むむちゃんの散歩道

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誕生日

ひとつ歳を重ねて
ひとつ楽になっていくような気がする40代。
生きねばならぬ債務を一年一年返して行くようです。
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かぼちゃのチーズケーキにグラタン。
まんまるふろふき大根は柚子味噌で。
土曜からの代休のむむちゃんがサラダを作ってくれた。
ハロウィンをかねた、黄色く丸いバースデー。


むむちゃん、ぷうちゃんからは、プレゼントに大きな電波時計を。

私が自分の部屋を持ってから30年に渡って使ってきたアナログの時計は、今も健在ながら、気まぐれに早く進んだり、最近はもっぱら立ち止まってしまうことが多くなった。

気の急くせっかちな私を、ちょっとのんびり行こうかなという私を、針に映し出し教えてくれていた時計はぷうちゃんに譲った。ぷうちゃんに譲った途端に正確に刻むようになったのだから、時計も主を選びたかったのだろう。
これからは電波が標準的な時間を知らせてくれる。標準的な時間と、私の中の時間のずれは、自ら感じ取ればいいだけ。
自らに課す時間の呪縛が、以前よりもずっとずっとゆるやかになって、追い詰められることが少なくなってきからもう大丈夫だ。

42歳。
40代は、一年一年、自分を甘やかせていくことのできる年齢だ。
半分を折り返して、もういいよね、もういいよね、と、ひとつひとつ課してきたものを置いていく。
そうして寿命の終わるころには、身も心も軽やかにこの世界にさようならできるのだろう。

とにもかくにも、むむちゃんぷうちゃんが、これから少しずつ重さを抱えるようになり、そしてやがてひとつひとつ下ろしてゆける折り返しに至るまでは、支えてあげられるように健康で元気に生きたいと思う。あと30数年。程よい長さだ。


by shiho_kato | 2016-10-30 18:44 | 私ノート | Comments(0)

今年は何か違う!@筑駒祭

今日も、筑駒祭。
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今日も、食べました!

焼きそばにワンタンスープ!
焼きそばは昨日はソース焼きそば。今日は塩焼きそば。
私は塩焼きそばが好きかも!美味しかった。
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ワンタンスープも良いお味でした!
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今日は土曜の割に来場者が少なめらしい。
例年の食べ物難民の飢餓感からか、食べ列並ばなくていい時に食べなくっちゃね!とばかりに勇んで食べている。

喫茶の初の試みテイクアウトもお試し。
チーズトーストに筑駒クッキーにココア。
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チーズトースト、シンプルなのに美味しい!

今日は出し物系を重点に回った。

高校は例年演劇がもっぱらというか、演劇オンリーだけど、今年は体験型のクイズのお部屋があったり、映像で見せるアド街筑駒があったり。(アド街筑駒、内容面白かったのと、出入りOK、終日上映というのが光ってる。演劇系はどうしてもタイムテーブルで観るか、観ないかのall or notになってしまうから)

音楽室を利用した、漫才や、軽音や、マジックも、今まで無かったような。高三の名物コントまででは無い小ぢんまりした中で小さく小刻みに笑わせてくれる。名物コントは並ばなくては入れないけれど、漫才やマジックは、並ばずに入れて、適宜出入りができるのもいい。

それらの出入り自由があれこれあるから、演劇を二本観ても、まだまだ観て回れた。


ステージ・食品・喫茶・縁日の柱立てや、定評のある音楽部やジャグリングなどのドンとしっかりしたものがあるから、その周辺の軽やかな変化にも安心感があるのだろうなぁ。


並び時間ロスが少なく1つ1つを欲張りにたくさん味わえたので、今日くらいの来場者歓迎だ。
待ち構えていた彼らには物足りなかったかしら。

明日もう一日。

by shiho_kato | 2016-10-29 23:11 | 私ノート | Comments(0)

文化祭シーズン -5回目の筑駒祭&はじめての合唱祭

5回目の筑駒祭は例年より数日早い開催。
加速度的に減って行くカウントダウンに、瞬く間に当日初日を迎えた。

あいにくの雨。平日初日、ひと足も少なめで準備時間が伸びたと思えばこれも良かったかしら。

昨年の図書委員長が脚本を書いた演劇は図書館が舞台の演出。
笑いあり。
次のセリフが聞きたい、どうなるの、何を言うの?うっかり前のめりになって見入っていた。ラストが時間切れな感が勿体なく、端折ったかなと思われる部分をもっと聞きたかった。展開を渇望させてくれる演劇でした。

焼きりんごクレープ美味しかった!中のカリカリがアクセント。あれはなんだろう?
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並ばずに食べられる!お誘い上手の生徒にのせられて、タコスにカレーと食べ過ぎ。おかげで冷えた身体がポカポカになった。
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今年はようやく回り方の要領を得て、相方司書さんと分担が上手くできたので、展示のお部屋でのクイズにも挑戦。生物部、数学研究会、化学部、園芸部、パズル研究会。なかなかな惨敗っぷりだけど楽しませてもらった。

雨の強い時間帯の受付当番は、雨の中、寒さの中、カッパを着て誘導する生徒たちと共に。
どうか風邪を引かずに三日間過ごせますように。

二日目、三日目はお天気は持ち直しそうで良かった。


明日はむむちゃんの学校の学芸祭がある。
今日まで迷ったけど、帰りがけに時間休を取った。
文化祭の彼らの姿を1日見続けて、むむちゃんの学校の中のむむちゃんの姿を見たい気持ちが大きくなった。


合唱の伴奏をするむむちゃん。
来年、再来年、同じ姿は見られることはない。

by shiho_kato | 2016-10-28 21:22 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(4)

角田光代『なんでわざわざ中年体育』-「運動なんて大っきらい」な人へ

走りはじめる前の絶望感の正体ってなんなんだろう。

フルマラソンをあまり入念な準備をしなくとも走れてしまうようになっても、毎朝の欠かせない習慣になっても「あー走るのか、とほほ」と思う朝がある。

走りはじめ、走り終えてしまったときには、他に比が無いほどの充足感を得ることができる。

走る前の落ち幅からの上げ幅が大きいからなのだろうなぁ。


と、いうことを上手いこと教えてくれる一冊。
これはエッセイだけど、彼女が書くスポーツ物語が楽しみだ。
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走るなんてムリ、走るの苦手、走るなんて一生縁が無い、走るのなんて嫌いだ、と思っているすべての人に、お勧めです。

by shiho_kato | 2016-10-28 08:01 | 読書ノート | Comments(2)

創造、貢献、挑戦

勤務先の学校目標。

司書として、司書の仕事に対しての私は、
とてもじゃないけれど「貢献」に乏しい。

もっと有能な、もっと経験豊かな、もっと優れた資質を持った「司書」がたくさん居る。
あの人や、あの人や、あの人や。


では、あるけれど、附属校の未来に対して、
枠組み作りから変えていきたい!という動きに関しては、
挑戦し、創造し、多少の貢献ができているのではないか、、、という気がする。


勤務先の図書館の中においての貢献度は、私の技量では、大きくあがらないけれど、
勤務先を含む、同系列の学校図書館に対しては、他の「司書」さんたちにはし難いことを、しているような気がする。


私の動きを称して、近しい仲間は「壊し屋さん」と言い、別の仲間は「イノベーター」と呼ぶ。
残念ながら、どちらも当たっていない。壊すつもりも、新たに作りだすつもりもないのだもの。
いま一生懸命そこで働いている人たちがもっと働きやすくなるために、そのことで学校の中にある図書館がもっと子どもやおとなたちにとって「あって良かったな」と思える場所になるために、動いているだけなのだから。


こんな動き方を黙認・追認してくれる、今の職場でなければ、私は「司書」などと名乗れないかもしれない。

「「貢献」とは、自らに「挑戦」し、「創造」した結果として実現したものを、社会に役立てることをさしています。」
学校目標に向けて、私も育てられているひとりです。

by shiho_kato | 2016-10-27 12:06 | 学習ノート | Comments(0)

仕事をすること、働くこと

働き始める前は学生→院生だった。

何の、誰の、役にも立たないことに夢中になっていて、がむしゃらに一心にそれに向かっていた。
ワクワクとドキドキと、あれ、つながる?これとそれ、つながっちゃいそうじゃない?
って、ひとりでとっても楽しく研究生活を送っていた。

あまりのひとりよがりの楽しさに、
人様にも世の中にもなんだかとっても悪いような気がして、
罪悪感なだめのようにボランティアに足を踏み入れ、
それがなぜだか、自分を食わせるためのお仕事となった。

そんな流れで「働く人」になった私は、仕事のイメージとか、働く意義とか、あまりちゃんと感がえたことが無いままに現場に身を置き、「働くということ」を走りながら考えはじめるようになった。

そもそもがボランティアから始まっていて、それは程なくできた新たな制度・組織体のあり方の「NPO」へと移っていく。
「無いところに新たなものを作り出す」「できないことをできるようにする」そういう世界。
見よう見まねができることはし、誰もモデル無く、誰もやったことがないことは自分で考えてあれこれ試しながら作っていく。
そういうキレイな言葉で言えば「創造」的な現場に居た。
キレイにまとめずに言えば、なんでも屋さんであり、私の能力の限界は、その仕事(NPO的には活動)の幅の限界とイコールになってしまうので、常に常に「越え」続けなくってはならなかった。

私が創意しないものは存在すらしない、その責任たるやなんと大きいことか。いまあらためて振り返ってぞっとする。
逆に言えば、限界を決めて、できないこと、やらないことを決めてしまえば、そこまでの仕事でもあったのかもしれない。
当時は若かったから、周囲の人が望む、すべての(まずもって無理な)理想に向けて、道なき道を走ることがその職場における私の存在意義だと思っていた。
走れなくなったら、おしまい。用無し。
そう思っていたら、本当にそうだったから、私がひとり気負っていたわけではないのだろう。

その日々を過ごしながら、もちっと落ち着いて、ルーティンでコツコツ静かにする仕事のあり方もあるのではないか。
私は走り・走らせる仕事よりも、腰を落ち着ける仕事が向いているのではないか。
隣の畑は青く見えるもので、そう夢想したこともあった。


そして、30代も半分を終えて、今の仕事に着いた。
静かに見える仕事だ。いたって、静かな現場だ。
でも、一年間、同じ仕事をやり続けることはない。
昨年と今年は違う。先月と今月と来月は違う。昨日と今日と明日は違う。

前職よりはゆっくりだけれど、常に常に変化しながら、入れ物のあり方も変わるし大枠だって変わるし、その中におさまるコンテンツとか、何より人が変わっていけば、それに沿った、それに応じた、できるだけ適した形に、姿を変えていこうとするのが自然だ。

仕事とは「動いていくもの」だと知った。
これだけ静かな現場でもそうなのだから、世にある仕事という仕事は、仕事に携わる人たちは、
今日を、昨日とは異なる位置に(前だったり、上だったり、右だったり、、、)持っていこうとしながら、働いている。

新たなあれをするために、今までのこれをもちょっとスムーズにできるやり方を工夫したり、とか。
そんな小さな工夫を一年間重ねれば、おのずと去年とは違う今年になる。

そういうふうに、「働くこと」を把握してきた矢先。

40年とか、30年とか、20年とかいうながーい単位で、
その年月を動かさずに来た「仕事」を目の当たりにした。

私が誤解しているのかもしれない。
かつてを知らないのだから。
かつてと今では、大きく動いてきたのかもしれない。

でも、時の流れからは隔絶された場として、維持されたそこを見た衝撃、話を聞いた衝撃に、
いま打ちのめされている。

そんなことが、どうしたら可能になるのだろう。

・・・


私が知らないだけで、この世界の多くに、そんな場所、そんな仕事のあり方で、時だけがうつろっている「仕事」がたくさんあるのかもしれない。

本当に、知らなかったんです。

だから受けた衝撃が大きくて、「そんなあり方はイカンだろう!」と、否定することで、自分の中のバランスを保とうという機能が働いている。
それでは「理解」に一歩も進まない。


仕事とは「走る」もので、「無いものをあることにしていく」もので、「どうしたらいい?を常に考える」もので。
それが行き過ぎることへの警告もあり、失敗もあり、ブレーキを踏みながら再起をはかったはずなのに。


どうして、変えようとしないのか、
どうして、他に学ばないのか、
どうして、工夫しないのか、
どうして、知ろうとしていかないのか、
どうして、どうして、どうして、それを「仕事をする」と言えるのか、「働く」と言えるのか、渦が、胸いっぱいにあふれている。

うずくまる人に添う仕事や、先に進めない人に添う資格を取得したりしているにも関わらず、
そんなにも、どうして攻めの渦を自らの内に発生させてしまう私は狭量で、意地悪だ。

どう抑制してコントロールしたらいいのか、手に余っている。

by shiho_kato | 2016-10-25 21:25 | 学習ノート | Comments(0)

「私」の仕事

学校図書館職員のガイドライン。
それを満たすことに熱意が沸かない。


どうしてだろう、、、考えに考えて、たどり着いたのは、
それが今居るこの学校の図書館にそぐわないからだ、と気がついた。

ここにそぐわない機能や、能力や、プログラムや、コンテンツを、「学校図書館であるから」という理由で、無理くり取り込む必要は無い。

取り込まないことで、ここが停滞するのであれば、問題だけど、
今のところ、この図書館は、この図書館に必要なものをガツガツ吸収しようとしている。

そのガツガツ吸収するところには、私だからできる仕事との一致割合が高い。
司書だからできる、のではなくて、私だからできる。
裏を返せば、どれだけ優れた司書であっても、司書スキルだけではできないことがある。

この場のガツガツが落ち着いて、私ではなく、司書スキルの高い人が必要になる日が、いずれ来る。
私は、それを目指して仕事をしているから。

私だからできる仕事の割合が3割を割るようになったら、ここにふさわしいスキルを持つ人に譲れるように。
そのときには、その人が力を発揮できる環境が、ある程度整えられているはずだ。

知ることを知っていることは大事。
だからといって、知ったことを1~10まで、我がものとしなくてはならないという呪縛から解かれて、
私は私の仕事ができるようになる。


揺さぶられ打ちのめされながら、足を踏ん張れる自らのポジションを、三度四度、何度でも見つけ直せばいい。


by shiho_kato | 2016-10-25 18:08 | 学習ノート | Comments(0)

ちばアクアラインマラソン2016

難コース

はじめから暴走、
突っ込んで
大撃沈した。
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なのに、今まで出たマラソンでいちばん楽しかった。
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キティちゃん応援、ありがとうございました!
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by shiho_kato | 2016-10-23 16:03 | マラソン、かるたノート | Comments(0)

大阪出張

学ぶことがたくさんあって、
考えること、思うこと、感じたことで
四六時中言葉が湧き出し続けている。

この洪水が落ち着いたら書こう。

でも、駄文、駄思、駄考上等で、今書かなかったら、無味乾燥な感想しか書けなくなるかも。

いかんせん時間が足りない。
考えをまとめるにしても、書くにしても。

by shiho_kato | 2016-10-21 08:08 | 学習ノート | Comments(0)

垣谷美雨『農ガール、農ライフ』

農業はステキか?

食べるものを自ら作れれば、食うに困らない。
最終的に、どうにもこうにも困ったらそこに行き着こうと決めている。

だから、「ひとりで生きてゆけるのか?」の独身女子が農業へ、って、なんとなくわかる。
「貧困女子」なんていう言葉まで生まれてしまったこの時代。
食い扶持を稼ぐのか、食物を作るのか、30代からの独身女性の生きる術への緊張感は半端ない。

でも、人さまに食べさせる分までは作れないよ。
「おおかみこどもの雨と雪」では、花がおとなりのおじさんに教えられて、自分たちが作る分よりたっぷり多めに作って、ご近所さんとのおすそ分け分にする。
そのレベルで、作れることを目指そう。
あらためて、そう思った。
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by shiho_kato | 2016-10-18 12:20 | 読書ノート | Comments(0)