むむちゃんの散歩道

mumugi.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2011年 08月 ( 29 )   > この月の画像一覧

8/27 今夏はじめての盆踊り、今夏さいごの盆踊り

d0134102_1695963.jpg

d0134102_1695954.jpg

d0134102_169596.jpg

d0134102_1695999.jpg

むむちゃんは浴衣を着て、
ぷうちゃんはじんべを着て、
保育園の納涼会。

毎年、山形は鶴岡から送られてくる枝豆の差し入れも、かれこれ6年目?
今年は、収穫が難しいという中、当日のお昼前に、手元に届くことになりました。
被災地から朝帰ってきたばかりのお兄さんが運んでくれて。
保育園とのゆかりは何もないのに、そうして届けられてくる贈り物。
ほんとうに、ありがたいです。

納涼会で、おいしい食事と、縁日をたっぷり楽しんで、
近くの神社の盆踊りへ移動。

踊り大好きのむむちゃんは、ひたすら踊り続け、
踊り嫌いのぷうちゃんは、ひたすら遊び続ける
夏の夜。

何モノかに、見守られている、
そんな気がして空を見上げると、
雲間に小さな星、キラキラ光る。
by shiho_kato | 2011-08-29 16:09 | Comments(0)

8/27 よりみちのいえで、よりみちしながらミーティング

久しぶりの、よりみちのいえミーティング。
みなで顔をそろえて、は、3か月ぶり?

この間に、あれこれ動き、動けば動いた分、あれこれある。
そして、それらをひっくるめて、熟成への道のりを、
着々と歩んでいる事を知る。

ひとりひとりが描きながら、動きながら、つかんできた像が、
なぜか、いや、あたりまえのように、一致していく。

すごいなぁ。
確かめ合う言葉、交わしていないのに。

そんな仲間たちだから、きっと、やっていける、
いまのこの地道な土台の積み上げをあせらずに。
そうすれば、その大地の上には、どんな建物をも、立てることができるだろう。

そんなふうに、仲間を信じることができるのは、幸せなことです。
そんなふうに、仲間とコミュニケーションをとりながら、形作っていくものを、もつのは、幸せなことです。

よりみち、良いではないですか。
まっすぐ、進むだけでは、疲れちゃうから。つまらないから。

よりみちしながらの人生、たいへん、けっこうでございます。
by shiho_kato | 2011-08-29 16:08 | Comments(0)

8/26 女子会の夜@マイハウス

自分の家で、飲むのが好きです。

ひとりではなく、誰か、と。
もちろん、気心の知れるであろう、誰か、と。

夏休み最後の金曜の夜は、雷雨。
雷雨の後のしんとした夜に、女子3人で飲む。
ちょっとしたものを、ちょちょっと並べて。

目的なく、おしゃべりをする。
目的などなくても、「いま」の私、いまの私たちの
心に浮かぶよしなしごとを、川の流れるままに、おしゃべりをする。

三人三様の人生を歩んできて、
それぞれに、はっとするような出来事を、歩みの中に抱えている。

生きる、生き続けるって、ステキだな、と思う。
二人は、私よりも少しだけ短い道のり。
だけれど、長さではない、と、つくづくと思う。

後悔をせずに、いま、立っている。
いまと、向き合っている。

たぶん、三人に共通していたのは、そんなところ。
すがすがしく、いさぎよい、生き様をしているではないか。私たち。

だいじょうぶ、どんな風にも生きられる。
自分に正直に、生ききってみようではないか、
ズンと胸に、しっかりと、その想い。

不安に揺れたら、この夜のまばゆさを思い出そう。
そして、「ね、どうしてる、さいきん」と、たずねてみよう。
by shiho_kato | 2011-08-29 16:06 | Comments(0)

読書日記8/26 京極夏彦『死ねばいいのに』

d0134102_1661239.jpg

先日読んだ『おじイさん』に触発されて、
同じく京極作品、『死ねばいいのに』を読む。

タイトルがタイトルなだけに、手が出にくい。
けれど、読み始めると、すいすいすい、と。

うまいなぁ、文章が。
言葉過多なのに、うるさく聞こえない。

『おじイさん』と同様に、心のつぶやきをすべて文字に起こすとこうなるか、
というような、作品。

しぜんと、自らのつぶやきが、文字化されていく。
自分の言葉はうるさいです。

そう、
死ねばいいのに。
死ねればいいのに。
死んでしまえたらいいのに。

死んでしまえ、と思えば、なんだってできる。
あきらめて、投げ出してしまいかけてた、めんどうなことも。
時間のかかる手間隙のかかることも。
わずらわしく敬遠したくなるようなことも。
丁寧につむぎ直してみてもよいではないか。
生が、延長されるだけの時間しか、私たちには与えられていないのだから。

けして、後ろ向きではなく、
けして、投げやりではなく、
けして、おしつけがましくもなく、
「あと少し生きてみるのなら、「も少しまし」に、チャレンジしないか」
そう、呼びかけてくれる、本、でした。

ここには、救いがある。
『マザーズ』に、感じられなかった、救いが。
by shiho_kato | 2011-08-29 16:06 | Comments(0)

夏休み宿題の総仕上げ、の日

d0134102_2321395.jpg

d0134102_2321366.jpg


----------
むむちゃん、ぷうちゃんと、のんびり一日を過ごす。

むむちゃんは、夏休みの宿題の総仕上げ。
あと4日しかない・・・。
私だったら、焦るけれど。

ちっとも気の急くところのないむむちゃん。
マイペースに、淡々と今日は夏休みの宿題の日ね〜、と
楽しんで過ごす様子に、あっぱれ。
私、ちっさいな〜。ちっさかったんだな〜、子どもの時も・・・。

むむちゃんが淡々と宿題をしているので、
ぷうちゃんも、「カエルのテーブルで、おべんきょうする〜」と。
このごろよめるようになった、自分とその周辺の人たちの名前を、
かいてみることに、チャレンジしている。
字をまねる、というよりも、形をまねる。

親切に教えたりはしない。
と、自ら、まわりにある活字のなかから、
名前につかわれている字をさがしだして、
真似て書く。これがなかなか、ステキに書きあげる。

ううむ。
子どもたち、おそるべき、学び力。

それに飽きたころに、むむちゃんはドリルを終えて、
こんどは紙粘土をつかって工作。
ぷうちゃんも、紙粘土で遊ぶ。
見ていたら、私もさわりたくなって、せっせと制作に励む。
つくったものを、生かしたくなって、むむちゃんの工作に、
ひょいひょいと、追加していくと、
「もう、ママやめてよ。むむのしゅくだいなんだから、手、ださないでよ!!」

しかられました。
ママ、やって〜、じゃ、ないんだ…。
自立心、頼もしいむむちゃんに、感服。

たくましい子どもたち。
うれしくて、まぶしくて、アイスクリームをごちそうする。

一心不乱にアイスクリームを食べる子どもたちに、
少しばかり、ほっとする。
まだまだ、子どもだな、と、思って、ほっとする。
ここでイニシアチブをとった気になるなんて、なさけない母だわね。
などと、思ったり。
それがいい、それでいい。

黙々と、アイスクリームをなめる子どもたち。
チリンと、風鈴がなって、夏休みの気分。

そう、長いはずの夏休みも、もうあと数日でおしまいデス。
by shiho_kato | 2011-08-28 23:21 | Comments(0)

読書日記8/28 金原ひとみ『マザーズ』新潮社、山下成司『発達障害母たちの奮闘記』平凡社新書

d0134102_231821100.jpg

d0134102_23182184.jpg

母にまつわる本を、たまたま二冊続けて読む日。

金原ひとみの本は、以前に一冊読んで以来手にとらないように気をつけていたのだけれど、今回テーマにひかれてえいっと勇気を出して『マザーズ』読んでみる。
そして、後悔。
やっぱり、合わない…。

作品として、優れているのかもしれない。
母となることの孤独と、葛藤と、矛盾した我の混乱とを、
見事に描き出していて、痛いほどわかる。
ギリギリと身体の痛みを、記憶の中から思い出して、冷や汗が出るほど。
そして、その生々しさが、いかんとも耐えがたく。

虐待するか否かの、離婚するか否かの、不倫するか否かの、あやうい境界線。
あやういギリギリを、ギリギリのまま描き切っているのは見事と
言うのかもしれないのだけれど。
読むに耐えがたい。


二冊目の山下成司は、『発達障害境界に立つ若者たち』に続く、
母たちへのインタビュー。
こちらのほうが生々しいはずなのに。
『マザーズ』の体感できてしまうリアリティの前に、
牧歌的に読めてしまう。
そう、リアルの中では、えぐりだすような真実は描けない。
だから、フィクションの小説の形が必要なのだろう。


でもなぁ。
『マザーズ』、惜しいなぁ。
出産後の妻を見失いそうな夫たちに読んでほしい。
けれど、読み切れるだろうか。。。
そして、出産後の妻たち、読んでしまったら、安心もするのかもしれないけれど、
共感しすぎて、ギリギリのあちら側へと引き寄せられてしまわないだろうか。。。
おすすめ、ためらわれるなぁ。
by shiho_kato | 2011-08-28 23:18 | Comments(0)

読書日記8/25 三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』メディアワークス

d0134102_14401843.jpg

鎌倉の古書店を舞台にした一冊。

北鎌倉周辺の描写、頭の中に絵と地図を置いて読む。

古書店を舞台といううたい文句だったけれど、
本が持ち主を変えて、古書店をも通過して、
たどりゆく道のりに、物語を付加していく手法。
ふむふむ。

個人的には、第一話が、いちばんおもしろかった。
二話以降も、第一話のテイストでおして欲しい感じ。
鎌倉の描写も、第一話くらい、しつこく。

さっぱりし過ぎているけれど、
でも、夏目漱石の『それから』、太宰治の『晩年』
久しぶりに読みたくなりました。
そして、小山清とは何者??探さなくちゃ。

それだけで、とっても意義深い一冊。
by shiho_kato | 2011-08-26 14:40 | Comments(0)

読書日記8/25 宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱』講談社現代新書

d0134102_15285576.jpg


----------
数日かけて読んだ。
最近、この手の本を読んでいる。思想性よりも、
むしろ科学的根拠が示される本がベスト。

飯田さんの科学的根拠は適切だ。
そして、これらの「科学的根拠」にもとづく本を
読めば読むほど、原発以外のエネルギーで生活する事は、
けして難しくない。
トーシローの私たちにすれば、与えられるインフラであるから、
変化は強いられずに、充たされていくものだったりするのです。

本は読んだほうがいい。
無用な不安感、無用な是非の雰囲気に、呑まれないためにも。
あらためてそう思う。
ネット空間を飛び交う言葉に嘘はないと信じているけれど、
ノイズが多すぎて、処理しきれない。

ゆっくりと暮したい。

電気をとめてそれがかなうならば、
むしろ、のぞむところです。

電気をとめずにかなえるものであるならば、
自らの意思をも少し気合いれて問わねば、ね。
と、思う。
しみじみ。
by shiho_kato | 2011-08-25 15:28 | Comments(0)

8/23 弁護士会子どもの権利委員会主催分科会のパネラーをする


----------
人前でお話をするのは久しぶり。
100人規模。

果たして私に言えることがあるのだろうか。

・・・それは私だけではなくて、一緒に登壇される方たちも思ったようである。

が、打ち合わせの時から感じていたことは、本番がはじまってなお膨らんでいった。

理想を掲げるのは立派で、掲げ続けるのは素晴らしいことだと思う。
しかしながら、掲げた立派が、実践に落とし込まれない限り、
それは「旗」でしかない。

311を期に、旗を旗にとどめず、実のある作品に落とし込もうという気概は大事である。
だけれど、311が訪れる前にもずっとずっと議論を尽くし、努力してきながら、
311という契機を得るまで、踏み出せなかったという事実。
それには深い反省と、繰り返さぬために、今からはじめる重みある一歩が必要であろう。

狙っていたわけではなく、チャイルドラインは愚直に10年以上、電話を聴く活動に徹し続けてきた。
3年前、フリーダイヤル化に踏み切り、2年前からは、全国どこからかけても無料でつながる電話になりえた。
受ける現場の戸惑いも子どもたちの前では意味を成すことはなく、
一本一本、ひとりひとりの子どもたちに向き合うばかりである。

311を向かえ、受ける側も揺れた。
ボランティアのみなさんが、子どもたちを受けられる心性であるかどうか、
電気等の設備、電話回線の確保、、、・。
それらを、全国の仲間たちが補うことに手を上げた。
関東東北で弱くなった体制を、他の地域が補強した。
チャイルドラインは、かわることなく、子どもに向き合い続けることができた。
4月5月6月と、多少の状況の落ち着きをとりもどし、
子どもたちからの電話は確実に増えている。
100%こたえきれないのが、くやしい。

そして、チャイルドラインは、311があったからではなく、
311を経ていまなお、真摯に電話を受け続けるばかりである。

311よりずっとずっと前からチャイルドラインの存在を知っていた子どもたちが口火を切り始める。
にわかに設置した子ども対応電話を即利用できるほどに、子どもたちは図太くない。

子どもを巻き込む仕掛けが次々に作られていく。
それでいいと思う。たくさんの選択肢が増えればいいと思う。
そして、そのひとつひとつは万能ではない。
万能ではないからこそ、互いにつながりあって、支えあえる関係づくりをして、
それが広がりとなって、子どもを支える層を厚くしていくものだろう。

この日のシンポジウムでどのような学びがあったのか、
参加された弁護士さんたちに聴かなくてはわからない。
けれど、これまでの到らなさが招いた今である。
私ふくめ、すべからく。この社会が。
この次に似たようなことが起きた時に、「これまでの到らなさ」に
戻らぬように、今から、ここから、はじめるしかない。
けして今の子どもたちの状況に追いつく事のない、遅いスタートであるということを、
胸に痛みをともないながら刻みながら。

自らを振り返りながら、そう思う。
だから、無駄なようなあがきであっても、今、あがけることに挑戦していくことが、
きっと大事なのだろう。

ひるむことが多い。
でも、ひるみながらでもいいから、向かっていきたい。
by shiho_kato | 2011-08-25 15:07 | Comments(0)

旅行日記 8/20-22 青森旅行

d0134102_1565761.jpg

d0134102_156571.jpg

d0134102_1565753.jpg

d0134102_1565797.jpg

d0134102_1565773.jpg

d0134102_1565712.jpg

d0134102_1565795.jpg

祖母の里がある青森。
北海道で育った私にとって、もっとも身に親しみ
もっとも変わらない場所が、祖母の里である。

子どものころは、毎夏の訪問が恒例行事だった。
子どもたちが生まれて、途絶えていた恒例行事が復活した。

1日目 青森空港→青森駅前市場→浅虫水族館→浅虫旅館泊
2日目 浅虫→みちのえき浪岡のアップルヒル公園→おばあちゃんち
   →近くの柏木温泉泊→叔母の喫茶店「さくらんぼ」で宴会
3日目 おばあちゃんち→アリエッティの舞台「盛美園」→青森空港でおみやげを買う
毎年同じ行程をたどる。

0歳、1歳、2歳、3歳・・・
何を覚えているのだろうか、何を覚え、何を忘れていくのだろうか

ごちゃごちゃした大勢の親族というつながりの集団
ほどほどに寛いで、互いを徹底的に受け止めあってい集団
まれに経験できる集団特性ではない。

その寛ぎと、慕わしさと、懐かしさと、血のつながりの濃さと、
毎年ひとかけらずつ、宝物になっていけばいいな、と願う。

かつて、人生を降りようと思っていたときに、
逃げ込むことのできた唯一の場所が祖母のもとだった。

逃げ込むことのできる先はどこでもいい。
子どもたちに選択肢を増やすことができますように。

そして、いつかここに一緒に来たいと思う人がいる。
それが、未来へ続く道。
by shiho_kato | 2011-08-25 15:06 | Comments(0)