むむちゃんの散歩道

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誕生日

月曜日、むむちゃんは学芸祭の振替でお休み、私の誕生日。
むむちゃんが、かぼちゃのシチューと、お誕生日ケーキを作ってくれた。

力作っ!!
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うれしい、美味しい、プレゼント。
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ぷうちゃんは、「いっしょにどこでも券」を15枚もくれた!
むむちゃんは、かるたの取り札対戦表を記入するノートをくれた!
いっしょにお出かけ、かるたの応援をこれからも、がうれしい。
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美味しいね、美味しいね、と言い合いながら、
あんなことあったね、こんなことあったね、話が弾む食卓。



ぷうちゃんは「かきくけこ」が言えなくって、「たちつてと」だったよね。
むむが「かっ!」「こっ!」って教えたんだよね。
「ぷうちゃんの「か・こ」」

むむちゃんはぷうちゃんにいろんなことを教えてくれる。
「むむちゃん、ぷうちゃんに算数を教える」

ぷうちゃんは、「か、こ」が言えるようになったときには、ひたすら「か、こ」を言い続けた。
字を書けるようになったときには、時間を忘れて字を書き続けた。
言葉が言える喜びも、字を書ける喜びも、人に思いを伝える喜びであると、私はむむちゃんとぷうちゃんに教わった。



ぷうちゃんもお誕生日ケーキ作った。
果物いっぱいのせたヤツ。あれはすごい覚えてる。

「ぷうちゃん、5歳になる」


ぷうちゃんは、いつだってむむちゃんが大好きだ。
むむちゃんは、いつだってぷうちゃんが大好きだ。


「ぷうちゃん、むむちゃんを待つ」
「むむちゃんを待つ、ぷうちゃん」

私が、自身の誕生日をスルーしてしまおうとしたときに、
むむちゃんが、むむがケーキ買ってあげると言ってくれたこともあったっけ。
あのとき、踏みとどまって良かった。何があっても、特別な日。
生まれてきたことを、生まれてくれたことを、祝う日。

2008年「誕生日」
2009年「お祝い」
2012年「2歳から8歳へ。 むむちゃんが教えてく​れる「変わらないもの​」「変わっていくもの​」」
2013年「ありがとうではじまる一年に@39の誕生日」
2014年「ありがとうの誕生日」

話しながら思い出しながら、そのときのことを確かめるように「むむちゃんの散歩道」を開き、
あれこれ記事をひろって、一緒に読む。
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そういえば、こんなことあったね。
「金環食の朝の。ちいさな記念日」

ひとっかけらも覚えてないけど、こんなことがあったんだね。
「思わずニヤリ。トラックにとじこめられた宅急便屋さん」
読みながら、お腹を抱えての大笑い。


むむちゃんとぷうちゃんは、布団に潜っても、頭をつきあわせて読みながら、
あのときね、このときね、どうだったけ、そうだったね。
話が尽きず、笑いが尽きず。


どのページにもどのページにも大好きが溢れていた。
気恥ずかしいくらい。
泣きたいくらい。

私たちのつむいだ一日一日を、書きとどめてくれたかつての私。
取り戻せない日々を、刻み残してくれたことに、感謝。




過去の私へ

幸せな誕生日を、こうして迎えることができました。
むむちゃんもぷうちゃんも、ステキに育ってくれています。
愛情深く、子どもたちを育ててくれてありがとう。



by shiho_kato | 2017-10-30 22:58 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)

伊吹有喜『なでしこ物語』『地の星 なでしこ物語』

遠州(いまの静岡県)の過疎の進む山里にある名家遠藤家のお屋敷「常夏荘」に住まう、子どもたちのお話。
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語り手は常夏荘の主で未亡人の「照子」なのだけれど、
体が弱く静養のために常夏荘に訪れている遠藤家の御曹司「立海」と、
身寄りを失い遠藤家の山を管理する祖父に引き取られた「耀子」の、
ふたりの子どもたちを丁寧に丁寧に描いている。

不遇な環境で育ってきた耀子が、常夏荘の大人たちに見守られて、ゆっくりゆっくりと自らの持っている力を取り戻していくお話。

常夏荘に住まい、常夏荘に働く大人たちが、手を出しすぎずに、安全で安心な場所をそっと作りながら、耀子がみずから獲得していくのを待てる。

おとなと、子どもの距離感が良い。
燿子の、急がず、ゆっくりじっくりと見つけていくところが良い。
ゆっくりじっくりの耀子の変化に、おとなたちも少しずつ少しずつ変わっていくのが良い。

口数の少ない祖父は、「赤毛のアン」のマシュウへと変化していく。
使用人との間に線を引いていた照子が、共に耀子の誕生会を祝おうとする。

『なでしこ物語』は静かで、悲しさと寂しさも苦しさもあるけれど、あたたかで、救いのある子どもたちの物語だった。


2012年に書かれた『なでしこ物語』から、5年を経て、先月発刊された『地の星』は、
大人になり、常夏荘の主になった耀子の物語。

過疎の山里で、女性たちが働くこと、その地を大切にする思いと、思うだけにとどまらず形にしていく。じれったいほど控えめに慎重に、でも着実に実現していく。

物語の進むテンポは、『なでしこ物語』から少しも変わらない。5年間は空白だったのではなくて、あたためてきた時間だったのだなー。と、思って調べたら、2013年から雑誌で細々と連載を続けてきて、このたび

衰退するふるさとを、なんとかできないだろうか。
その地で採れるもの、育ててきたもの、それに手を加える技術、死蔵になりがちな個々の人たちの力を、集めてつないで、生き生きとしたものへと転換させ、その土地で必要とされる支えやニーズに流し込んでいく。

いま、日本のどこかしこでも、自らの地域を自らの手で活かす試みがなされている。

地産地消とか、女たちの手とか、地域の物産品とか、それらは、こうした物語を背景にしているんだな。

稲穂は美しく、どこか立ち枯れた空気を漂わせる実家の町にも、こんな物語があるのかな。
これからの物語が、既にはじまっているのならいいな。



『なでしこ物語』の耀子から、『地の星』の耀子へは14年の歳月が流れている。
来年2018年に、その14年を埋める『天の花』も発刊されるそうだ。





by shiho_kato | 2017-10-23 11:54 | 読書ノート | Comments(0)

選挙について、グダグダ思う。

選挙当日は、台風迫る大雨の中「奥武蔵・もろやま仰天ハーフマラソン」に出かけた。
滝のごとく水の流れる山の中を雨に打たれながら21km少々走って来た。
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人生の社会の不条理さ不可解さに比べれば、風雨の中を走るなんざ、わかりやすくて健康的に過ぎる。

少し前まで、雨の中だよ、台風だよ、この中走るなんてバカなの?バカなんじゃないの?って、思っていたのに。やればできるどころか、「え、走んないの?つまんない」くらい言ってしまいそう。
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しがない一票の結果よりも、この日の21kmを走ったことのほうが、私の人生をはるかにはるかに力強く支えてくれる。



******

と、いう訳で、期日前投票のはじまった一週間前の日曜にさっさと投票を終えた。

だって、選択肢、迷うほど無いもの。
積極的に入れたく無い人や党をはずして、残ったものの中から、消去法で選ぶくらいしか。

最高裁裁判官の国民審査だけは、投票所で紙をもらってから、
「考えてきて、出直します」って言いたかった。
だって、すっかり忘れていたから。

こっちの人たちの信任不信任を考える作業のほうが、衆議院議員投票よりも面白かっただろうな。
出直しがきかなかったのは残念だ。


選挙の結果には、今さら何も期待しない。
有権者の半分しか投票していなくて、その中の過半数を得ても、有権者の25%。
それで、「支持を得た」と大語するのはどうだろう。

選挙区割の仕組みのトリックで、当落が決まって、その仕組まれた当落の当の人たちに、私たちの社会の制度をあれこれされるのだ。

どれもこれもリアリティも説得力も感じられない。
選挙ってほんと虚像だな。


私が、今回の選挙結果で、この数字がいちばん信じられると思ったのは、ツイッターごしに知ったこれ。
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投票数にならして議席数を数えたもので、ドント方式というらしい。比例代表の選挙方式のこと。
小選挙区なんてやめて、全部比例代表にすればいい。

わが地域の命運を背負って国会に行っとくれ、なんていう議員は要らない。
と、私は思う。しがらみってヤツで、自己利益、自己の票田利益、自己の地方利益になることしか考えない、それ以外は居眠りばっかりの国会議員を一定数確保するだけじゃないのか、って。
少なくとも、千葉に居た時も、現在も、我が地域を背負ってくれる輩だとは、ひとっかけらも思わないから。あなたに託すくらいなら、私が自分で信頼できる人を見つけて相談するよ、ってくらいに。



どっちにしても、もっと投票率の高い選挙の結果だったら、それなりに社会への影響力を持つ集団として捉えなくてなはならないと思うことができるだろうけれど。
「国会議員」とは有権者の半数にディスられた人たち。

彼らがすることすべて、信じる気にも従う気にもなりはしない。


私の周囲には、
「投票なんか行くわけない、あんなものは意味無い」と毎回豪語している人は今回も言い、
「投票?行くわけないじゃん、台風だよ」とのたもう人がいた。

どちらも子どもに聞かせる声だったから、止めてほしいと、心中思う。


この仕組みのどれも支持できないけれど、その仕組みで進む国にいま立っている身としては、ほんのひとっかけらであっても、私の意思は表明せねば。

意思の無い人間は牛耳りやすいんだよねーって、国会に住まうキャツらに舐められるのはまっぴらゴメンだ。


何よりも社会に対する憤りが沸いたときには、「なんか、おかしいよ」「なんか、ダメだよ」「やめてくれないかな」ってこんなしょぼいブログでも言いたいことは言いたいわけで、
それを躊躇なく言うには、「私は投票したよ」ってのが私自身に対して免罪符になる。


「免罪符」っていうのは、つまり、親世代から延々と続くおかしな仕組み、負の遺産に対し、私はしょっちゅう腹が立つのだけれど、いま下の世代から「あなたたちが変えてくれなかったからエライ迷惑してる」って突き上げられる年齢になり、せめても「変えてくれない輩を落選させるアクションは取った(紙っきれ一枚でも)んだけどね」っていうそれ。




意見表明権の行使として表明できる意見は限定的でちっぽけ過ぎるし、ほんと意味あるのか不確か過ぎる制度だけれど「あなたの意見を聞かせてください」ってのが選挙だから、うつむいて押し黙らずに、「あなたなんか選ばねーよ」「あなたたちの言うことなんて信じねーよ」ってきっぱり書いてのける(もちろん実際は選んだ人や党の名を書くのですが)ことはしておかないとなって、思う。


陰口ばかりグチグチ言い募り、いざ「どうぞあなたの意見を聞かせてください」って場でうつむいて押し黙るのは、カッコ悪いから。




しがない一票も、無碍にしないし、易易と捨てない。
捨てるときは、この国を去る時と決めている。

いちおうね、この国を構成するひとの一人としていま、ここに生きているという自覚があるから。

by shiho_kato | 2017-10-22 18:44 | 私ノート | Comments(0)

むむちゃんの7回目のピアノ発表会

あやみーの先生のピアノ発表会。
これで7回目になる。
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むむちゃんは4歳から、あやみーの先生の二番目の生徒として習い始めた。
一番弟子が卒業してしまった今、いちばんの古株だ。

そして、発表会、フル出場。

長い長い曲を、背筋をすっと伸ばしたまま、ピアノを弾く指と手首は力強さを保ったまま、弾ききった。

去年は、上手になったなぁ。と嘆息。
今年は、強くなったなぁ。と、吐息を漏らす。
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コツコツコツコツ、よく続いてきた。
コツコツコツコツ、楽しんで弾き続けてきた結果、昨年に続き今年も学校の音楽祭で伴奏をすることになった。


ストイックな努力と継続が私の強みであるとするならば、
かるたも、ピアノも、好きなことを楽しみながら続けることができる。
それが、むむちゃんの強み。

やっぱり、むむちゃんには憧れるなぁ。


お酒の入ったあやみーの先生は、発表会の時よりも楽しそうに、むむちゃんと連弾。
あぁ、そうか。先生の楽しさが、むむちゃんを育てているんだ。
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あやみーの先生、ステキなむむちゃんに育ててくれてありがとう。

by shiho_kato | 2017-10-21 23:47 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)

綿矢りさ『手のひらの京』

京都の姉妹と言えば『細雪』

こちらは京都の三姉妹のお話。

ゆっくり進む、静かな小説。
京都という地の特性なのか。

綿矢りさの小説にある「ひとひねり」は、不自然であまり好みではない。
この小説では、不自然なひねりがなくて、静かに読むことができた。
この路線が、いいんじゃないのかな。

京都の小説は、京都に住まった経験を持つ人にしか書けないような気がする。
もちろん北海道だって、青森だって、長野だって、福岡だって、そうなんだろうけれど、京都は特に。

京都出身の綿矢りさだからこそ、気負いなく描くことができた京都の小説。
出かけたくなるなー。

by shiho_kato | 2017-10-19 14:11 | 読書ノート | Comments(0)

柚木麻子『さらさら流る』

柚木麻子の新作。
リベンジポルノを主題にする。

導入がだらだらしていたので、読みかけて放置していた。
あらためて手に取って読み進めたら、最後まで読まずには恐ろしくて居られなくなり、一気に読んだ。

いたずらに過剰におびやかさぬように、あえて、あたたかさとゆるやかさをしっかり盛り込んだ上で、本題に切り込んだのだろうな。

機微を丁寧に、しつこくひらいてひらいてひらいて、描くのが上手い。
小さな、わずかな揺らぎが、悲しく残念な出来事を引き起こす。
生きている上で、誰にでも起こりうると思わせてくれる。

気を抜けないなー、と思う。
気を抜ける場や相手をしっかりと確保していないとなー、と思う。

女の子も、男の子も、「ついうっかり」の、「つい」とか「うっかり」の歯止めに、この小説は読んでおいたほうがいい。


by shiho_kato | 2017-10-14 20:15 | 読書ノート | Comments(0)

文藝春秋社長殿へ ー日本図書館協会「全国図書館大会」ー

文藝春秋の社長さんの「文庫は図書館で扱わないでください」
の話をじかに聞くことができた。

文芸書は月に20冊、新刊を出すことになっている(単行本)。
黒字になるのは、20冊中、3~5冊程度だそうだ。
各5000部発刊し、そのうち3分の1出ればトントン、1500部ちょっとか。
赤字になる分を埋めるのが、文庫の売り上げ。
その文庫の売り上げがどんどん落ちていて、赤字を埋められなくなっている。

そこで「文庫は図書館で貸さないで」というお話になったそうです。
図書館で貸さなければ、購入数が伸びる数値的な根拠は無いそうだ。
でも「文庫は買って読む」という読書マインドを行き渡らせることをお願いしたいんです、と繰り返していた。

経営上の問題は門外漢なので、いうべきことが無いのですが、その新刊本20冊を半分に減らしたらどうか?
黒字になる3~5冊をのみ選び出して、発刊するという目利きはできないのかな?

挿話のなかで、芥川賞受賞作家の受賞後の作品は、図書館が資料保全の目的で必ず買うので、公立図書館の数1,500部は自動的に買われるため、単行本としては黒字展開となるそうだ。


本を読む裾野が広がらなければ、本が買われることは無いので、とにかくも本が身近で親しまれ、読むことが日常になる文化が醸成されることが理想だろう。
それは出版社にとっても、図書館にとっても、本屋さんにとっても、等しく願うところに違いない。


*・・*・・*・・*・・*・・*

その話を聞いたのをきっかけに、勤務先の図書館で文庫がどのくらい利用されているか調べてみた。

貸出総数のうちの文庫の割合である。
2012年度 35%
2013年度 39%
2014年度 40%
2015年度 34%
2016年度 38%
2017年度 42%(4月~10/20現在)
増減はあれど、どの年も3~4割を占めている。


文芸書にしぼった貸出数のうち、文庫の割合で見ると、
2012年度 64%
2013年度 61%
2014年度 65%
2015年度 64%
2016年度 62%
2017年度 65%
文芸書を借りる場合、6割以上は文庫本で借りていることになる。

所蔵する文芸書全体に占める文庫本の割合は40%なので、単純に数字の上で見ると、
単行本よりも文庫本を選んで借りる割合が高いと言えるだろう。


個人的には、学校図書館において子どもたちが読むことを習慣化するために、文庫の手近さは欠かせない。
教科書やら部活やらで彼らの荷物は重量級だ。そこに入る余地のある大きさの文庫であるからこそ借りられる。

手狭な学校図書館で、より多くの本を並べようと思えばそのコンパクトさは魅力であるし、
予算僅少な学校図書館で、より多くの本を購入しようと思えばその安さに助けられている。


ところで、2013年に、文藝春秋90周年記念「高校図書館「文春文庫」プレゼント」という企画が行われた。

勤務校の図書委員会も応募し、当選し50冊を寄贈していただいた。
その50冊は、この4年間で122回借りられている。

寄贈書を選ぶにあたって、生徒たちに文春文庫リクエストを呼びかけ、
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寄贈いただいてからは、文春文庫コーナーを設けた。
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このときに寄贈いただいた池井戸潤はもちろん、乾くるみや三浦しをん、横山秀夫etcは、その後発刊された小説も引きつづき購入している作家たちだ。



共存、だよなー。
その作戦を、書店も出版社も図書館も共に立てる場所が必要なんだと思う。

by shiho_kato | 2017-10-13 22:37 | 私ノート | Comments(0)

お仕事小説 三浦しをん『ふむふむお仕事』『エール』1~3

お仕事小説をせっせと読む。

三浦しをんの『ふむふむお仕事』と、『エール』1~3。

三浦しをんのインタビューは面白い。
インタビュー先の選び方がユニークで、どの人もどの人も、生きる力が強い。
そして、気の合う人の話しか聞きに行っていないんじゃないか?というくらい、率直な話を引き出す。

職業がユニークすぎて、尖っている人たちばかりなので、同じ地平で「働く」を捉えられないのが残念。
平たく働く「会社員」「OL」「公務員」「教員」等々の、フツーの人に、三浦しをんが話を聞いたときにどんなインタビューがなされるのか、読んでみたいなぁ。


『エール』はアンソロジー。
この小説のための書き下ろしのアンソロジーで、あちこちからの寄せ集めではない。
そのためなのか、作家の個性が7割くらいに抑えられているような気がする。

20代の、大卒で就職して、仕事に慣れて、この仕事で今後ずっとやっていくのかどうか、岐路に迷う年代のお話というのは統一されている。

作家が、登場人物にいろんな職業をあてるときのリアリティは、取材によって担保されるのかな、と思うのだけれど、事前の調査や取材が上手い人と、そうでな人がいることが、アンソロジーであることでハッキリ現れた。

人物をつくるのって、丁寧な緻密な作業が必要なんだなー。
お仕事そのもの中身や面白さよりも、描かれ方に目が行ってしまったのが残念。
やっぱり、一冊ガッツリ、その職業を、その人を読むのが、面白い。

by shiho_kato | 2017-10-12 15:53 | 読書ノート | Comments(0)

大田区スポーツまつり

体育の日。
区内のあちこちの会場で、いろんなスポーツの体験ができる。

吟味して、午前中は卓球の会場へ。
老若男女というのか、「若」の小学生中学生たちと、「老」の60歳を越えた方たちで、8割を占めていた。
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卓球って、高齢になってもできるんだ。
ひとりで参加して、はじめこそオロオロしていたけれど、「一緒に打ちましょう」と声をかけていただいて、そのうち、次から次へと「次は私と」「次一緒に」とお誘いいただいて、ほとんど休みなく2時間。

あるおばあちゃまは、定年後の70歳で卓球を始めて、現在78歳だとか。
ダブルスで区の大会で優勝したら、面白くなってしまってやめられないのよー。と。
70歳になってから卓球を始めたことも、続けていることも、ましてや大会に出て試合をしているということだよね、スゴイ!!!

一部、若いときにやっていて、、、という方も居たけれど、「定年で退職してから始めるひと、多いんですよー。うちの会はそういう人ばっかりですよ」と。

生き生きと、貪欲に打ち続けている熱気にあてられた。



午後は、弓道体験へ。
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『アイコ16歳』を読んで、高校時代は弓道同好会に入りたかったんだけどな。
3ヶ月で止めてしまった。毎日練習、土日も練習に試合の卓球との両立ができなかったから。
中途半端に防具を買ってもらっちゃったりして悪いことをしたなぁ。
あれ、もうとっておいて無いよね。

敵と闘うんじゃなくって、自分と向き合う感じが好き。
「型」があるものは好き。シャンと背筋を伸ばすところも好きなんだ。
矢羽根が頬をかすめて、時と場合によっては切れることがあって、それは怖かったな。
弓を引くにはコツがあって、力任せに引くわけではないのだけれど、それがわからなくて腕と指の力で引いていた。もっと長く続けていたら、肘で引く感じまでたどり着けていただろうか。

本来は28m先に置かれる的が、体験では10m先に。
しっかりサポートしてもらって、狙いをつけるのと放つタイミングだけを自分で。
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まっすぐ立って、引き下ろしているつもりだったけれど、撮ってもらった写真を見たら、腰が後ろに引けて背中は反ってしまっていた。
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自分の体を、イメージ通りに動かすのは難しいなー。


4本射って、一本も的に当たらなかった。
「本来の的よりも下の方につけているので、やっている人ほど当てにくいんですよ」と教えてくださったけど、それ以前に、どこで狙いをつけていいのかわからなかった。

4本ずつの体験だった。
やりはじめると物足りない。1時間くらいやりたい。
でも、こういう体験の機会を見つけて、また来よう。

弓も、老後の楽しみにできるものならいいなー。


どうしよう。
老後に楽しみにするものがどんどん増えてきて、どれだけ長生きしてもおいつかないかも。
当たり前過ぎてやれやれだけど「健康こそ財産」を発見する、体育の日でした。

by shiho_kato | 2017-10-09 16:19 | マラソン、かるたノート | Comments(0)

日和田山遠足

3連休の真ん中。

ぷうちゃんの誘い出しに成功して、一緒にお山へ。
西武線のレッドアロー号に乗って。

向かった先は「高麗駅」
駅を降りて、標高305mの日和田山を目指す。
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暑い。
女坂、男坂、見晴らしの丘経由の三つの経路で山頂を目指すことができる。
分岐路から道を見上げて、ぷうちゃんは迷わず「男坂」へ。
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岩がゴロゴロしていて、歩くというよりもよじ登る道。


だらだら歩きでは(私基準で)直ぐに疲れた疲れたと言い始めるぷうちゃんが、岩よじ登りでは、スイスイ、グイグイ、先へ先へと登っていく。
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小猿さながら。
そうか、こういうアクロバティックな道が好きなんだ。
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まだかなぁ、と言い始めてすぐに、見晴らしが開けた。
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わぁいい景色。
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足元を見下ろすと、こんなところをよくよじ登れたね、っていう岩の道だった。
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頂上はもう少し先。
ルンルンな気持ちになっているので、そこからもスルスル。


てっぺんに到着。標高305m。
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駅から40分足らずで登りきることができた。



いま来た道は、下りは危ないよね、と合意したので、
下りは「女坂」から。
ところどころ、岩をつかまりながら下りるところもあるけれど、ほとんどはたったか歩ける山の道。

あっという間に下りきってしまったら、暑い。
山の中は木陰が多くて涼しかった。
わずか300mでも高いところは、気温が違う。

高麗川の水は冷たくて気持ちがいい。
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高麗駅の近くには、曼珠沙華と秋桜が一面に咲く「巾着田」があり、三年前の同じ時期に秋桜を観に行ったことがある。巾着田でお弁当の案は却下され、奥武蔵グリーンラインチャレンジのフィニッシュ会場の小学校でお弁当を食べた。

奥武蔵グリーンラインチャレンジは、昨年私も走った、600m上って600m駆け下りてくるコースを走るフルマラソン。私は二週連続のフルマラソンになってしまうので、今年は回避。
ラン仲間の、つちのこさんと、マサさんと、かっちゃんと、もうふたりが走っている。
きっと、あの向こうの山の中のどこかがコースなんだ。
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学校に着いたら、つちのこさんとマサさんはゴールしていた。
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お弁当を食べ終わったころにかっちゃんがゴール。

バカみたいに坂しかないコースなのに、終わったあとはみな楽しそうだ。

あとのおふたりは待たずに、マラソン会場から送迎してくれる「武甲温泉」直行のバスに乗った。

温泉はランナーで混み合っていたので(女性の方はそうでもない)、ぷうちゃんはのんびり入れず不満だった模様。
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帰りもレッドアロー号で、乗換0で池袋まで。(電車での乗換移動の方がタイヘンに感じるので、特急料金はかかるけれど、今回はレッドアロー号を使って正解)

帰りの車内でも起きて指ゲームやしりとりをして過ごしたので、このくらいのお山歩きはそれほど疲れないんだね。わかったぞ。


私が山を登るときの、コース選択に力を貸してくれるのは
『4歳から登れる首都圏の親子山』
必要なときに図書館から借りていたけれど、もう何度も借りてこれは手元にあったほうが便利な本だとわかったので、購入。


本に書かれた予定では高麗駅から出発して日和田山にのぼり、同じ道を通って高麗駅に戻る往復で1時間50分。
ぷうちゃんと私の工程では1時間半。
我々の走力、登山力は、この本に準拠していれば、そうそう大きく時間を読み違えることがないとわかった。

ぷうちゃんが、もっと高い山でも大丈夫と言っているので、岩岩していてよじのぼりながら進む道が多いお山を、この本から探そうっと。

ぷぅ「富士山、登ってみたいなー」

それは、もちょっと先の話かなー。
高尾山が555m、日和田山が305m。
私も、まだ1,200mくらいまでしか登ることができないからなぁ。

でも、いつか。きっと。

by shiho_kato | 2017-10-08 20:47 | むむちゃんとぷうちゃん | Comments(0)