むむちゃんの散歩道

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東京マラソンファミリーラン

ぷうちゃんと、保育園からのお友だちのKちゃんとKたろーと、東京マラソンのファミリーランに参加した。

とってもいいお天気。朝がはやいけど、ウキウキ。
やっぱりお友だちと一緒は嬉しいよね。
スタート前に既にたっぷり遊んだ。
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コースは以前にも二回くらい走ったことのあるところだけど、
スタートが近くなるとやっぱり少しキンチョーするらしい。
ふざけあって、キンチョーを遠くに追いやるうちにスタート。

保育園の頃は生まれ月がぷうちゃんのほうが半年位早いものだから、
なんでも先にできちゃうし、体も大きいし、負けたことが無い。

前夜、Kたろーに勝てるかなー。ぽそりと小さい声でつぶやく。
勝ち負けを意識しないで欲しかったから、するりと聞き流した。

週3回バスケットをやっているKたろーのほうが、体力あるよね。
って、思いながら。
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折り返すくらいまでニコニコしながらみなで走っていたけれど、
折り返してから、Kたろーがぴゅーっと行った。
ぷうちゃんは赤い顔で追いつけない。
「おなか痛い」とグジグジしはじめる。

あと少しだから最後はがんばろー!と声をかけた。

くじける前にゴール、できたかな?

息を切らしながら「何分だった?」
左腕の時計をのぞきこむ。タイムを言うと、
「前よりはやくなった!Kたろーが一緒だったからだね!」
赤い顔を嬉しそうに笑った。

実際に前より速くなったのかどうか、私にはわからない。
前も同じ距離だったのか?何分で走ったのか?)

でも、ぷうちゃんが、「Kたろーが一緒だったから」はやく走れたと思っていることが嬉しかった。
ふてくされたり、ひしゃげたりするんじゃなくってね。

立派な完走メダルをかけてもらった。

あれこれ出ている親子や子どもの大会で、
こんなに立派な完走メダルをもらうことができるのは、この大会以外にはまれだ。
(出ていないけれど、鹿沼さつきの子どもの部のメダルも立派だった)

ポカリスエットに、カロリーメイトに、タオルをもらって、Kちゃんたちと合流。
そこからも遊んで、食べて。
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すぐそこに見えている東京マラソンのEXPO会場もちょっと心惹かれたけれど、
はじまりの11時まで待つのは時間がもったいない。
その分、遊べるだけ遊んだほうがいいよね。
お台場だから、保育園の遠足で懐かしい思い出のあるレインボーブリッジ渡るよね!!
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浜辺で遊びながら、レインボーブリッジを渡って。
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Kたろーが、「ママー!」「ママー!」何度もママを呼ぶ。
必要があっても無くてもママを呼ぶ。
今日は妹が居ないから、ママを独占できる。
Kたろーには、そういう時間なんだなー。

ぷうちゃんは、Kたろーにくっついてニコニコニコニコずーっとニコニコし続けている。
ぷうちゃんには、そういう時間なんだなー。

子どもたちを眺めながら、Kちゃんとあんな話、こんな話をする。
こんなふうにゆっくり話せる時間は久しぶりだ。

春の日差しのあたたかい、やわらかい気持ちになる休日。

by shiho_kato | 2017-02-25 15:40 | マラソン、かるたノート | Comments(0)

第70回全国競技かるた東京東会大会(D,E)

この大会を逃すと、5月まで大会が無い。

むむちゃんの今季のC級昇級を目標とするラストチャンスの大会。
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一回戦目は不戦勝。
むむちゃんは不戦勝は好きでは無い。次の試合の時に相手の動きに比べ自分の動きが悪くなるから。
だけど今日はいつもと違う方式の受付に、戸惑いながらバタバタの入りだったので、落ち着けるには良い時間。
私は会場のピリピリした雰囲気を避けて、ロビーでたっぷり読書タイムを過ごせて良かった。

二回戦目。
遠くて見えにくいけれど、動きからは割と取れているように見えた。
どちらもお手つきしないタイプ。
引き離しているように見えたけれど、札が少なくなってから、空札のあとにとれない。
「な」の札で続けざまに連取され、もう終盤戦というところで追いつかれた。
逆転されて、最後は運命戦にかろうじて持ち込んだ。

私の運命も、ぜんぶ使って、と祈る。
紫式部が味方してくれて一枚差で勝ち。


三回戦目はE級の1回戦目が行われるあいだ一回待ちが入った。
際どい勝ち抜け最後の一枚まで戦ったあとだったので、1回お休みが入ったのは良かった。
お昼時でもあり、少し食べておくように伝える。
E級の3人の試合がはじまるけれど、今日はむむちゃん応援でいっぱい。
さっきのハラハラする試合で張りつめ感が続いたので、この時間も外に出て、4階のランニングコースの傍らで本を読んで過ごした。


一回休憩のあとの三回戦目。
相手は手が出るタイプ。お手つき、共お手、ダブに助けられるけれど、差がつかない。
東会大会の運営も厳格。
会場の緊張感を乱すおしゃべりは外で。応援は座って。立ったままはNG。
神奈川ではそこまでの厳しさを知らないので、とても勉強になる。

コンマ何秒の取りはどちらが取ったか、離れた距離からではなかなかわからない。
ささいな反応の遅れが取りを左右する。
吐息すら、空気を乱してしまいそうで、息を詰めて見守る。
見ているのも苦しくなる接戦。目をそらして音だけ聴いていたくなる。

友人のまりぃが同会の子どもたちの応援で来ていて、まるで自分が取るかのように身を乗り出して集中している姿を見ながら、私も目をそらしちゃダメだ。わからなくても一回一回の取りに集中しよう。
息をとめて目をこらして、瞬きもせずに音を聴く。

先の回と同様、後半追い上げられ連取され、あと三枚、あと二枚のところから勝負を決めきれない。
最後は二枚差で、なんとか逃げ切った。


報告に行ったむむちゃんが役員の人から何か話しを聞いたあと、
頬を赤くして目を大きくして戻ってきた。
「入賞って言われた」
うるんだ目で、これってC級にあがれるってこと?と聞く。

ほんとうに入賞であれば昇級ということだ。
今年度中にC級にあがりたい。
ずっと言い続けてきた目標を、最後の最後に叶えた。


息をつく間も無く、次の試合。
入賞と聞いたので、これが準決勝だと思って臨んだ。
相手の子は、連戦で集中力が切れたのだろう。
さきの2回に比べて、楽に勝たせてもらった。

後で、この一戦は三位決定戦だったことを知った。
負ければ四位、勝てば三位。


少し休めた後に、次の試合。
これも決勝だと思って臨んだけれど、実際は準決勝だった。
むむちゃんはしきりにお腹を抑えて、見るからに空腹の様子だった。
集中力も切れて、本人は意識していないだろうけれどアクビも漏れる。
体力的に、ここが限界。
大差で負けて、さっぱりした表情で畳をおりた。

この試合終了後に「決勝戦を行います」のアナウンスがあり、今の一戦が決勝ではないことを知った。
トーナメント表の最上段同士のあたる試合がもうひとつあった。慣れていないがゆえの勘違い。

準優勝ではなくて三位に多少がっかりしながらも、今日はもうこれ以上は戦えなかったことはむむちゃんがいちばんわかっている。

別室で、前クイーンの坪田翼さんから賞状を受け取った。
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JRから地下鉄に乗り換えたら、乗り継ぎなしで最寄りまで帰る行き先の電車が来た。ラッキー。
座席に沈み込むようにぐったり眠るむむちゃん。
大会後の爆睡は4年前から変わらない。

だけど、大きくなった。
勝ち気ではないし、ストイックでも無い。
でも、かるたをやりたい、かるたが好きだ、混じりっけ無いそれが芯となり、揺るぎなく淡々と真っ直ぐに競技者としてそこに立っている。

むむちゃんは折にふれて、たとえば母の日や、誕生日や、クリスマスなどに言う。
「いつも、かるたができるようにしてくれていて、ありがとう」
私への感謝であると同時に、かるたができる環境への感謝。
それを持ち続けられるあいだは、むむちゃんはかるたに生かされる。

楽しくのびのびと真っ直ぐにかるたに向かえるように教えてくれている先生には感謝しても感謝しきれない。
この昇級から先は、今までお世話になった先生のもとを離れて、新しい会へ移り段位の取得を目指す。

私は先生のもとを離れ新たな場所に身を置くことへ不安があるのだけれど、むむちゃんは強い人と一緒に練習したい、練習できるのが楽しみなのだそう。
頼もしく、逞しく、育ったなぁ。
4年前にかるたに出会って良かった。
親には育てることができないものを、かるたが育ててくれている。
そして、これからは、きっともっと、私には及びのつかないところへ向かっていく。

嬉しくもあり、寂しくもあり、安堵する思いもあり。


今日また、背負っている荷の一片を下ろすことができた。
長い一日、しみじみと、疲れたなぁ。
この4年、よくがんばったなぁ。と言いたくなる帰り道。

*****

以下、「東京東会大会」当日の覚書

日  時平成29年1月15日(日)A・B・C級/2月19日(日)D・E級
受付締切 午前9:30
受付場所
A級 文京区立かるた記念大塚会館(最寄駅・東京メトロ丸ノ内線 茗荷谷)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1745
B・C級 文京スポーツセンター4階(最寄駅・東京メトロ丸ノ内線 茗荷谷)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_sports_shisetsu_sportscenter.html
D・E級 墨田区総合体育館2階(最寄駅・JRまたは東京メトロ半蔵門線 錦糸町)
http://sumidacity-gym.com/
参加費A・B級¥2,500 (一社)全日本かるた協会登録者
C級¥2,000 (一社)全日本かるた協会登録者
D級¥1,800
E級¥1,200
表  彰    各級ともに4位まで
競技方法(一社)全日本かるた協会の競技規程、並びに競技会規程によるトーナメント方式
審判長波多野 俊 六段 公認審判員
副審判長坪田 翼  七段 公認審判員 二宮 政章  六段 公認審判員
山賀 真理 六段 公認審判員 池上 三千代 六段 公認審判員
競技委員長関口 聡  六段
副競技委員長池上 裕隆 五段 片山 珠美 五段
読  唱福井 典子 六段 A級公認読手 久木田 裕一 五段 A級公認読手
     木本 景子 四段 A級公認読手 池上 裕隆  五段 B級公認読手
松川 紀代 四段 A級公認読手(東京吉野会)
総務委員長   山梨 洋  五段
申込方法事前予備登録(A・B・C級)
申込期間(A・B・C級)平成28年12月9日(金)~ 平成28年12月16日(金)申込(払込)締切平成28年12月16日(金)
尚、申込期間後の大会にてD級で入賞してC級に昇級された選手に限り、参加申し込みを、平成29年1月10日(火)まで受け付けます。(払込締切:平成29年1月10日(火)まで)

申込期間(D・E級) 平成29年1月23日(月)~ 平成29年1月27日(金)申込(払込)締切平成29年1月27日(金)
注意事項   ・不参加者の払込済参加費は払戻不可、締切日後の受付不可とさせていただきます。
・申込後の昇級・欠席の場合は、随時ご連絡願います。
・靴袋をご用意くさだい。
※入賞者は一般社団法人全日本かるた協会ホームページに公開、マスコミ等に公表することもあります。予めご了承ください。
公 認  一般社団法人 全日本かるた協会

・・・・・

当日、受付30分前に墨田区総合体育館に着くと、体育館を囲んで長い列。
武道館入口で名簿を渡される。
中に入るとすでに畳上に札番が設置されていた。
渡された名簿に自身の名前を探し、振られた札番号を確認し、すぐに畳にあがる。
畳にあがり対戦相手と向き合って座ったところで出欠確認がなされる。この出欠確認が受付。

壁には対戦カードを氏名がわりに、トーナメント表が貼り出されていて、対戦相手も一目瞭然。
勝敗は各トーナメント表の下にいる担当者に伝えに行き、その場で対戦カードに書き込み、
トーナメント表の駒を進めて転載する形だ。

このシステムが他では経験がないのでとまどったけれど、
慣れている人たちにとっては、スムーズな方法に違いない。

私たちは、D級2名、E級3名ともに朝9時に会場入りしたけれど、E級の開会式は12時半だった。
事前にお知らせは流れていたらしい。みなも知っていたのだろうか。
その時間に集団でやってくる選手たちもいたので、知っていた会と知らなかった会が混在していたのかもしれない。

試合はおおよそこんな流れ
9時半~ D級開会式
10時~  1試合目(D級一回戦)
11時半~ 2試合目(D級二回戦)
13時~  E級開会式
13時半~ 3試合目(E級一回戦、D級休み)
15時半~ 4試合目(D級三回戦、E級二回戦)
17時~  5試合目(D・E級三位決定戦)
18時半~ 6試合目(D・E級準決勝)  
20時~  7試合目(D・E級決勝)


by shiho_kato | 2017-02-19 22:10 | マラソン、かるたノート | Comments(0)

須賀しのぶ『革命前夜』

『また、桜の国で』が良かったので、須賀しのぶを後追い。
東ドイツと西ドイツに分断されていた最後の時期を東ドイツの音楽院に留学する日本人ピアニストの小説があるじゃないか。
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東と西とを行ったり来たりしながら、ベルリンの壁を壊すにいたった自由への渇望と希求のうねりを描いた物語。

情報(テレビやラジオなどの)をひとりひとりが受け取れることで、
異なる社会のあり方を知り、それを欲する。
それが個から多に変わった時に、今いる社会を変えていく大きな力になることが、手に取るようにわかる。

『蜜蜂と遠雷』を読んだあとでは、音楽の描写が薄く感じられてしまうけれど、東ドイツという今は無き国を感じることのできる小説だった。

by shiho_kato | 2017-02-17 18:05 | 読書ノート | Comments(0)

飛鳥あると『岩手チャグチャグ新聞社 ゴーガイ 明日へ』

震災から5年後の岩手を取材する記者のお話。
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時を経て、震災の痛手のカタチは変わっていく。
変わりながら、消えずに続いていく。

それは時間が経てば経つほどに、丁寧になぞらないと正確な形を見出すことができにくくなる。
時が経つにつれて、個々人の基礎体力(年齢や、人間関係や、健康や、財力やetc.)によってひとりひとりの開きが大きくなっていくからだ。

出来事ではなく、そのひとりに向き合うことが、「知る」ことだと、教えてくれた。
ほんの20分ほどで読み終えてしまうコミックだけれど、ハッとさせられ、ウルっとさせられる一冊でした。



by shiho_kato | 2017-02-16 18:01 | 読書ノート | Comments(0)

原田マハ『サロメ』

原田マハの最新作。

オスカー・ワイルドの『サロメ』の成立と、その挿絵を描いたオーブリー・ビアズリーのお話。
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戯曲サロメの作品そのものも、それが新訳聖書を下敷きにしていることも、
もともとはフランス語で書かれ、後に英訳されたことも、
英訳の際に挿画が入ったことで話題となったことも、
どれもこれも、初めて知ることばかりだった。

興味の無かった世界にいざなうのは、「本」が発揮できる力の最たるものだ。
最近好んで読む小説はその傾向が強い。
それを最大限生かして私に訴えかけてくるような作品を選んでいる気がする。


***********


興味がない、知らない、体験できない、想像できない、接点がまったくない、etc.世界が
読むことで私の中に入ってくる。
身近なものになったり、時に血や肉に匹敵するくらいに入り込んでくるものもある。

私はそれを小説に大いに依存しているので、
「「小説」のおかげで私は豊かになる。」
と、断言するけれど、人によって、それが新書だったり、雑誌だったり、あるいは活字からなるものではなく映画だったりするのだろう。


web上で得た情報も、未知のことを知らしめてくれる役割は同じなのだけれど、
私の耳には東風として、過ぎていってしまい、深く留まらない。
それが情報の形態によるのか、受け取る私の向き合い方によるのか、なんなのかよくわからないので、安易な批判は避けるけど、ワタクシの使い分けとしては、一時的に過ぎてしまって構わないものはインターネットでよく、栄養として取り込みたいものは本で取る。

なんだろう、サプリと、食事の違い、みたいな。



by shiho_kato | 2017-02-15 18:42 | 読書ノート | Comments(0)

バレンタイン・デーと、あれから2年の私たち@上村くんの冥福を祈る

バレンタインデーは久しぶりの平日休み。

朝から、ぷうちゃんと学校へ向かった。
1分間スピーチをできないと、先生に伝えるために。

ぷうちゃんは小さな声の早口だったけれど、
「1分間スピーチ、できません」と、自らの口で先生に言うことができた。

先週休んだ際に、事情を伝えていたので、先生の方も心得たもの。
スピーチのために用意した原稿は受け取ってくれて、
今年度中にあと二回あるみなの前で発表する機会について、説明して尋ねてくれた。

「ひとりだったらムリ」「二人組だったら大丈夫。できる」
自分の口で言うことができた。

簡単にこれで終わりにはならないかもしれないけれど、息を潜めて体を丸めて小さくなって追い詰められるのとは他のやり方を、一緒にひとっつ追加。


*・*・*・*・*・*・*

平日のお休みで、保育園やよりみちや児童館やかるたや、他の用事が何も入っていない日は滅多にない。


今日は、行きたいところがあった。
電車や自転車では不便な、走っていくのがいちばん便のいい場所。
足の故障がだいぶよくなって、ようやくそこまで行ける。

多摩川に出て、川沿いの川崎側を海の方へ向かって走った。



上村君のことがあってから、間もなく2年。

子どもたちをひとりで育てるために働く母。
朝は子どもたちよりも先に家を出て、夜は子どもたちよりも後に帰宅して、だから学校に行っているのかどうかわからない。

それは、とても他人事とは思えなかった。

あの時から、きっぱりと、子どもたちを見失わないことを、優先順位の一に決めた。
子どもの貧困や地域の子どもに関わる夜の会議や活動に参加することを一切やめた。


この一年は、ぷうちゃんが学校に行っていないことを、学校からの連絡で知ることが幾度もあった。
むむちゃんが機転をきかせて連絡をくれなかったら、もっと多かったに違いない。

そのたびに、私は何をやっているのだろう、と、打ちのめされて、責められるような思いに塞ぎ込み、
そちらの方へ転がっていかないように、ここで踏みとどまらなくては、ここで戻さなくっては、と、焦燥感に駆られた。

苦しいけれど、その緊迫感のおかげで、たとえば今日のようにひとつずつ解決する方へと、向かうことができているんだ。



走ってたどり着いたそこには、前回訪れた時のひまわりは、もう無かった。

幾度か火災が発生しているそうだ。
それでも、追悼の花々が置かれることを妨げないように、定期的な清掃を川崎区でしているそうだ。
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ガーベラに、カーネーションに、梅に、鮮やかな花たちは、今日、昨日のもの。
見守り続けている人が居る。

今日はバレンタインデー。
チョコレートのお菓子を持ってきた。

取り出しながら、ふと思う。その日の数日前、二年前のバレンタインデーに、彼女は息子の上村君にチョコレートをあげただろうか。笑顔で渡し、笑顔で受け取る様子を思い浮かべて、涙が溢れて止まらない。


その後を、彼女たちはどのように生きているのだろう。

兄弟にまだまだ小さい子どもたちが居たはずで、お母さんとしての役割を果たし続け、生活をコツコツと続けていかなくてはならない。
子どもたちは、兄弟の一人をこういう形で失ったことを、それへの世間のあれこれの中をどう生き続けているのだろうか。

私だったら・・・の、先の想像は、恐ろしくてできない。
そうではない今を、そうならないように、生き続けることばかり。



お母さんがんばれ。子どもたちがんばれ。
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信仰心はないけれど、川の神様、どうか彼女たち一家をお守りください。どうか。どうか。
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ぷうちゃんの、今日の学校での漢字検定の話や、テニスで級があがったり、今日の勝ち抜き戦に勝ったことをウキウキと話す声を聞きながら、
友チョコをたくさん作り、たくさんもらって帰ってきたむむちゃんの浮かれたにぎやかな声を聞きながら、
いつもよりも、少しだけ整えてバレンタインデーの夕ご飯。
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大好きだよ。大切だよ。だから、居なくなってはいけないよ。




強く祈り過ぎるのも、願い過ぎるのも怖くて、だけど力が入ってしまい、奥歯を噛むように祈る。


by shiho_kato | 2017-02-14 20:16 | 私ノート | Comments(0)

塩田武士『罪の声』

今年の本屋大賞の候補作。
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「グリコ・森永事件」をモデルにして、多くの部分を、実際の脅迫状・挑戦状、場所、事件報道、時系列などを再現して小説に仕立てたそうだ。

当たり前のことだけれど、事件、事故は、その当事者である被害者本人、加害者本人が主役となる。
しかし、これも当たり前のことだけれど、その被害者に家族が居て、加害者に家族が居る。

事件、事故は、そのとき、その場のことを切りとるばかり。

その前にも、その後ににも、延々と人生は、日々の営みは続いていく。
当事者の周辺の人たちにも、その前の人生があり、その後の人生がある。

被害者の家族という当事者性、加害者の家族という当事者性を、あるいは、被害なのか加害なのかわからぬ当事者性を、この作品はしっかりと、がっつりと書ききっていた。


「「子どもを巻き込んだ事件なんさ」という強い想いから、本当にこのような人生があったかもしれない、と思える物語を書きたかった」
と、作者の言葉どおり、私は何人かの人生を、この小説の中に見ることができた。

by shiho_kato | 2017-02-11 18:46 | 読書ノート | Comments(0)

ぷうちゃんの「置いてかれた~(涙)」と、休みの効用

1分間スピーチの前日、ぷうちゃんは紙と鉛筆を持って、
ウロウロウロウロ家の中を歩き回っていた。

生き物係のことについて、話すそうだ。
本当は今日だったのだけど、準備していなかったから、明日にしてもらったそうだ。

生き物係ってどんなことするの?何を飼っているの?何匹飼っているの?何人でやるの?誰が一緒なの?どんな役割があるの?どうやって分担しているの?水槽はいつ洗うの?毎日?週に1回?どうやって洗うの?そのときめだかはどうするの?楽しいことはどんなこと?大変なのはどんなこと?

あれこれ質問を重ねてみる。

しばらくして、布団の中にもぐりこんで何やら書き始めた。

「ママ、時間はかって。リハーサルするから。」

あらあらいっちょまえにリハーサルですと。
でもイヤイヤじゃないんだ。聞かせてもいいって思えているんなら、なかなかいいではないか。
練習しておこうなんて、前向きではないか。

54秒。

あとは、質問ありますか?って聞けばちょうど一分になるよね。

安心した様子。
そのあと、いつもより長い時間、遅い時間まで本を読んだ。
眠りが降りてくるまで、すこし時間がかかったのだろう。

朝、まだうろうろしている。
「話はじめるときは、どういったら言い?」

あれ、昨日は言えていたけど。
書いていなかったら、ドキドキしてわからなくなってしまったよう。

「昨日は、「ぼくはこれから生き物係について話します」って言ってたよね」
えんぴつで書きつける。

「ここのところで「何回も」って入れるとわかりやすいかもね」
えんぴつで書きつける。


いつもより準備が遅くなって、出る時間がギリギリ。

いつも私より後に出るぷうちゃんがランドセルを背負っているので、
自分で思っているよりももっと遅いんだ、と慌てて玄関に向かった。

「じゃぁね、いってきます。ぷうちゃん、それじゃ寒いよ今日は。上着着た方がいいよ」
そう言いながら、靴を履きながら、家を出た。



地下鉄の駅に着くと電話。自宅から。あれれ?
「どうしたの?」

忘れ物?失くし物?書いていた紙が見つからない?

泣きじゃくる声に混じって「……置いてかれた。ママに置いてかれたぁ、ううう」


あーーーー。しまった、そうだったんだ。
私が遅かったんじゃなくって、ぷうちゃんが準備はやくして一緒に出ようとしていたんだ・・・。
しまった。。。

「いっしょにいこうと思ったのに、置いてかれた・・」



1分間スピーチ、練習したり、原稿も最後まで手を入れたりしていたけれど、緊張との戦いはまだ続いていたんだね。

あー。振り返れば。一度でも振り返れば、追ってくるぷうちゃんに気づいたはずなのに。



学校にはお休み連絡を入れた。
相方司書さんが来ている日だったので、引き継ぎだけできして、昨日やりそびれた仕事だけ片付けたら、できるだけお昼までに帰ろうと決めて、早退してきた。


一緒にお昼ご飯を食べて、一緒に保育園に行って、帰ってきてむむちゃんのバレンタインのお菓子作りの傍らで、
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ぷうちゃんと私もチョコレートのお菓子を作った。
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もう、緊張はひとかけらもなくなった。

夜は宿題に苦戦。前日にやったドリルのページが間違いだったことに気がついて、
前日分と今日の分と二日分。前日はスピーチのことで頭がいっぱいだったんだな、とあらためて気づく。


筆算の計算の仕方がわからない、習っていないというので、ひとつずつ教えて。
夜のうちには全部終わらず、朝20分はやく起きてやる、というので、いつもより遅い時間に寝た。
翌朝はすこし早めに起こして、朝ごはん前には全部終わらせた。


朝はぷうちゃんと一緒に学校まで。
通学路の途中で、いつも落ち合って行く仲良しの友だちと会うことができるところまで、一緒に行き、
手を振って別れてから、道を変えて職員室へ。

担任の先生に事情を話すために。先生も予想していたようで、やはりそうでしたか。と。
無理しなくていいと、言ってはおいたのですが。と。
二週間後に国語の発表もあるので、すこし方法を考えます。と。

わかってくれているのならば、大丈夫かな。




昨日の朝、一緒に行っていれば。
一緒に行って、ドキドキしながら、スピーチを終えることができていれば。
何か一つ、乗り越えることができたかもしれないのに。
すまないな、ごめんね、ぷうちゃん。



・・・・・・・・・・・・

仕事で調査(研究)に手を出した今年。
過去の幾度とない苦々しい経験を糧に、絶対に身の丈を超えないように、と決めての挑戦。

一緒にやるみなさんにとっても、たとえば徹夜や、たとえば休日出勤でまかなわなくてはならないようなことがないようにすることを心がけ、できる限り就業時間内でやりきるところにおさめようと手綱を引きつづけたけれど、それでも土曜、日曜を使っての活動が数回。

最後は報告書の作成で、その原稿を今週火曜日に入れ終えて、手を離したばかりだった。
書く仕事は持ち帰らなかった。でも読む仕事、参考になりそうな本や、仮の原稿を読んだりは持ち帰った。
それに触っていなくっても、上の空で、ずっしり気は重かった。

うーむ。
ダメだなぁ。

報告書の形に原稿をまとめてみて、今年やったことをまとめてみて、「調査」まではたどり着けたけれど研究は、ここからだろう。不甲斐ない。


そんなふうに、思っていたけれど。
ぷうちゃんに引き戻されることで、思い切って休めた半日。


中途半端だな。どっちもそっちも。
だけど中途半端だけど、やらないよりやって良かった。

みなと何度も顔をあわせて話すことができて、互いの様子や考えていることをしっかりがっつり話すことができて、このメンバーでなら話しあえるんだという実感を築くことができた。

それは仕事をする上での、足腰を鍛えることになったはず、体幹を鍛えることになったはず。
ぐらつくとき、不安に駆られるとき、不満でいっぱいになったときに、ひとりで転げ落ちていかない。
これぞという成果を手にしたときに、一緒に喜びあえる顔が浮かぶ。
そんな踏ん張りの効く力を得ることができたはずなんだ。

各々一人職場で、淡々と、あるいはアクセクと目の前の仕事をこなしていくことで仕事の時間は過ぎていく。
仕事としては、それで十分に成り立っているのだけれど、その先に、その奥に、その次に、何をしていくかを考えるのは、「目の前の仕事」からでは難しいんだ、ということを学んだ一年だった。


むむちゃんの大会の引率を他にお願いすることが2回あり、2回ともたどり着いた時には、むむちゃんは負けていた。その後も勝ちあぐねているむむちゃんと、今年に入ってからは毎日を目標に週に3回くらいは夜練をするようになった。
ぷうちゃんの二学期の登校渋りは三学期には解消され、今回も二学期に比べれば一歩前進。スピーチから逃げることじゃなくって、挑戦しようとして、あともうひと押しが欠けただけだった。


どれもこれも、100%上出来のフルパーフェクトなんか望めない。
中途半端上等。
あっちもこっちも前よりちょっといい、そう言えるあたりで、でこぼこ前に進んでいく。
そのくらいが、リアルな日常の中に織り込まれた物語として、程よく手応えのあるあり方じゃないか。

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休むことは大事だなぁ。
ポジティブなマインドを健やかに保つことで、自分の立つ今を明るい方へと解釈できる。

引き戻してくれたぷうちゃんに感謝。

by shiho_kato | 2017-02-10 09:51 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)

西加奈子『i』

本屋大賞候補作の西加奈子。

昨年の候補作の『サラバ』も骨太で良かったけれど、
今年の候補作の『i 』はかなり骨太だった。
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世界で起こる、日本で起こる、遠くで起こる、近くで起こる、毎日の悲しい出来事。
目の前で手の触れるところで関わってくることがなくっても、
打ちのめされるかのようにショックを受けたり、心が削られたりするのは何故なのだろう。
ぬくぬくと(いや、実際は毎日は必死なのだけれど)日々を送ることを、後ろめたく感じてしまうのは何故なんだろう。

それに正面から答えようとするこの小説の「姿勢」みたいなものに、
頭が下がる思いだ。


by shiho_kato | 2017-02-08 21:08 | 読書ノート | Comments(0)

畑野智美『感情8号線』

20代から30代にかけて、学生を終えて、この広い社会の中に身の置き所を見つけるまでが生きにくいんんだ、とっても。
その生きにくさが、あちこちから書かれていた。

ちなみに環八(環状八号線)は、走るコースの中にあちこち含まれている。
読みながら、あのあたり、このあたりを思い浮かべることができて楽しめた。
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書かれてる見えない未来とつかめない自身の立ち位置に由来する生きにくさを、かつての古傷として、他人事として読めることに安堵する。これにかき乱される時期は、もう過ぎた。


40代になってわかったのは、身の置き所を自ら認定できる筋力が、
「私」の側にそれなりについてくると、ラクになってくるということ。

今もグラグラするけれど、10年前のグラグラに比べたら。
腹が据わる?肝が据わる?腰を据える?
40代まで生きて何をか蓄えてくることで、ようやく我が身を据える場所を自認することができる。



*・*・*・*・*

とか言いながら、その年代による混沌からの脱却とは別に、
身を据える場所に辿り着けるか否かの戦いがあると思っている。


私が、身の置き所をここで良し、ここで生かされようと思う意思を自ら持てているのは、今が恵まれているからだ。シングルで子どもを育ててる最中にあって、そういう場所に身を置いて40代を迎えられているのは幸せなことだ。

「ここじゃダメだ。ここは絶対になんとしても脱しなくては。」
そう足掻かざるを得ない、そう踏ん張ろうとすることがよほど健全な環境に、身を置く40代も居る。

『置かれた場所で咲きなさい』
このところ目にする機会が多く、見るたびにムカッとするので、私には毒だ。
著者や、彼女の言に感じ入れる人たちは、一定レベルの安定して落ち着いた環境を手に入れられた人たちだ。


生活の危機、生命の危機と紙一重の場所に置かれて、ここでも咲くわ、ここで根を伸ばすわ、などと悠長なことを言っていたら、自らも子どもたちをも、本当に危機に飲み込まれてしまう。

安定した生活を確保できるところまで、行き着けるところまではがんばらなくちゃ。
安定した生活を維持できる力は、保ち続ける努力をしなくちゃ。

どこに力を使うのか、時間を使うのか、それが無限じゃなくとてもとても限られた中の配分なんだということに気づくことも、20代30代の迷いから脱する大きな要素。
残念なくらいがむしゃらで、迷っている場合じゃ無いんだな。

そうではあっても、20代、30代よりは、まだ今のほうが、いいやって思う。


by shiho_kato | 2017-02-07 11:50 | 読書ノート | Comments(0)