調べてみたらわかるのかな。
郵便屋さんは、様々なドラマネタを隠し持っていると思う。
隠し持つ力も郵便屋さんの資質のひとつなんじゃないかな。
だから、物語にしようとすれば、あれこれ立ち現れてくることは想像に難くない。
そんなに、郵便屋さんその人に引き付けなくっても紡げると思うのだけれど。
第二弾、第三弾では、もすこし、周辺を描けているかしら。


by shiho_kato | 2017-04-12 17:54 | 読書ノート | Comments(0)