むむちゃんの散歩道

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カテゴリ:読書ノート( 616 )

唯川恵『淳子のてっぺん』

田名部淳子さんに、生前いちどお会いしたことがある。

すごい偉業を成し遂げた方なのに、静かにそっと立っていた。

人を圧することの無いように、最高峰の山を登る圧倒的なオーラもエネルギーも、
そっと仕舞いこまれていた。

最近、年に何度か登山をする。
無言で、ほんとうにこの先頂上に行き着けるのだろうか、という不安を押しやりながら登った山は750m程度の山だったりする。

山に登るって、大変なことなんだな。
2,000m、3,000mの山に、泊りがけで登るってどんなだろう。
恐ろしさと、不安と、退屈と、身を助けるのはこの身しかない心細さと。

登るまでは、42km走るほうが大変だと思っていた。
比じゃなかった。
走るのは右足と左足を交互に出せばいいだけだ。
給水や給食は出してもらえるし、仮に自分で背負っても大した量ではない。
足を痛めて走れなくなったとしても、ちょっとなんとかすればすぐに助けに来てもらえる。

山で、助けを得ることは、ほんとうに大変だ。


『淳子のてっぺん』を、
ぞくぞくしながら読んだ。

どんな環境の中でも安定して健康な心と健康な体を保ち続けることができること。
どんな場面でも次の一歩次の一歩を諦めずに踏み出すことができること。

静かな強さ。
それが山人だ。


唯川恵がこんなふうな小説を書くと思わなかった。
とても良かった。
もっと、こうやって静かに生き抜いた女性たちを取材した小説を書けばいいのに。
架空のありそうな恋愛小説よりも、強く惹きつける力があるのだから。


by shiho_kato | 2017-11-13 16:41 | 読書ノート | Comments(0)

伊吹有喜『なでしこ物語』『地の星 なでしこ物語』

遠州(いまの静岡県)の過疎の進む山里にある名家遠藤家のお屋敷「常夏荘」に住まう、子どもたちのお話。
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語り手は常夏荘の主で未亡人の「照子」なのだけれど、
体が弱く静養のために常夏荘に訪れている遠藤家の御曹司「立海」と、
身寄りを失い遠藤家の山を管理する祖父に引き取られた「耀子」の、
ふたりの子どもたちを丁寧に丁寧に描いている。

不遇な環境で育ってきた耀子が、常夏荘の大人たちに見守られて、ゆっくりゆっくりと自らの持っている力を取り戻していくお話。

常夏荘に住まい、常夏荘に働く大人たちが、手を出しすぎずに、安全で安心な場所をそっと作りながら、耀子がみずから獲得していくのを待てる。

おとなと、子どもの距離感が良い。
燿子の、急がず、ゆっくりじっくりと見つけていくところが良い。
ゆっくりじっくりの耀子の変化に、おとなたちも少しずつ少しずつ変わっていくのが良い。

口数の少ない祖父は、「赤毛のアン」のマシュウへと変化していく。
使用人との間に線を引いていた照子が、共に耀子の誕生会を祝おうとする。

『なでしこ物語』は静かで、悲しさと寂しさも苦しさもあるけれど、あたたかで、救いのある子どもたちの物語だった。


2012年に書かれた『なでしこ物語』から、5年を経て、先月発刊された『地の星』は、
大人になり、常夏荘の主になった耀子の物語。

過疎の山里で、女性たちが働くこと、その地を大切にする思いと、思うだけにとどまらず形にしていく。じれったいほど控えめに慎重に、でも着実に実現していく。

物語の進むテンポは、『なでしこ物語』から少しも変わらない。5年間は空白だったのではなくて、あたためてきた時間だったのだなー。と、思って調べたら、2013年から雑誌で細々と連載を続けてきて、このたび

衰退するふるさとを、なんとかできないだろうか。
その地で採れるもの、育ててきたもの、それに手を加える技術、死蔵になりがちな個々の人たちの力を、集めてつないで、生き生きとしたものへと転換させ、その土地で必要とされる支えやニーズに流し込んでいく。

いま、日本のどこかしこでも、自らの地域を自らの手で活かす試みがなされている。

地産地消とか、女たちの手とか、地域の物産品とか、それらは、こうした物語を背景にしているんだな。

稲穂は美しく、どこか立ち枯れた空気を漂わせる実家の町にも、こんな物語があるのかな。
これからの物語が、既にはじまっているのならいいな。



『なでしこ物語』の耀子から、『地の星』の耀子へは14年の歳月が流れている。
来年2018年に、その14年を埋める『天の花』も発刊されるそうだ。





by shiho_kato | 2017-10-23 11:54 | 読書ノート | Comments(0)

綿矢りさ『手のひらの京』

京都の姉妹と言えば『細雪』

こちらは京都の三姉妹のお話。

ゆっくり進む、静かな小説。
京都という地の特性なのか。

綿矢りさの小説にある「ひとひねり」は、不自然であまり好みではない。
この小説では、不自然なひねりがなくて、静かに読むことができた。
この路線が、いいんじゃないのかな。

京都の小説は、京都に住まった経験を持つ人にしか書けないような気がする。
もちろん北海道だって、青森だって、長野だって、福岡だって、そうなんだろうけれど、京都は特に。

京都出身の綿矢りさだからこそ、気負いなく描くことができた京都の小説。
出かけたくなるなー。

by shiho_kato | 2017-10-19 14:11 | 読書ノート | Comments(0)

柚木麻子『さらさら流る』

柚木麻子の新作。
リベンジポルノを主題にする。

導入がだらだらしていたので、読みかけて放置していた。
あらためて手に取って読み進めたら、最後まで読まずには恐ろしくて居られなくなり、一気に読んだ。

いたずらに過剰におびやかさぬように、あえて、あたたかさとゆるやかさをしっかり盛り込んだ上で、本題に切り込んだのだろうな。

機微を丁寧に、しつこくひらいてひらいてひらいて、描くのが上手い。
小さな、わずかな揺らぎが、悲しく残念な出来事を引き起こす。
生きている上で、誰にでも起こりうると思わせてくれる。

気を抜けないなー、と思う。
気を抜ける場や相手をしっかりと確保していないとなー、と思う。

女の子も、男の子も、「ついうっかり」の、「つい」とか「うっかり」の歯止めに、この小説は読んでおいたほうがいい。


by shiho_kato | 2017-10-14 20:15 | 読書ノート | Comments(0)

お仕事小説 三浦しをん『ふむふむお仕事』『エール』1~3

お仕事小説をせっせと読む。

三浦しをんの『ふむふむお仕事』と、『エール』1~3。

三浦しをんのインタビューは面白い。
インタビュー先の選び方がユニークで、どの人もどの人も、生きる力が強い。
そして、気の合う人の話しか聞きに行っていないんじゃないか?というくらい、率直な話を引き出す。

職業がユニークすぎて、尖っている人たちばかりなので、同じ地平で「働く」を捉えられないのが残念。
平たく働く「会社員」「OL」「公務員」「教員」等々の、フツーの人に、三浦しをんが話を聞いたときにどんなインタビューがなされるのか、読んでみたいなぁ。


『エール』はアンソロジー。
この小説のための書き下ろしのアンソロジーで、あちこちからの寄せ集めではない。
そのためなのか、作家の個性が7割くらいに抑えられているような気がする。

20代の、大卒で就職して、仕事に慣れて、この仕事で今後ずっとやっていくのかどうか、岐路に迷う年代のお話というのは統一されている。

作家が、登場人物にいろんな職業をあてるときのリアリティは、取材によって担保されるのかな、と思うのだけれど、事前の調査や取材が上手い人と、そうでな人がいることが、アンソロジーであることでハッキリ現れた。

人物をつくるのって、丁寧な緻密な作業が必要なんだなー。
お仕事そのもの中身や面白さよりも、描かれ方に目が行ってしまったのが残念。
やっぱり、一冊ガッツリ、その職業を、その人を読むのが、面白い。

by shiho_kato | 2017-10-12 15:53 | 読書ノート | Comments(0)

小林哲夫『神童は大人になってどうなったのか』

ぷうちゃん、むむちゃんが観るテレビ番組は、
「ネプリーグ」(フジテレビ 月曜7時)とか
「今夜はナゾトレ」(フジテレビ 火曜7時)とか
「ミラクル9」(テレビ朝日 水曜8時)とか
「Qさま」(テレビ朝日 水曜(時間さまざま))とか
クイズ番組ばかりだ。

どの番組にも、似たような回答者が出てくるが、最近は東大出身が次々と出てきている。
ややもすれば、そろそろ勤務先の卒業生が東大生として出演することもあるのではないかと、ハラハラしたりもする。

それらのクイズ番組のせいか、東大生が身近に感じられるようになっているような気がするのだが、
かつての牛乳瓶メガネの一風変わった超変人的天才という姿は払拭されたのではなかろうか。

日々、近い将来東大生になる割合の高い青年たちと共に過ごしながら、
彼らは、このあと、どんな未来、どんな将来を進んでいくのだろうか、と思いを馳せることは少なくない。

そんなことを考えていて、目に入った一冊。
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天才の家系はあるのか、とか、
どういう環境で才能は開花するのか、とか、
もし、具体的なひとりひとりを名指しで書いているのでなければ、平板なするっと読んでするっと忘れる本だった。

おそらく50人以上、100人近い、具体的な人とその家庭と子ども時代をあげて書かれていた。
その顔が浮かべば浮かぶほど、書かれていることの浸透率が高まる。

「神童」として取り上げられている人と、「神童」としては取り上げられないけれど、とても似通った天性の才と集中力をもった子どもたちを日々見ている。

おそらく、持って生まれたものはある。

それが摘まれるか、伸ばされるかは、家庭の環境、学べる環境次第であることがよくよくわかる。

持って生まれたものがあっても、環境がそれが伸びることを阻害するものであったなら、十全には発揮されずに生涯を終えることがある。いや、むしろその場合の方が多いのかもしれない。

筆者が、「神童」の価値は、その才をもって「社会にいかほど貢献したか」にあると、くりかえし主張していた。

ひとりの人として捉えた場合に、「社会に貢献」するかどうかよりも、優先すべきは「生きている手応え」を本人がどれほど感じられるか、だと私は思っている。
ただし、上記のように、その才を伸ばすことのできる環境が周囲の努力により整えられたのであるのなら、その環境を得られたことへの感謝の分は、社会に還元したらいいんではないかな、と思う。


私など、その100分の1も無いくらいの才しか持ち合わせていないのだけれど、それでも、もって生まれた分は、十分に発揮させてもらえるように育ててもらったと思っている。なので、大きなことはできないけれど、ちょいちょいと、チャイルドラインとか(これは提供する以上に搾取が大きくなりバランスが崩れた悪例だが)、子どもの貧困とか、よりみちのいえとか、かるた会とか、やりたいことをやりながらだけれど、やっぱり何かをお返ししているつもり。そうすることで、ここに「居る」あるいは「在る」ことの価値を自らに認めることができて、やりたいことをやれるような感じがする。


と、ここまで書いて、いただいたものをお返ししながら生きていくのは、「神童」であろうとなかろうと誰もおんなじだな、と気づいた。


あまり「○○のために」「✖✖する」みたいな、縛りをかけるような因果を結ぶのは好きじゃないんだけど、むむちゃんは思いっきりかるたをやればいい。
その楽しさを、大きくなった時に、かつてのむむちゃんたち子どもに提供する姿が見られたらいいなぁって思う。

by shiho_kato | 2017-10-06 21:34 | 読書ノート | Comments(0)

小手鞠るい『星散りばめたる旗』

アメリカと日本が戦争しているときにも、アメリカに暮らしていた日本人が居た。

大戦中に日本に居る外国人をどのように処遇したかの情報は豊富だけれど、
あるいはアジアの国々に侵攻した日本人が何をしたのかの情報は(真偽正誤のほどは慎重にはからねばならないけれど)豊富だけれど。


そんな当たり前のことを、うっかりすると忘れてしまう。
私の乏しい想像力では、この小説を読まなければ、彼らがどのように大戦中を過ごしていたか知らぬまま終わるかもしれなかった。
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いわゆる「アメリカン・ドリーム」を求めて彼の地に渡りその地に根を下ろした彼らは、開戦と共にスパイ容疑に投獄され、家族は強制収容所に収容された。死ぬのを待たれる日々だ。
いわゆる在米日本人二世、日本国籍日本人の両親のもとに生まれた、アメリカで出生しアメリカ国籍を持つ子どもたちは、敵国日本の子どもとして差別を受けると同時に、徴兵においては日本を敵とするアメリカ軍で闘うか否かを迫られた。つまりは祖父母を殺す兵として。

ひっくり返して、在日朝鮮人、在日韓国人、在日中国人等々に目を向ける。
私は如何程に、彼らの受ける差別の非道さを知っていただろうか。

あらためて、たとえば朝鮮人学校の無償化を除外することは、この地で生まれた子どもが教育を受ける権利の保障を妨げることであることを、血液がフツフツとするような憤りとなって、受け止められるようになった。


私のアタマでっかちの「人権意識」は血や肉にはなっていない。
そこに生きた人をあるいは生きている人を友人のようによくよく知る機会が無ければ、するりと弁舌ばかりで通り過ぎてしまうだけの「意識」に過ぎないことを思い知る。
そして、だから、友人のように感じられる丁寧に生活を描き心の動きを描き日々の暮らしを描く小説が、私の想像力を鍛えてくれる。

by shiho_kato | 2017-10-02 18:00 | 読書ノート | Comments(0)

佐藤正午『月の満ち欠け』&柚月裕子『盤上の向日葵』

第157回直木賞受賞作の『月の満ち欠け』

3代にわたる輪廻転生の物語。
ロマンチックでもステキでもない。
どこに魅力のある物語なのか、私にはわからないけれど、これを「愛の深さ」とかと受けとめる(特に男性)読者多数なのだろうか。

前回の第156回直木賞の恩田陸『蜜蜂と遠雷』がよかったので、路線が変わったかと期待したけれど、やっぱりマニアック?な、賞だなぁと思う。


『盤上の向日葵』は将棋のお話。
「三月のライオン」や、「聖の青春」「将棋の子」で、将棋小説、将棋の物語は身近なもののような気がして手に取る。

が、古臭いお話でした。
貧しいけれど才能の溢れた子どもが、彼を見守り育てる人に支えられてその才を伸ばしていくものの、結局はその貧しかったときの実親の愛情不足ゆえに、誤った道に落ちてゆくというお話。

実親の愛情だけが愛情ではない。
背中に添えられたあたたかな手のぬくもりを体に知っているものは、そこをよすがに生を選ぶ力を得てゆくことができるのに。

生と死と、どっちに揺れるかは、ほんのわずかな差しかない。
願わくは、小説はそのささやかな風を、生に揺れる方へ送って欲しいと願っている。



by shiho_kato | 2017-09-26 22:28 | 読書ノート | Comments(0)

碧野圭『書店ガール6』と、柳美里の書店と、安藤忠雄の子ども図書館と。

町の本屋さんが減っている。

そうだよね、私も本はもっぱらアマゾン。
そもそも書店に立ち寄る時間が無い。
店頭で必ず手に入れられるかどうかわからず、だからといって取り寄せをお願いして繰り返し足を運ぶ時間が無い。行けば、あっという間に1時間、2時間過ごせてしまうのだけれど。

そんな中、柳美里が福島県は南相馬市の小高で高校生のために書店を開く予定だそうだ。
(河北新報9月19日朝刊)
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特色ある小さな書店の試みが、最近あれこれ紹介されている。
ただ本を手に入れるだけの場所では無い「本屋さん」

私のよーな、時間もお金もビンボーな多読人間には、図書館じゃなきゃ困るわけで、
それこそ、特色ある図書館っていうのも、あれこれできてきたら嬉しいなって思う。

翌日の夕刊には、安藤忠雄さんが大阪中之島に子どものための図書館「子ども本の森」を開くニュースが。
安藤忠雄さん「こども本の森」建設、寄付へ 大阪中之島 (朝日デジタル 2017年9月20日09時10分)


そして、今朝の浅田次郎さんのコラムでは、学校図書館(何度か訪れたことのある駒場東邦の図書館だそう)との出会いについて綴られていた。
初めて学校の立派な図書館に入った瞬間。覚えてるもん。中学1年の最初の日か2日目の日か。もうパラダイス。突然目の前が開けて、桃源郷というんですかね。背景にお花畑があるみたいな。」
(朝日新聞 2017年9月21日)
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私もだ。思い出す。福岡県に引っ越して唯一嬉しかったのは学校の図書館が出入り自由で、読みたい本がたくさんあったことと、市立図書館の天井まで届く書架の本、どれもこれも借りて読むことができる本だったということ。本は買って読むのがメインで、借りるのはそれを補うくらいの方法だと思っていた。このときから逆転して、借りて読むのがメインで、手元にどうしても置いておきたいものだけを買う。お金の心配をしなくっていいから、惜しみなく浴びるように溢れるように読むことができて、今に到る。



『書店ガール』のシリーズ6は、
閉店するチェーン店と、これからはじめる街の本屋さんのお話。




どんな形でもいい。
本を媒介として、静かな時間を成熟させていく場所がたくさんたくさんできていくことで、
ひとりひとりが、他者を脅かさない豊かさを身の内にあたためることができるといいな、と思う。
ひとりひとりの、点が線になり面になり、深い思考と知性とが広がって、暴力とか圧力とかと無縁な社会や世界を創造していけますように。私の100年越しの願い。


by shiho_kato | 2017-09-21 18:41 | 読書ノート | Comments(2)

瀬尾まいこ『君が夏を走らせる』

前作『あと少し、もう少し』で、中学校駅伝二区を走った大田のお話だった。
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高校生になった大田が、先輩の1歳10ヶ月になる女の子を、夏休みの1ヶ月間お世話することになる。
中学から喧嘩っぱやくて、高校でも中途半端な煮え切らないヤンキーで金髪ピアスの大田が、言葉もままならない小さな子と過ごすうちに・・・。

というお話。

女の子の鈴香ちゃんがよく描かれている。
そうそう、2歳前後の子って、そうだったよね。
そうそう、このくらいの子と一緒に過ごす時間ってこんなだったよね。
そうそう、どうしてこんなに幸せにしてくれるんだろうって。
あれこれ思い出されることが多くって、読みながら幸せな時間を過ごした。

16歳は、どうにでも転べる。


16歳で居た当時はもう自分はこれで完成してしまっていてあっと驚くような未来も無い将来も無い、、、そんな気分だった。
でも、ハタから見ると、あるいは振り返って見ると、16歳は、どうにでも転べるんだ。

大田を信じて任せようとする先輩が秀逸だ。
『あと少し、もう少し』の上原先生が、本書にも出てくる。とぼけてるけど本質だけははずさない感じが相変わらずいい。
お母さんも、肝も腹も座っていて、いい。
公園の子どものお母さんたちも、とてもいい。


気取らずに過ごしてみたら、生きるのがラクになる。
生きるのがラクになり、息をするのがラクになれば、ヘンな力身は抜けていくんだ。


瀬尾まいこは、そういう変化を「待つ」のが上手だと思う。


私は最近あれこれ結論を急ぎすぎだなぁ。
もう少し、待ってみよう。


できれば、大田のその後を読みたい。

by shiho_kato | 2017-09-20 16:14 | 読書ノート | Comments(0)