むむちゃんの散歩道

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子どもは社会人か?

夕飯を食べていたらむむちゃんがどういう文脈でか
「ママ、子どもって社会人?」

ひゃ、なんていう投げ掛けをするんだ。

子どもだって赤ちゃんだって、生まれたときから社会のなかの一人でたから、
間違いなく「社会の一員」だから、「社会人」だと思うよ。
でもね、一般的には「社会人」って、働いてる人を指して言うことが多いんだよね、なんでだろうね・・・?

答えながら、頭を悩ませた。
私も疑問だわ。

そういえば、「女性の社会復帰」という言葉に、
「働いてない女性は社会から離脱してるっていう意味?違うよね、復帰って何よ!!」
と憤っていた人がいたなぁ・・・。
たしかに、そうだよね、と小さく共感した。

共感しておきながら、
「社会からの隠遁願望はどのような状態となれば果たせるのか」
と、逆のテーゼを立てて、ため息をついたりもした。
いつまでたっても、どこにいたって、社会の一員からは逃れられないんだなぁ、と。


ぷうちゃんが横からさらに、
「社会と会社って似てるよね~。さかさまにしただけだよ、同じ意味?」
むむちゃんとふたりがかりで説明する。

会社っていうのは一つ一つ別々の建物みたいなので、
社会っていうのはそれが建っている全部の場所みたいなの。
わかるかなぁ?

「わかんない」(けど、まいっか、の様子)


疑問が残るままは気持ちが悪いので、日本国語大辞典にて確かめると、
(1)社会を構成する一員としての個人。
(2)社会で職業につき、活動している人。学生、生徒などに対していう。
"しゃかい‐じん[シャクヮイ:]【社会人】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, http://japanknowledge.com, (参照 2014-05-28)

うむ、辞書を調べてもダメでした。
要するに子どもをどのように捉えてきたかの歴史と思想の問題でした。
「女性の社会復帰」と同じく。

むむちゃんの「不思議に感じる」アンテナは、なかなかに鋭い。

「大事なものには名前がある」のお話を聞いた時に、話してくれたAさんに
「「あなた」じゃなくて、「むむ」ってちゃんと呼んでよ。だいじなものには名前があるんでしょ!」
と言って迫った5歳の時からちっとも鈍っていない。

そのセンスが嬉しくもあり、先々する苦労を思うと、切なくもある。


結論。
子どもも社会人です。
なぜなら、社会の一員だから。
私の答えはこれで決まり。
by shiho_kato | 2014-05-28 21:20 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

第2回「生かそう!子どもの貧困対策法」市民のつどい

子どもの貧困対策法の大綱づくりの検討会が内閣府で行われている。

なくそう子どもの貧困全国ネットワークとして、
その大綱への要望をどうにかして出したいと考えている。
その要望案を豊かにするための機会のひとつとして開催された
市民のつどい。
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スクールソーシャルワーカーの荒巻さんのお話に心惹かれた。
今の私の最大の関心は、

皆保育と、保育ソーシャルワーカーだ。

小学校、中学校、発達支援学校という場はソーシャルワークに適している。
不登校を含め、すべての子どもたちが学校に籍があり、
(一部の戸籍の無い、所在不明の子どもたちを除き)
すべての子どもたちの中に、問題を抱えていそうな子ども、
子どもを入り口とした家庭を見つけ出す場になり得るからだ。
義務教育の場で、皆児童を対象とした場であるからだ。


学校じゃ、遅いことがたくさんある。
子どもの死亡割合が未就学時に多いから。

皆保育であったなら、虐待や虐待未満を発見できる。
皆保育であったなら、ひとりでは育てられないと子どもを殺す、ないしは子どもと共に死ぬシグナルを発する親との接点を、保育所で見つけることができる。
皆保育であったなら、子どもを預けることができないがために働けない親が働ける。
皆保育であったなら、毎日栄養バランスに配慮した昼ご飯を食べることができる。
皆保育であったなら、捨てられない。捨てる先が保育所であったとしたら速やかな保護が可能になる。

自分で育てたい親だって、疲れることがあり。離れたいことがある。
病院に行かなくてはならないことがあり、
役所に行かなくてはならないことがあり、
幼い子どもを連れて行くには難儀なところがある。

まともな生活が成り立つ待遇を保育士に保障し、保育園という「就労先」を増やせばよいではないか。
そして子どもの専門家である保育士は、社会資源を結びつける専門家ではない。
虐待されている子どもを発見することはできても、環境改善までは及ばない。
貧困化にある子どもを発見することはできても、その親のサポートに手を十全に伸ばしていくことはできない。
子どもが安心して毎日を暮らせることへ全力を傾けることに特化していいのだろう、と思う。

そのかわりに、なんらかのサポートを要する親や、
社会資源を活用することで状況を改善できる(就労だったり、病気の治療だったり、etc.
親に、情報を提供しながら、あれこれの組み合わせを一緒に考え、時に付き添い、、、が
できるソーシャルワーカーを常駐させたい。親との子との信頼関係を構築していく上でも常駐は必至だ。

要保護児童対策地域協議会ができて、虐待情報の共有、家庭や親子の環境調整等は、成果を上げているようだけれど、協議会にまであげない事例は多々ある。
協議会に含まれない保育所もたくさんある。そこにも子どもは居るのに。


夢、だ。
実現したらきっと、とってもいい、と確信を持って言える夢。
だけど、これまでみたいに、夢を見てしまったならそれを実現させるために、
がむしゃらになろう、とは思わない。身を削り、身を滅ぼすから。
子どもたちに迷惑をかけるから。

だから、願掛けだけ、しっかりしようと思う。
そして、チャンスがあれば、伝えて行きたいと思う。


チャンスがあったので、グループのお話の時間にはそれを話した。
チャンスがあったので、欲しい施策の要望にそれを書き込んだ。
by shiho_kato | 2014-05-25 23:48 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

【イライラ編】「子どもの貧困」とは ~未就学時期の投資の具体を示せ~

イライラしている。

先の「第2回子どもの貧困対策に関する検討会
http://www8.cao.go.jp/kodomonohinkon/kentoukai/k_2/gijishidai.html
において、4組の有識者がプレゼンテーションした。

うち3組(3名)が、「子どもの貧困対策では未就学時期に投資するのが最も効果が高い」と言い切った。
2人はヘックマンの人的投資モデルを用い、
1人は自身の研究結果から導き出した答えとして。

にも、関わらず、3名とも、未就学時期の「投資内容」「投資先」「投資方法」について、
ほとんどまったく触れなかった。
議事録を何度読み返してみても、1点、「児童扶養手当の拡充」のみ。

ヘックマンはわかったよ。頻繁に使われている図表は、私も何度か目にしている。
じゃ、その内容は?投資すべき施策、日本の施策として打ち立てる内容は何?日本の施策として有効なのは何?
それを示すのが有識者のお仕事ではないのでしょうか?
なんて、中途半端なプレゼンテーションなんだ。

イライラが募るので、走ってばかりいた。本を読んでばかりいた。

でもイライラは消えず、どんどん沸点に近づく。

仕方ないので、指摘されている具体的内容がいいのか、調べることにした。
なれない分野に手を出すと、無駄ばかりだ。
無駄ばかりだけれど、イライラが頭痛や肩こりや不眠や・・・に派生している状態よりはまだましだ。

ようやくいくつか答えらしきものにたどり着いた。

その整理未満のメモ
***************
あれこれ読んでみた中で、私がインスピレーションを受けることができた池本論文(※)をベースにして立ち止まって考えることにした。

※池本美香「経済成長戦略として注目される幼児教育・保育政策-諸外国の動向を中心に-」教育社会学研究,88(2011),27-45

◎貧困問題は、生活所得が十分にない、というところに端を発する。
生活所得が十分にないとは。
①就労できる人・・・就労による収入の不足。(賃金が低い、労働時間が短い)
②就労できない(病気、障害、子どもが小さい等)・・・収入源となるものがない。

そのことをまず押さえた上で、池本氏が紹介する成功施策は次の3点(と、勝手に私が要約)
①皆保育・皆教育年齢の低年齢化
②就労支援、職業訓練、学び直し支援(学歴取得含む)
③就労時間の短時間化

①によって、達成されるのは、子どもたちの居場所の確保だ。
すべての子どもたちが身を置ける場所を早期に作り出すことで、
格差が拡大する前の予防となる。
すべての子どもたちに食を提供できる。
忘れずに付け足さなくてはならないのは教育は、発達段階に応じた遊びによってより伸びる、
ということをそれらの国々は低年齢の子どもたちの「教育」の中心に据えていること。

②によって、達成されるのは、格差の中に放り込まれた親が
自らの成長によって、格差を縮小する主体者となっていくことだ。
そしてここでも忘れずに付け足さなくてはならないのは、親こそが子どもにもっとも身近な教育者である、
という考え方から、親の学び直しや訓練や就労がサポートされていくこと。
子どもたちが学べる親になることが目指されてる。

③によって、達成されるのは、低年齢の子どもたちが親と共に過ごす時間を十分に確保すること。
ゆとりある時間は親の心のゆとり、肉体のゆとりにつながり、穏やかに子どもと向き合うことができる。
子どもは十分に安心して愛情を得、自己肯定感を育むことができる。
双方に、学びの意欲、生きる意欲が生じてゆく。

そして、
④上記①~③が安定して、安心して成り立つだけの、生活所得の保障を同時に行っている。

***********
という私の個人的な理解にたって、日本はどうか、無理やりまとめた現状の把握(私の理解)と、必要な施策(私案)は下記のとおり。

◎現状の把握
 この数ヶ月間に下記のような事件が起きている。すべて、ひとり親世帯で生じている。
・3月17日母子世帯、2児をベビーシッタ宅にて2歳児死亡(埼玉県富士見市)
・3月28日母子世帯、1歳女児をトイレに置き去り、H24棄児44名(大阪市)
・5月21日母子世帯、小1息子を殺害、34歳母親を逮捕。無理心中か(京都・山科)
これらすべてが貧困を起因とすると断ずることはできないが、ひとり親世帯の半数以上は貧困ラインを割っている。

 また、厚生労働省、文部科学省からは、下記のような調査結果が報告されている。
・児童の置き去り(棄児H24・44名)
・虐待死(心中含むH22・98名)-以上厚生労働省報告より。
・居所不明児童(H24入学時998名、入学後493名)-以上文部科学省報告より。
居所不明児童が確認できたのは、入学時に入学するはずの児童が現れなかったためである。入学時にすでに不明となっていることを鑑みても、入学後からの対処では遅いことが知れる。

 すでに、貧困研究を行っている研究者らから指摘されるヘックマンの人的投資モデルによると貧困対策においては、0~5歳児への投資が最も効果的であるとされている。

 諸外国の貧困対策で成果があがった例を複数検討すると、①0~5歳の期間に皆保育・皆教育の制度に子ども組み込まれること、②親の就労が訓練のみならず就業まで支援が受けられること、③親の就業時間が短時間であっても生活に必要な所得が得られること(就労による収入、手当等による収入)以上の3点が達成された国においては、「子どもの貧困」が解消されていっている。

①に関しては、未就学児のうちにすべての子どもが社会の受け皿に身を置くことが寛容であり、それによって、子どもの生活状況が子どもの発達の初期段階から把握でき、その後の成長プロセスでの変化等を見守ることができる。

②就労訓練による働くスキルを得た後の、職に就き、仕事を続けるところまでサポートされることにより、就業の持続、継続性が保たれる。

③未就学児の子育て期の親の心身、特に産後期・授乳期・抱っこ期の肉体的負担は他の期に比べても大きい。外で仕事をし、家庭内で家事を行い、育児を行う、それらの肉体的バランスが保たれていなくては健康で労働を続けることは難しい。そのため、長時間労働を避け、家事労働、子どもと穏やかに過ごせる育児時間、そして休息に体力・時間を残すことが必要である。短時間労働により収入が減じることなく生活維持に必要な経済的保証が得られる。

 現在の日本においては、認可保育園は待機、親が求職中では入園申請資格を得られず、親の就労がパート、派遣等単価の易い短時間では入園優先度を測るポイントが低く換算され、必要収入は得られない。保育園にも入園できず、幼い子どもたちに留守番させ仕事に向かい、ダブルワークトリプルワークの状況では深夜の子どもの寝ている時間帯に子どもたちだけを残し仕事に出るような状況も珍しくはない。ひとり親の就業率の高さは諸国に比べて高いにも関わらず低所得世帯から抜け出ることができない劣悪な子育て環境はくり返し指摘されているところである。このような不安定な環境下で乳幼児期を過ごさずに済む資金投下を行うことで、子どもの健やかな発達・成長が促され、その後の育ちを大きく左右していくというのがヘックマンモデルの示していることである。

 にも関わらず数少ない現金給付の児童扶養手当は、生活を維持するには低い額に設定されている。その給付要件も同じく生活を維持するに十分ではない収入を基準として切られてしまう。
これらの制度ゆえに自助努力(就労収入を増やす努力)をする貧困家庭は、行政支援を受け難く、行政支援が受けられないという時点で、親の側からは支援制度との縁が切れ、行政からは支援対象外家庭となっていく。

 先にあげた子どもたちが亡くなり、捨てられる事件の多くはその「切れた」ないしは「つながれなかった」ことを発端として生じている。

 発見、未然に防ぐためのアウトリーチが必要だと述べる識者もいるが、どこにどのようにアウトリーチしていくのか。「虐待」は虐待防止対策法によって、通告義務が生じ、通告を要する大きな怒鳴り声泣き声などの音や、事象を目撃された場合に、それを周囲の人々がひろいあげ伝えていく仕組み故に発見されるようになってきた。「発見」→「通告」→「アウトリーチ」という流れで動いている。

 経済的貧困は人的(つながりの)貧困をも誘発する。その中でひっそりと努力したり、ひっそりと身をやつしたり、他者とコミットメントしていく場から断絶していく貧困状況にある親子を「発見」できる「手がかり」がなければアウトリーチには至らないのである。「発見」の場としての皆教育(義務教育)の場が手がかりを得られる場になっていることはSSWの活用事例によって明らかになってきている。

 しかしながら、ヘックマンモデルの指摘に照らすならば、義務教育からでは効果が半減するのである。未就学の段階で発見され、手を打っていく施策に転換していく方法を見出すことが、効果ある貧困対策を打ち出していく上で必要である。

◎必要な施策
①に対応して
・0歳からの皆保育・幼児教育(義務ではない。望むものは皆、の意)を可能にする保育所・幼稚園の増設。入所要件の見直し
・保育料負担額の見直し。保育料以外支出(お昼寝布団、おむつ、粉ミルク、お道具類の用意など)の無償化
・未就学児に携わる保育士、幼稚園教員等の待遇改善。(賃金の引き上げ、単年度契約の撤廃。同一労働同一賃金)
・保育園、幼稚園のSWの常駐(保育ソーシャルワーカーの新設)


②に対応して
・親の学び直し(中卒→高卒等、学び直し。その間の生活所得補償)
・職業訓練の受講や資格取得にとどまらない、就労支援、就業サポート(マッチング、就労の持続、継続の見守り、(パート、契約等の短期雇用ではない雇用))

③に対応して
・親の子育て期の短時間労働の推奨、その間の生活所得補償
・未就学児育児期間の送迎支援、家事支援(親の病気、学び直し、職業訓練などで家事時間を作れない、短時間労働がかなわない家庭等)

④生活所得の保障について
・児童扶養手当の拡充、基準の見直し
・家庭環境の変化に伴う保育料、課税額の減免制度(前年度家庭所得を基準とした額からの減免)
・未就学児を対象とした乳児医療証(保険証の有無によらない)の提示による医療費完全無償
・住居保障

心理的にも手続き的にも経済的にもハードル低く預けられる先がなくて、
子どもが捨てられたり、置いておかれて餓死したり、おかしな預け先で死に至ることを回避しなくてはならない。

将来、未来どころか今を乗り越える力をすべて失った親が子どもと共に死を選ぶのを回避しなくてはならない。

ただでさえ、出産という肉体労働の上に、貧困に至る要因(離婚、病気、障害他)で心身共に弱っている親がこれ以上擦り切れてしまわないように、物心両面から支え、子どもと笑顔で向き合える状況を作らなくてはならない。

日々の、食、住、笑いを長期的に安心して得られるように。
それは、子どもの貧困に限らず、すべての人々にとって社会が、国が補償しなくてはならない。
と、日本国憲法は、為政者に守ることを命じている。(第25条 生存権)

***********
書いて吐き出したことで、溜飲はかなり下がった。
それでも知りたい。

未就学時期に打つべき手が、施策としてはどんなものなのか。
この世に生まれ出てすぐに、注がれなくてはならない
「効果的人的投資」とは何を指しているのか。

私がその情報にたどり着けないだけで、施策を打ちたてるために調べて知恵を練って立案することを生業とする人たちはその仕事をしっかりとしているんだよね?

隅っこでやってないで、ちょっと調べれば見えるところにもってきてほしい。

しがない当事者もどきのひとり親である私としては、ここに時間と労力を注ぐよりは、
夢中になっている本を読み、子どもたちの明日の持ち物の用意をし、ピアノの練習をして過ごしたい。

あぁ、やっぱり、腹が立ったままみたい。
by shiho_kato | 2014-05-25 23:45 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

【スッキリ編】「子どもの貧困」とは~ 「貧困対策」「子どもの発達保障」

「子どもの貧困」ってなんなんだろう?
5年以上子どもの貧困の活動に携わっていて、説明できる言葉を持てずにいた。

どのような状況に子どもたちがあり、その状況ゆえに、何を失い、何を疎外されるのか、
その具体についてはたくさんたくさんお話を聞いて、知ることができ、わかることができた。
それでも、子どもの貧困とは何かを端的に説明できる言葉を獲得することができなかった。

5年を経て、ようやく出会ったこの言葉が、腑に落ちた。
・「子どもの貧困対策」のベースは、「貧困対策」
そして、「貧困対策」の中でも、
・「子ども期という特性に焦点化し、子どもの成育条件・教育環境を整備・改善・充実する必要性」

※【第3回子どもの貧困対策に関する検討会 配付資料  3.湯澤直美氏提出資料】
http://www8.cao.go.jp/kodomonohinkon/kentoukai/k_3/gijishidai.html


「子どもの貧困」とは、
「貧困の問題の中の、子どもに特化した内容」のことなんだ。

書いてしまうと当たり前の言葉の羅列だけれど、
私には、ようやくすっきりとよくわかった。

子どもの貧困ってつまりは親の貧困ってことでしょ。

そう正解。
親の貧困により家庭環境(生育環境)教育環境が整わないことが、「子どもの貧困」
貧困により家庭環境(子の生育環境)教育環境を整えることができないのが、「親の貧困」
立場の違いによる切り口の違いということなんだ。

それだけわかるのに、5年を費やした。
でも、5年費やした甲斐があった。答えを見つけることができたから。
by shiho_kato | 2014-05-24 22:19 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

百人一首に「ひとりかもねむ」二首ありて。

むむちゃんが、
「昔の言葉の辞書ってあるの?」
あるよ。
「貸して。」
どうぞ。
「ママ、辞書のひきかたって今の言葉と一緒だよね。「かもねむ」って載ってないね」
かもねむ?
「「ひとりかもねむ」って百人一首にあるでしょ。どうい意味かなって思って」
あるね、何首目だっけ?
「ひとつじゃないんだよ、えっとね、「あしびきの」、と、「きりぎりす」と。」

あしびきのやまどりの尾のしだり尾の  長々し夜をひとりかもねむ (柿本人麻呂)
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかもねむ (藤原良経)

シンプルには「ひとりで寝る」という意味だけど、辞書引きながらの場合だから
分解しなくっちゃ、はてさてどう分解するんだっけ・・・。
こっそり先に訳文を見ちゃってから分解にかかった。

辞書的には、「か」「も」が、係助詞で別々でもいいけど、
「かも」あわせての係助詞で、推量、詠嘆でひろってもいいかな。

「ね」はむむちゃんに和歌を見せつつ「寝」(ね)であることを、説明。
「む」は推量の助動詞、で「~かなぁ・・・。」

詠嘆って何、とか、推量って何、とか、冷や汗ものの質問に、
むむちゃんのわかる表現を選びながら答えて、
「じゃぁ、こんな感じ?「あぁあ、ひとりで寝るのかなぁ・・・。」」
うんうんうん、そんな感じ。
むむちゃんの持ってる百人一首の本を見てみて。

「あ、ほんとだ~!あってた!」

教員免許は使わないとただのペーパードライバーだ・・・。と、しみじみと実感。
そして、ひとりかもねむ、が2首あることに気づき、どういう意味だろう、と関心を持つ小学生に、たじたじ。

それ以上の深追いがないことに、胸をなで下ろした。


********

その翌日、むむちゃんはひたすら漢字のノートに向かっていた。
「ママ、あのねやばいよ、今日中に75ページまで終わらせるんだって。」
そうなの?今何ページ?
「えっとね、26ページ」
え・・・。(絶句)

それって、前から宿題になってたの?
「う~ん、宿題っていうか、ドリルの終わったところにあわせてノートも追いついていくようにっては言われてたけど・・・」
それで、なんでいきなり75ページなの。
「えっと、みんなの足並みをそろえようってことになって、終わってる漢字のところが、ノートだと75ページだったから」
で、むむちゃんはどうしてそんなにたまっちゃったの?
「一日1ページくらしかやってなかったから、、、かなぁ」
みんな終わってるの?
「終わってる人と、終わってない人がいるよ。」
そっか、でも75ページまで、って今日中は無理な気がするけど・・・。
「むむもそう思う」

夕飯時には、和やかにおしゃべりしながら夕飯を食べ、
お風呂にもワイワイ言いながら入り、さすがに「先にあがるね」と先にあがり、
ノートに向かってはいるものの、切迫感のオーラは無く、淡々としている。

ぷうちゃんは、むむちゃんにお風呂上がりのデザートを持って行ってあげていた。
邪魔にならない程度にお隣の部屋に離れて、DVDを見たり、
アナと雪の女王の何やらをタブレットで観ていた。
私は静かにマーマレード作り。

いつもよりも少しゆっくり目の時間に「そろそろ寝ようか」と声をかけた。
あとどのくらい?
「う~ん、あと30ページくらい」
30ページか、朝起きてやっても終わらないね。他にも終わってない人たくさんいるよ、きっと。
「そんなことないよ、(むむちゃんの仲の良いお友達の名前の羅列)はもう終わってるもん」
そっか。とりあえず、今週中に終わればいいことにしようか。
「そうだね、ご飯食べなきゃならないし、お風呂も入らなきゃならないし、寝なきゃならないしね」
朝早く起こす?
「起きるからいい。」

そして、わずかの間に眠りに落ちた。

私だったら、涙と絶望感にさいなまれながら、追い込まれた状況に打ちひしがれつつ、
食べるのも、お風呂も、寝るのも、何もかもをも拒んで、ノートにしがみついてるだろうな・・・。
この、淡々とした様はいったい・・・。

翌朝も、あまりいつもと変わらぬ時間に起きてきて、10分程度をノートに費やした。

翌日夕方に学校から電話がきて、終わっていない何人かと共に残ってやっていきますので、
と担任の先生。
下校時間いっぱいになり、結局終わらないままではあったものの、5時前に帰宅した。

お残りたいへんだったね。
「うん、でも残った人けっこういたよ。」
なんにんぐらいいたの?
「8人」
クラスの4分の1か。あとどのくらい残ってるの?
「3ページだから、終わるよ」
よかったね、終わらせられそうで。

と言いつつ、ノートに向かう時間になかなか終わりがやってこない。
まだ終わらなそう?
「うん、あと12ページあった」
・・・終わらないね、今日の夜だけじゃ。できるとこまでがんばって。

今日も少し遅めに「そろそろ寝ようか」と声をかけた。
あと何ページ?
「えっとね、あと9ページ」
学校で朝提出するの?
「朝のときもあれば、終わりの時間のときもあるよ」
じゃ、休み時間にやれば、終わりの時間には間に合うかな。
「うん、たぶんね」

おやすみなさい。
「おやすみなさい。」


肝の据わったむむちゃんに、感服。
古語辞典をひこうとするむむちゃんにも、
宿題の遅れに動じないむむちゃんにも。


翌朝、昨日同様に少しだけ早く起きてきてノートに向かうむむちゃん。
いつも通りに起きてきたぷうちゃんが、朝食前に涙をこぼして、訴えた。
「・・・ママ、音読するのわすれちゃった・・・。ヒック」
大丈夫だよ、今読めるよ。教科書もっておいで、。
涙をふきふき「うん・・・」
おねえちゃんに気をとられて、昨日は我が身の宿題を忘れていたよう。

むむちゃんは、音読なんて朝でもできるから、
夜やらなくってもいいや、が常になりつつある。

むむちゃんという人のこのおおらかさが、
どうできあがってきたのかさっぱりわからないのだけれど、
「知りたいことを知りたい」を優先でき、
そうでもないことはそうでもないなりにとらわれずに居られるその姿に、
学ぶことは多いわ。

内心では、ものすごく必死だった、のかどうか、すべて終えられたころに聞いてみよう。
by shiho_kato | 2014-05-23 20:52 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)

子育て期の生活のあり方 ~1分、1秒、に心身を削りとられてゆかないために~

保育園を完卒して、子どもたちが小学生になり、
いちばん楽になったのは、
時間に終われない夕方を迎えられること。

勤務時間ジャストに飛び出して、保育園に向かって、
ギリギリに飛び込む毎日を過ごしてきた。

電車に1本遅れたらアウト。
1秒遅れたらアウト。

帰宅直前に話しかけられることも、
帰宅直前に入る用事も、
帰宅直前の電話も、
帰宅準備がいつも通りに進められない、小さな小さなアクシデントも、
呪わしいものだった数ヶ月前。

いったい、どれだけの呪いを重ねてきただろう、と思う。

いつもの帰宅の電車の2本やり過ごしてしまった帰りの道々、
苛立ちや呪わしさにさいなまれていない自身を振り返りながら、
ぼんやりと考えていた。

お迎えの時間にそこまで脅迫的に遅れてはならないと思った理由はなんだったのだろう。
ひとへに、保育時間という約束。
ひとへに、1秒でも遅れれば加算される多額の延長代。
わが子は、30分も遅れなければ、多少のお迎えの遅れに悲嘆に暮れる性質ではなかったから。

お金のチカラで帰宅を急いでいたのか、と思い至り、
すっと背筋から指先まで冷え冷えしていくのを感じた。

それがなかったならば、呪わずに済んだ数々をあげたら、
その量と重さに押しつぶされてしまいそうだ。
それがなかったならば、すり減らなかったであろう神経。
それがなかったならば、嘘のない笑顔で、興味深く聞けた話の中身。

それらと引き換えにしていたものが、
保育料の延長代だったのか。つまるところ、お金の問題だったのか・・・?
気づかなければ、良かった・・・。

**********

と、そこで思考を止めてはいけない。

保育料の負担が少ない公立の保育園でも、
保育時間内のお迎えに身をすり減らしている親たちはいて、
じゃ、保育時間を伸ばせばいいかという問題でもなく、
じゃ、勤務時間を早く切り上げられるようになればいいかという問題でもない。

それで解決できる人もあれば、それが解決にならない人もいる。

早い時間に勤務時間を切り上げるわけには行かない仕事があり(保育士しかり)、
収入が減っては困る人もいる。
保育時間を生活の一部で考えると、子どももわが身も健康な生活リズムを保てなくなるラインがあり、
それを超えるのは子どもにもわが身にも望ましくない。

1、子どもとわが身の健康を保てる生活時間のバランス
2、それに応じた働く時間
3、その働く時間によって生活を保証する収入(あるいは経済的な状況)が左右されないこと
4、その働く時間によって職場が影響を受けないこと(職場側から見て補填手段、代替手段があること)

子どもが育つ時期に、子どもを育てる時期に、
削り取られない、搾取されない、生活の仕方を保証される社会に、
なることを切に願う。

いま、必死の保育園時期を超えて、その名残の疲労感に身を浸しながら、
喉もと過ぎた熱さを忘れないように記しておこう。
by shiho_kato | 2014-05-21 17:58 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)

瀬尾まいこ 『あと少し、もう少し』

瀬尾まいこの書く陸上部、しかも駅伝の小説なんて、
「アタリ」に決まってる。

と思いながら読んだ『あと少し、もう少し』
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一区一章仕立て。
一章読むごとに、つまりは一区ずつタスキが渡るごとに、
胸が熱くなりすぎ・・・。

2区大田の章、良かったなぁ。

中学生の、中学生ならではのトゲトゲをしっかりと描けるのは、
彼女が中学教員をしていた賜物。

中学生、高校生の時代は、
ハリネズミが外側にハリを伸ばすのみならず、
くるりと裏返して内側にも伸びて「イタイ」。
まわりから見ててもイタイし、
ほんのちょっとの身じろぎに、自身がチクチクと刺されてイタイ。

そこが丁寧に、さらりと書かれていて、
トゲトゲだらけで、傷だらけだった10代のころが思い出されました。

*********

「ハッピーエンドの小説は嫌い」と言っていた女の子は、
今でも、ハッピーエンドの小説が嫌いでいるのかな。

「人生にハッピーエンドなんて無い、
できすぎたストーリーは共感できない。」

この小説を読み終えて、彼女の言葉を思い出している。

人生のエンディングがハッピーかそうじゃないか、決められるのはひと握りの人だろう。
人生のエンド、死は突然に訪れやすいものだから。

小説のハッピーエンドは、人生の途中のコンマとかピリオドを小さく打ったその地点、でしかない。
どこにコンマを打つか、ピリオドを打つかで、
小説は、ハッピーにも、アンハッピーにも終えられる。

自身の物語も、振り返ったり、今を起点としながら、
ある時期を切り取って、
ハッピーと解釈するか、そうではないと解釈するかは、
解釈の問題でしかない。

同じ出来事が、
ハッピーな物語の一コマと捉えられることもあれば、
悲劇への布石と捉えられることもある。
その時々の心性だったり、捉える時に身を置いている状態によって変わる。

人のひとりひとりの感性は、コントロールの利く部分とそうではない部分があるので、
そうそううまくはいかないのはわかっている。

でも願わくは、
今日のような鬱々とした雨の日をエンドとするとしても、
鼻歌を歌いながら、朝のお出かけ前を過ごしていたぷうちゃんの歌声をBGMに、
本を読む喜びを120%抱きながら図書館で仕事を得、
中学生、高校生の若者たちの現場に身を置き、
保育園や学童期の子どもたちとその時期に必死で子どもを育てる親たちの姿に思いを傾け、
わが子を無事に笑顔で送り出せたということだけで
十分にハッピーエンドだった、とピリオドを打ちたい。


東京での生活を続けられるのか、という過去からの不安を思えば、
今を迎えられた今日、というだけで、十分にマル。
今の生活を続けられるのか、という未来への不安を思えば、
今を迎えられている今日、は、十分にマル。

**********

ハリネズミのトゲトゲが少しずつ抜け落ちて、少しずつ先端が丸くなって、
ちょっとしたことでは、傷を受けなくなっていき、イタミが薄れていく時がやってくる。

彼女が、そんな人生を歩めているといいな、と、思う。
by shiho_kato | 2014-05-20 22:20 | 読書ノート | Comments(0)

上橋菜穂子『獣の奏者』完読

一気に読みました。
読める気がしていなかったので、
図書館で一巻目だけ借りるに留めたのに。

読み出したら、全巻読まずにはおられず、
慌てて借り足して、青い鳥文庫で8冊。
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読み終えてため息。
終わっちゃった寂しさと、
読み終えられてよかったこれでもう囚われずに済む安堵と。

自然界の生命の成り立ちをイタズラに人の配下に置くことへの警告、
目に見えぬ均衡を保たんとするための自然の生命の不思議、
禁が禁として生かされるためには
秘することよりも明らかな形で学び伝えてゆくこと。

そうやってまとめてしまうと、
説教くさい物語に早変わりしてしまう。
けれど、人が何に立ち止まり考えることを
しなくてはならないのか、
この物語の中に織り込んで、一気に読ませて、
静かな余韻の中に薬効を忍ばせていることは、たしか。
学者で作家らしい書きぶりだった。

自然界の森羅万象を友として生きる立ち方は性に合うわけで、
動物ものはちょっと苦手だけれど、この物語は読ませてくれた。

総じてファンタジーのチカラに呑み込まれたひと時を過ごした。
文字からなる本というものに魅せられる生き物に生まれて幸せだなぁ、とつくづく思う。

次は守り人シリーズが待つ。
でも、お休みの日までちょっと休憩。
平日の暮らしとしては、まずは寝たり食べたり飲んだりしなくちゃ。
身がもちませ〜ん。
by shiho_kato | 2014-05-18 23:47 | 読書ノート | Comments(0)

運動会の5月

週末土曜日は運動会の一日でした。
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例年より1,2週早い運動会の開催に、準備期間が短くなり、
練習はたいへんだったよう。
GWもあったので、実質1ヶ月弱といったところ。

水曜にむむちゃんが発熱し、扁桃炎。
喉か・・・。熱の出やすい箇所。
病院の先生には運動会に出たかったら明日は休むことと言われたものの、
昨年の皆勤賞の喜びの名残りが残るむむちゃんは行きたい、と。
朝熱が下がっていたら体育、運動会の練習は見学の約束で登校。
喉が痛くて、痛む喉に相性の悪い給食に早退。

早退のお迎えに行くと、担任の先生から
疲れが出て休んでいる生徒が数名居まして・・・。と。
練習疲れの出る頃だったのか。
午後、しっかり3時間お昼寝。にわかにスッキリした様子。

ぷうちゃんはご機嫌バッチリの日々。
机に向かうお勉強よりも運動会の練習は楽しく性にあっているようで。
帰って来ると、座ってこっくりいねむりしたり、お布団に入りお休みなさいと同時に入眠。
翌朝にはぴっかりんこの笑顔。

2人の様子を案じつつなんとか土曜日。

朝はやや固い顔で出掛けたぷうちゃんに心配したけれど、
ラジオ体操に始まり、毎晩むむちゃんと踊りほうけたダンスも、
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玉入れも楽しみ、
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走れば、40メートル走はぶっちぎりの1着。
リレーは4位のバトンを3位で渡し。
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出る競技が少なくて退屈しないか案じたけれど、
机の無い、教室じゃない場所でのお友だちとの時間は
たいそうリラックスして過ごせたようで、おしゃべりして応援して、
終始笑って過ごしていました。
知っている大人に声をかけられたり手を振られると
満面の笑みで応えて母友たちに「運動会王子」と。(ちょっと古い)


むむちゃんは扁桃炎もなんとか抑えて
休めた分だけキレのある動き。
今回一番気合が入っていたソーラン節はガッツある踊りっぷりでした。
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騎馬戦も上に乗りたくないことを理由に、
乗りたい子に譲って組む仲間をチェンジした分、馬役をしっかりこなし、
100メートル走はこの学年から男女別になった分、気が楽になったのか、
断トツの速さでゴール。
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スタートで転んで涙にくれた2年前の再現の不安を、
むむちゃんもぷうちゃんも忘れさせてくれました。

高学年は係の仕事もあり、こういう裏方めいた仕事はむむちゃんは大好き。
勤勉にちゃっちゃかとこなし、働き回っていました。


1年生から6年生まで、保育園の卒園生が居て、
知る子どもたちがどのプログラムにも欠かさず出ていました。

どの学年のリレー選手にも1人以上卒園生が含まれて居て、
学年に1〜3人しかいない卒園生の率の高さ。
5歳までの鍛え方がその後にどう影響しているのだろうか・・・。
それとも、あの保育に耐えうる体力があったからこそ、なのだろうか。
等々、思い巡らせたり。

なかなか会ったりおしゃべりする機会のない母友たちと一緒に
応援したりおしゃべりしたりして楽しく過ごせた一日でした。

むむちゃんとぷうちゃんは共に白組で、
白組の団長は保育園卒園生の姉御。女子団長!
白組のリレーアンカーは保育園の卒園生の兄貴。

6年生の姿をタップリと見続けることができました。
むむちゃんが来年、その学年になることが俄かに信じがたい。
白の大勝というオマケもついて、有終の美を分けてもらいました。


運動会には色んな楽しみ方があるものだね、と、
小学生の頃の運動会大キライだった私と心中で話し続けた一日。

キラキライキイキの子どもたちを見ながら、
運動会楽しめる子どもだったらよかったのにな、私も。と、思いつつ、
楽しめない、呪ったり雨を願ったりした、当時の私も大事。
記憶を上塗りせずに、しっかり仲良く共存してようね、と握手。


ぷうちゃんがこれを機に学校に寛いで馴染めますように。
むむちゃんがクラスに新たな人間関係を築けますように。

長い一日、お疲れさま、子どもたち。
お疲れさま、ハラハラドキドキの大人たち。
お疲れさま、過去と今の私。
by shiho_kato | 2014-05-17 20:57 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)

母の日、地域密着?の週末

日曜の午前中は百人一首であそぶ会。
今日は学校公開の次の日の午前中。
一日しかないお休みの半日。
そしてクラス替えで、一緒にやっていたメンバーがバラバラになったりもして、
参加は3人。

3人なので、一人が読んで、二人で対戦。
濃く百人一首三昧。
たまにはこういうのもいいよね、と言えるような子どもたちで良かった。

午後は今日も小学校へ。
分団という古めかしい名前の子ども会の保護者会。
係り決め。
来年度は役員学年になるので、そのレクチャーを受けた。
帰り道、同じ学年のお母さんたちとPTAとか、分団役員とかのお話を
たくさん聞かせてもらう。

いろいろと聞きながら、どんな役員も、大変さでは保育園のほうが勝るなぁ。
なのに、やりたくなさは、今のほうが勝るのはなぜだろう・・・。と思ったり。
保育園でも今ごろ行事の担当決めの時期。

帰宅すると子どもたちがこっそり母の日プレゼントをセットしておいてくれた。。
二人それぞれのメッセージに心ほころぶ。
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ぷうちゃん、つぼみいっぱい咲かせようね。
むむちゃん、ニコニコ居られるように心がけるね。

嬉しくて滅多にしない夕方のrun。
川岸からの夕焼けが見たくて。
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川辺から夕焼け空に薄く富士。
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よくよく考えると、電車には乗らなかった週末だから、
ちゃんとお休みできた週末とも言えるんだ。
地域密着のお休み、とも。
そう、だから、今週もがんばろ~。
by shiho_kato | 2014-05-11 19:49 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)