むむちゃんの散歩道

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陣馬山から高尾山縦走

陣馬山、初登頂。
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藤野駅から、一尾尾根コースから山頂を目指しました。
1時間20分くらいで、てっぺんに到着。

こいのぼりがたなびき、富士山がくっきり大きく見えた。
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ここから尾根づたいに高尾山を目指す。
明王峠は直ぐ。
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気づいたら景信山に到着していた。
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更に尾根づたい。
小仏峠から城山へ。
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城山から高尾山はあっと言う間だった。
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高尾山は山頂を迂回して稲荷山コースから下山した。
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しめて19kmなり。
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高尾山口駅の極楽湯でとっぷりたっぷりお湯につかって手足を伸ばしたら、じわじわ疲れが溶け出していった。

お風呂あがりのご褒美ソフトクリーム。
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筋肉回復に、たんぱく質は焼き鮎!美味しかった。


GW中で混んでいることを覚悟していたけれど、高尾山以外はスイスイ。極楽湯も人は多いけどゆっくりつかれた。




ぷうちゃんやむむちゃんを連れて行きたい。

by shiho_kato | 2017-04-30 17:31 | 私ノート | Comments(0)

中村安希『N女の研究』

NPOで働く女性をN女と言うそうだ。

かれこれ、20年近く前の私はN女のハシリだったわけだ。
N女を止めて7年。

NPOという法人格(と言うのか法人体と言うのか)も、
そのNPOで働くことも、
働いていたNPOの取り組むチャイルドラインという事業も、
どれもこれも黎明期だった。
何をどうするか、は、すべてこちらも手探り、あちら(たとえば法人を認証する側だったり、非営利事業に対する税務の取り扱いだったり、事業に後援をつける省庁だったり、また社会だったり・・・)も手探り、まだらな対応に振り回されたり、振り回したりしていたなぁ、と思い出される。

その黎明期のごたごたの最中で、社会についての基礎的な知識もスキルも経験も無い(たとえば社会保険に関すること、たとえば税務に関すること、たとえば企業やらどこやらへの電話のかけ方等々)状態で、毎日の仕事を成り立たせるために、「死ぬほど」という形容が過言では無いほど勉強しながら駈けずり回る日々だった。

今、振り返って、今だったら、もちょっと何とかなっていたなぁ、と、思う。
今だったら、あんなに大変な思いをせずにいられたこともあるなぁ、と、思う。

よくぞ乗り切ったな(いや、乗り切ってないのか?)の気持ちと、
だからダメでも仕方なかったんじゃないか?の気持ちと、
両方が入り混ざる形で、混沌として残っている。

で、だから、あまりくどくどと思い出さずに居よう、という位置に置き去りにして、もちょっと枯れてくれるのを待っているところだ。


前置きが長いが、そんな中でこんな本は、手にとらなくってもいいや、と思ったのだけれど、
イハラちゃんが読んで、もやっとしているようだったので、
どんなところに、どんなふうにもやっとしているのか、
私がリアルもやっとをNPOに対して持っているのと、
この本の中のもやっとは似ているのかまったく異なるところにあるのか、
知りたい気持ちが勝って、読んでみた。
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感想は?
作者が言葉をどのように工夫して試みたところで、
「バイタリティのある、自ら立つことのできるタレントを持ち合わせた、ごく一部の「特別な」女性」
で、あることに、変わりはないように思えたのが率直なところ。

作者は、おそらく黎明期、私がNPOで働いていた時代のN女と、今のN女とでは、こんなに違ってきている、と言いたのだろう。

実際にそのN女のハシリだった者として、同じようにNPOで仕事として(給与をもらいボランティアでは無い)働いていた人(男女問わず)をインタビューした経験と照らして、描かれた彼女たちの像はあまり変わっていないように思う。

変わっていないと思うのはここ。
・自らの給与は自らで稼ぐ。
・キレイゴトで成り立たないことを知っている。N女は基本的に辛口で毒を有する。「なんだよおかしいじゃねぇか、てやんでぇ」魂みたいなものを持っている。
・極貧生活への覚悟を背負うか、一人で二足ではなくパートナーと二人で三足くらいで生きることを受け入れようという思いと、それはダメじゃないか?の危機感をうっすらと背負っている。


もし、かつての今の異なりをなんとかかんとかひねり出すとしたら、NPOであるか無いかへの肩肘の張り方が、以前より今の方が幾分ゆるいかもしれない。
私たちの時代は、NPOここにあり!みたいなものを示さねば、NPOっていうものを認知してもらわねば、というプレッシャーを同時に背負っていたから。

ミッション実現のために、NPOであっても他の方法であってもいい、っていうのは個々人はみなそう思っていたので、変化ではなく、上記のプレッシャーが薄まった故に、自由に?明確になっただけだ。


残念なのは筆者のまとめ。
女の敵は女。
ステレオタイプにまとめ過ぎ。力尽きちゃったのかな。
インタビューしたタイプの女子たちは女同士でつるまないから、敵となる「女」と敵対するほど近く寄ったりしない。
私はかつてあんなにがんばったんだから、みたいなガンバリージョ(女)は、しゅう縁には居ても中核では生き残れない。


そのほか、読んでよくわかったのは、あの当時から言われていた、アメリカでは他の就職先とNPOとは同等の就活対象だ、というレベルにはまだ程遠いということ。





**********

久々に、NPOと私、みたいなテーマでちょいちょいと我が身を振り返ってみて、
もし、今のまんまの私で、
「NPOで働くか」「そうでないところで働くか」の二者択一を迫られたら、
即答で「そうでない」方を選ぶ。
自身の給与は自身で稼げっていう働き方は私には合わない。



生まれたからには、生きているからには、私の資源を、世に還元しなくては。

この気持ちは以前と変わらずにあるけれど、
還元する方法は多々あって、身を削って還元する「鶴の恩返し」方式はうまくない。
身を豊かにしていく還元の仕方っていうのがある。
それは、必ずしも「職業」とか「生業」と直結していない。
もちろん直結している人も居るだろうけれど、
直結していなくっても、ゆるやかに還元するのを支える形で「職業」があり、
職業と離れたとこに「還元の方法」があることもある。

それを無理に一致させる必要は無いってことに、気づけた40代は、20代の頃30代の頃よりも、よほど還元率が高い気がする。
還元量をプラスとした場合に、それを提供するために損なわれたり削られたりする差し引くべきマイナスがあんまりにも多過ぎだったのが、かつての私だ。

人には向き不向きがある。

不向きな現場で、よくぞあれだけがんばったもんだ、と、褒め続けてあげないと、私自身の自尊感情の採算が合わないからなぁ。


イハラちゃん、だからいいんだよ。
おかしいぜって思うこと全部にアクション起こせない自身の限界を
嘆くことも責めることもつまんないって思うことも無能だって思うこともない。

ダメダメな自分を、ダメだなー私って思うことが気づいたら減ってる。
そんな場所にたどり着けたら、そこからやっと始まることがあるから。
まずはそこ目指せって、40代の私は、30代の私に言いたい。





by shiho_kato | 2017-04-26 16:02 | 読書ノート | Comments(0)

備忘メモ:衣食足りて礼節を知る

衣食住はソフト
家計・健康・時間がハード。

ハードが無いと、ソフトの衣食住は回せない。


埼玉で夫婦子ども二人の4人暮らしで月50万ですって。

4人に対しての3人を、ひらたく4分の3と計算すると月37万5千円。
東京分の上方修正は必要だよね。

うむ。今の生活を続けていては厳しいってことだ。


時間貧乏にも拍車がかかって困っちゃうわ。
かるたやランでチャージしているから、健康も維持できるのだけれど、
時間無くってチャージできなくなったら、健康も崩れてしまうって、ほんと参るなー。

一個一個やってこーぜ、って思うけど、
からだはひとつ、生活はトータルだからなー。

最近、そんなことばーっかり考えるなぁ。
よろしくない。

by shiho_kato | 2017-04-24 15:43 | 私ノート | Comments(0)

恩田陸『錆びた太陽』

日本各地の原発がテロで爆破され、


日本国土の二割が立ち入り制限区域になる。


立ち入り制限区域は、AIロボットによって管理される。


その立ち入り制限区域内で、密かに政府によって、他国の原発の廃棄物を預かる「レンタルルーム」事業が行われようとしていることが発覚する。半永久的に高額のレンタル料が国の財源として確保されるという計画。


そのとき、AIロボットたちはどのような判断をし、どのような行動に出るのか。




っていうお話。


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バカバカしいファンタジーって、笑えない。


だって、今の政府だったらやりそうだもの。


収入という目先の利益。


リスキーで壊すことも廃棄することも計画に無い(相当に時間がかかり、容易ではない)原発を次々に作り続け、実際に事故が発生し住民の生命を損なったにも関わらず(責任は?東電に押しつけてそれで?)、それらに対ししゃあしゃあと想定外と眉をひそめたにも関わらず、国内での再稼働どころか(あなたたちの想定内って何?)、他国に新設しようっていうことすら平気でする政府だもん。




このところ、くりかえし考える。

「人間の叡智ってなんだ?」

「人間であることってなんだ?」


ほんとに、刹那のこの生存してる80年、あるいは政権にある10年、20年、単位でしか、ものごとを設計しない。






私はいつ死んでも後悔無いように、今を生きることを自らの姿勢として推奨する。


けれど、その全力の中には、子どもたちが大人になったときに今の「負」を遺産として渡さずに済むようにってことも含みでの、「今」への力投。「私の今」をやり過ごすばっかりの今を生きるじゃない。(つもり)








学芸員はガンだし、原発のリスクは見ないふりしてただの金蔓だし、読書よりもアルバイトだし、自由に物言うことは共謀罪で制限されるし、敵を増やす安保法案改悪は行われるし、教育勅語は推奨されるし、銃剣道って誤植かと思うびっくりするような兵隊さん養成のためのバカげたそれがいきなり飛び出してくるし。




今にはじまったことじゃないけど、この国、ダメだな。




って、諦めたり切り捨てたりできないぜ。子どもたちを目の前にして。





by shiho_kato | 2017-04-22 13:34 | 読書ノート | Comments(0)

保護者会✖︎保護者会✖︎保護者会✖︎保護者会=???

火曜日、14時ぷうちゃんのクラスの保護者会

水曜日、16時半ぷうちゃんのPTA広報の顔合わせ・役職決め


土曜日、8時半むむちゃんの学校公開

    10時ぷうちゃんのPTAの運営委員会

    1045分むむちゃんのクラスの保護者会

    15PTA広報の印刷所への引継挨拶

    17時むむちゃんのかるたの保護者会


日曜日、12時半PTA広報の仕事の引継(PCや印刷機の使い方、データの場所等)

    13時ぷうちゃんの子ども会の保護者会




これが私の今週&この週末だ。




※以下、ただただ、今年は大変そうだなぁ、、、、乗り切れるのかなぁ、、、、と、びびっているだけのグチグチグチグチグチグチの発散のために書いているばかりの、独り言なので、鼻で笑って読み飛ばしていただいた方がありがたい。

(ほら、このブログは、きわめて個人的な雑感を気ままに述べるばかりのブログであって、意見の公平性、平等性、緻密性、信頼性は担保する気は無く、私の中に溢れる言葉の行き場(場合によっては墓場)として、書いているものなので)






この保護者ウィークで、子どもたちとの家庭生活が崩壊しないのは、ひとへにむむちゃんが中学生、ぷうちゃんが小学4年生という組み合わせ故だ。週末の子どもたちに、私と過ごす以外の場所が確保されている故だ。


これで私が崩壊しないのは、フルマラソンを走れる体力を養い、走ることでストレス発散できることを知っているためだ。42kmをジョギングできる気長さで私がブーブーブーブー言うのをふんふん聞きながら週末に、掃除とか洗濯とか買い物とかを肩代わりしてくれるマサさんのおかげだ。(今週は毎晩お願いしたかった)



これが、むむちゃんが小学4年生、ぷうちゃんが年長さんっていう組み合わせの頃だったら、アウトだった。むむちゃんが小学1年生、ぷうちゃんが2歳という組み合わせの頃だったら、我が家は壊滅ものだ。






PTAの広報では、副委員長を引き当てた。つくづく委員長でなくて良かったと思う。




三つに分けたチームのリーダー役が主な仕事なので、小グループを仕切ってしまえるのはやりやすい。不慣れな人について行くよりもよほどいいだろう。他のメンバーにとっても、私にとっても。


むむちゃんの時にもやった係であるし、仕事でもやりなれた内容を選ぶことができてラッキーだったと思ってる。


しかしながらだ、副委員長ってことで出なくちゃならない会議やら、挨拶しなくちゃならないところやら、引き継がなくてはならないことがあることを知り、重いため息を飲み込む。






学校とか、部活とか、地域の子ども会とか、保護者の理解と協力が必要って。

わかってるよ、そりゃ大切さ。

だけど、子どもたちとの生活をそっちのけにできるほどに大切とは到底思えない。





と、主張するほど、学校でも部活でも、まったく貢献してないくせに、何を言うかって話だけど。





子ども会に関しては、地域の恩恵と使役は、天秤にかかるほどかみ合っているように思えない。そこでの働きで、ご近所の方々とお知り合いになることは無いし、子どもへの眼差しを得られている実感がない。よりみちとか、かるた会での出会いのほうが、たしかな手応えがある。かるた会の方が地域への貢献度は高く、子どもたちが文化を共有するという意味で得られるものが多い。(私個人の、手応えであり、実感であり、汎用性があるとは思わない)




今週続いた平日午後の保護者会やらPTAやら。

勤務時間にくい込む場合には、有休無かったら減給ですぜ。

ひとりで稼いでる家庭で、減給は、即・即・即、生活に打撃をこうむるわけです。

PTAの活動で、年間にいくら稼ぎを減らされるんですかね。

それによって、落ちてく生活水準は、どうやって担保してもらえばいいんすかね。

(保護者会は仕方ないや、先生の勤務時間内にやらなきゃならないものだから)


有休は勝ち取ったし、子どもたちは大きく育ってくれていて、どちらもしっかり者だから、これらすべて、仮定の話で済んでいるけど。

どっちかっていうと、私のこの状態が恵まれているんであって、仮定の話の方に陥るリスクの方が高いのが実際のところだけど。






やるからには、きっちり仕事する気があるから。

PTAに関しては、まだ引継前だけど、もう5月に発行する号は役割を振って作業を開始した。仕事の中身そのもは、そんなに多大な負荷があるわけではない見込み。


だったらブーブー言うほどのことも無いだろって、自分で自分につっこむ。


でも、ね、これだけ家庭崩壊のリスクと隣り合わせて、ハラハラぎりぎり切り抜けている緊張感は、ブーブー言って発散しながらじゃないとできないっすよ。





でね、おんなじように、ぎりぎりで厳しい人、ぜーったい居るもの。

だから、図々しくいられる私が、書いておこうって思う。

一年なんとかやり過ごして、あぁ終わった終わった、もう二度と無いからさっさと忘れよーって、済ませてしまいそうだから。



ブーブーの愚痴の代わりに、
私の次にやる人が、最小限の作業で、最小限の時間で、一年の役割を終えられるようにしようって思う。
子どもとの時間を極力削られずに済むように。それがミッション。



去年の副委員長で私に引き継いでくれるぷうちゃんの同級生のお母さんは、とっても丁寧な方で、負担が少なくなるようにって、準備の良い引継メモを作っておいてくれた。


だから、顔合わせ初日にも関わらず半期分のスケジュールと役割分担を終えることができた。


これを、もちょっとブラッシュアップしておけば、一年生お母さんたちが学童のお迎えに間に合うように終えることができるはずだから。










ブーブーついでに付け加えておく。


「PTAは義務でも強制でもありません。PTAはボランティア活動のひとつです。」


細々とながら曲がりなりにもボランティア論を教える立場で、私が携わるPTAに照らすならばPTA活動はボランティア活動じゃない。


ボランティアの原則「自発性」「無償性」「利他性」(「先駆性」)のうち、「自発性」に基づいてPTAに加入していると自覚するメンバーはごく一部だろう。

在籍6年のあいだに必ず一年は役を担うことと決められている時点で✖。


子どもたちを小学校、中学校に通わせる義務が保護者にあって、それに付随して発生するものであるから、義務の枠の延長(厳密にはPTAは任意であるが、子どもの公平性を代償として支払うことと引き替えであり任意とは言い難い)。部活も子ども会も、この「学校に通わせる義務」が発生していなければ、帰属することも無いものだ。



この連日の保護者会ウィークのなかで、ボランタリーな位置づけになるのは、かるたの保護者会のみだ。かるたは、義務でも強制でもなく、むむちゃんの意思で通いたいものとして選んでいるものであるから。



この保護者会とかPTAの使役は日本特有の仕組みなのだろうか、ほかの国ではどうなんだろう。



一足飛びに無くなってしまえとは思わないけれど、ほんっとうに必要なところだけに絞って、それは学級委員的位置づけで、任意とかなんとかじゃなくってそれこそ決め事でやるほうがいい。

任意とかボランティアとかいう言葉で、実態と異なるオブラートは持ち出してこない方がいい。その際に全員持ち回りみたいなのはやらない。それほどたくさんの「必要なところ」が無くても回せる絞り方をしなくては意味が無い。


それ以外は、やってみようかな、と思う人がいない係は無くしてしまうくらいの整理をして、必要だって思う人が集まって必要だって思う係をする、っていう流れにならないかな、って思う。

だって、運動会の保護者の綱引き、無くなったら残念って思う人がいるならば、残念って思う人たちがやろうやろう、で、やる方が盛り上がるもの。












このブログ、おそらく近しい方々も読んでおられて、PTAの活動を積極的になさっている方ももしかしたら目にする方もいらっしゃるかもしれないので、しつこいけれど誤解の無いように書いておく。




PTAの活動、あるいは保護者会の活動に、自らの積極性を発揮し、自覚的、主体的、能動的に取り組まれている方々を揶揄するものでは無いことは、全文を読んでいただければ理解いただけると思う。


子どもたちの学校生活、家庭での生活、そして糧を得るための仕事をギリギリまわして、時間ビンボー、お金ビンボー、健康だけはなんとか担保しながら、生きてるモノ(私のように)には、PTAは時間的重荷であり、活動の中のいくつかの必要性を見いだせない作業は心の健康を減じるものである。


と、私は私の置かれた条件の中で考えるけれど、それは私の考えであって、他に押しつけるものではない。



同時に、PTA有用論を押しつけられたくも無い。


相容れないふたつの考え方がそこにあるだけだ、とご理解いただきたい。


by shiho_kato | 2017-04-21 22:24 | 私ノート | Comments(1)

門井慶喜『おさがしの本は』、夏川草介『本を守ろうとする猫の話』

どこぞの馬鹿な政治家が、「学芸員はガン」だとか宣ったそうな。
こういう人たちは、司書もガンって言うのでしょう。
あなたたちこそ、この国の文化や芸術やetcにとって、ガンですって言いたい。

複数形なのは、こいつの後ろに有象無象のおんなじ「学芸員はガン」「司書はガン」的、文化を共有する馬鹿なオヤジ達がうごめいているのが見えるから。そういう文化に支えられてこの発想はできていて、だからこそ声高に言っちゃえるんだ。自分間違ってる、って疑う余地が欠片も無かったってこと。
あぁあ、どうりで下品な政策ばっかり立ち上がってくるわけだ。


そして、おバカが政治家で隔離されていればいいんだ。
残念ながら、それは社会にじんわりというよりもふんわり全体的に相当あつく層をなしているっぽい。


だってね、新聞の投稿で、本読むよりアルバイトや部活の方が社会を学べるってさ。
あなたの言う社会って、狭っっっっ!!!
アルバイトや部活をしてて、シリアで死んでく子どもたちのことを知れるのか?
日本が国際的に見ても、教育にお金を割かない国だってことを知れるのか?

そんな、「今」しか見えない刹那的な生き物は「人間」なのか?

生きたことの無い過去を受け取ったり、生きることの無い未来に伝えたり、「そこに居ない」時間空間をも我がモノにできるのが他の動物には無い「人間」の際立つ特性だっていうのに。

過去も未来も関係無いっていうこういう人が、教育学部を出て教員になって我が子たちを教える・・・
想像するだに末恐ろしい。
彼本人は想像しない生き物だから、ちっとも危機感無いんだろう。


はてさて、無批判に、本はいいよって言っても論拠、根拠が無い。
私なりの端的な言葉では、自身体験できないことを、運んでくれるのが本であるのだけれど。

二つの小説が、私とは異なる視点で、異なる形で答えてくれている。

門井慶喜『おさがしの本は』
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図書館など要らないっていう政治家に対し、参考人として図書館は何故必要かを述べる。
ちょうど、上記投稿に対する枡野の応答とよく似た弁論だと感じた。

もひとつ。
夏川草介『本を守ろうとする猫の話』
神様のカルテを書いた夏川が、紙の本を無きものにしようとする刺客たちとの闘いに打ち勝っていくちょっとしたファンタジー。


この世は言葉でできてるんだぜ。
私が見ているこの世界は、私が獲得した言葉で認知されて成り立っているんだぜ。
言葉を失った輩は、世界を構築し得ないんだぜ。


って、冒頭の輩たちには、イミフ(意味不明)だろうな。
私の見ている世界では、そういう輩をバカって言うんだ。





もちょっと毒を吐きがてら付け加えておく。

私は司書の末端にも連なれないほどのなんちゃって司書だ。司書職に対してはそうであるが、図書館のヘビーユーザーで本読みであることには、自負があり、その立場で図書館界を理解し支え担うひとりであると自覚している。
それでもって、ときどきあちこちの図書館に電話をかける機会に恵まれる。

するとね、もうね、何回かに一回の割合で当たるんだ。(これ、頻度高いですよ)

ボソボソ喋りなさんな!
相手に聞こえるようにモノを言いなさい!
相手にわかるようにモノを言いなさい!

って言いたくなるような出方をするあなたは、司書ですか?勘弁してください。人とコミュニケーション取るお仕事でしょ。
末端とは言え、同業者だからこそ、いっそう言いたくなる。



もののついでに、付け加えると、
学校事務関係者にも、この手のボソボソ電話応対が多くておののく。
それで仕事になるのか?なってないってわかってるのか?

隣の職員と話しているときのほうが声が大きくてハキハキしてるって、おかしいだろ。
それで仕事になっちゃってるかのように平然とあぐらかいてる人たちが居るから、次から次へと正規職員じゃなくって非常勤職でこと足りるって、切り替えられっちゃうんじゃないの?

同業者だから、こそ、言いたくなるんだよぉぉぉぉ。




どぉやら私、溜まってるものがあるらしい。
言葉で輪郭を与えると自分の中で炎上しそうなので、認識しないようにぼんやりしたままで漂わせておくよ。



あー、こんなこと書くと自分に即跳ね返って来て仕事のハードルあがるーーー。とほほ。

まあいい、それでも言いたい時があるってことで。


by shiho_kato | 2017-04-17 17:18 | 読書ノート | Comments(0)

夏日のかすみがうらマラソン

多忙の中の、オアシスのような贅沢な4時間42.195kmだった。

夏日なんてなんのその。


私による私のための私時間。
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全力で走り、全力で笑い、全力で楽しんだ。
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ステキな仲間たちと。
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by shiho_kato | 2017-04-16 22:53 | マラソン、かるたノート | Comments(0)

小野寺史宣『家族のシナリオ』『近いはずの人』『みつばの郵便屋さん』

『家族のシナリオ』

・母は、元女優
・現父は、元父の弟
・元父は、現存中近所住まい

元女優かどうかは置いておいて。
僕と妹と、そしておとなたちの、新しい家族の形は成り立つのか。
しがらみにとらわれない作者だからだろうか。母の造詣が気持ち良い。
難しい設定ほど、人がにじみ出るよな、、、と思う。
僕のやわらか頭な受けとめも、私は好きだ。
「多様な家族のあり方」などと銘打つよりも、こうして淡々と書かれていく方が、身体馴染みが良い。


『近いはずの人』
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どこかで読んだ設定だと思ったら、映画にもなった西川美和の『永い言い訳』と同じだった。
死なれた妻の、知らなかった姿を、紐解いていく物語。
ちょっと残念なのは、生きていたらドロドロになっていたかも。
と、思わせる。
逆を返すと、死んだからこんな風にすっと流れてくれる。
死人を出汁にする使い方をせずに、お話として整ってくれていれば上出来なのだけれど。


『みつばの郵便屋さん』
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『近いはずの人』も、みつば市に住む。
京葉線沿線の設定は、どこのことなのか調べてみたらわかるのかな。
郵便屋さんは、様々なドラマネタを隠し持っていると思う。
隠し持つ力も郵便屋さんの資質のひとつなんじゃないかな。
だから、物語にしようとすれば、あれこれ立ち現れてくることは想像に難くない。
そんなに、郵便屋さんその人に引き付けなくっても紡げると思うのだけれど。
第二弾、第三弾では、もすこし、周辺を描けているかしら。


by shiho_kato | 2017-04-12 17:54 | 読書ノート | Comments(0)

畑野智美『海の見える街』

『感情8号線』のときも思ったけれど、取材しないで描く人だなぁ。。。

『海の見える街』は、手にとってペラペラめくってみたら、図書館が舞台で、司書が幾人も出てくるので読んでみたのだけれど。

司書なめんな。
フツフツと怒りの沸く前半だった。
もう司書かどうかはどうでもいいくらいお話が進んだら、それこそもうどうでも良くなったけれど。


取材しないで書くとこうってことは、よそさまにはこんな風な働きかたをしているって、見られているってことだよね。
もし、仮にも取材した上でこんな司書像で良かろう、あるいは図書館の仕事ってこんな暇っすよ、ってことにしているんだとしたら、私が知っている司書さんや図書館がよほど特殊だったってこと。

私にこの本を貸してくれている公共図書館の司書さんたちは、これ読んだのかな。
のうのうと貸し出す前に、名誉毀損で声をあげたほうがいいんじゃないって、ちょっと思ったりするレベル。
そんないい加減な仕事じゃ、ほんっと仕事にならないっすよ。


この人の描くお話は、設定が面白そうなのに、ディテールがほんと浅い。
枠組みそれでいいから、ちゃんと(調べて)書けよ~って、言いたくなる。

いっつも設定に騙されてうっかり借りて、読んで、がっかりするパターンだから。
頼むよ、期待に応えてくれい。

by shiho_kato | 2017-04-10 17:16 | 読書ノート | Comments(0)

桜の道@多摩川

早朝のいつもの多摩川は桜桜桜。

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ゆっくりと走った。

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2kmに渡る桜のリバーロード。

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桜のトンネルを抜けたら。

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にわかに口をつく。

「生きてやる」


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「生きてやる~っ!」


ってなんだっけ?

あ、そうか。

「世界から猫が消えたなら」の宮崎あおいちゃんが叫ぶセリフ。



木乃花咲耶姫の精にとっぷりと触れたからだろうか。儚いはずの桜に似つかわしく無い強さでこみあげる。



何があっても、生きてやる。

生きている限り、この道の続く限り、

私は私の生を、生きてやる。

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by shiho_kato | 2017-04-09 08:00 | 私ノート | Comments(0)