むむちゃんの散歩道

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唯川恵『淳子のてっぺん』

田名部淳子さんに、生前いちどお会いしたことがある。

すごい偉業を成し遂げた方なのに、静かにそっと立っていた。

人を圧することの無いように、最高峰の山を登る圧倒的なオーラもエネルギーも、
そっと仕舞いこまれていた。

最近、年に何度か登山をする。
無言で、ほんとうにこの先頂上に行き着けるのだろうか、という不安を押しやりながら登った山は750m程度の山だったりする。

山に登るって、大変なことなんだな。
2,000m、3,000mの山に、泊りがけで登るってどんなだろう。
恐ろしさと、不安と、退屈と、身を助けるのはこの身しかない心細さと。

登るまでは、42km走るほうが大変だと思っていた。
比じゃなかった。
走るのは右足と左足を交互に出せばいいだけだ。
給水や給食は出してもらえるし、仮に自分で背負っても大した量ではない。
足を痛めて走れなくなったとしても、ちょっとなんとかすればすぐに助けに来てもらえる。

山で、助けを得ることは、ほんとうに大変だ。


『淳子のてっぺん』を、
ぞくぞくしながら読んだ。

どんな環境の中でも安定して健康な心と健康な体を保ち続けることができること。
どんな場面でも次の一歩次の一歩を諦めずに踏み出すことができること。

静かな強さ。
それが山人だ。


唯川恵がこんなふうな小説を書くと思わなかった。
とても良かった。
もっと、こうやって静かに生き抜いた女性たちを取材した小説を書けばいいのに。
架空のありそうな恋愛小説よりも、強く惹きつける力があるのだから。


by shiho_kato | 2017-11-13 16:41 | 読書ノート | Comments(0)

作家LIVE11月「谷川俊太郎さんと俵万智さん 朗読とトークの夕べ」

谷川俊太郎と俵万智の対談なんて、
なんてなんて贅沢な組み合わせ。

それを無料で聴けるなんて。

抽選だったのか、抽選にはならなかったのかわかりませんが、
日曜の夜に朝日ホールへ出かけてきました。


言葉は、意味だけではなくて音である。

これだけデジタルな社会になると、ぐるりとまわって肉声は、貴重で価値のあるものになるのでは。


そのふたっつのメッセージを、ふたりのお話から聞くことのできる1時間。

それぞれに、一冊ずつ、自身の翻訳した絵本を朗読。
俵万智の朗読は、ほんとうにステキだ。

少し低めの落ち着いた声。
あたたかさもやわらかさもありながら媚びない。
景色が、心の様子が浮かぶ。


かつて20年以上前に私に
日本語を、読みながら書きながら音の聞こえてくる言葉であることを教えてくれたのは
谷川俊太郎だ。
音の聞こえてくる言葉を書くことを教えてくれたのは、
谷川俊太郎だ。

そのまま20年を過ぎ、書けるかどうかは断言できないけれど、読みながら音の聞こえてくる文章が好きだ。


かつて30年前に私に
心をよぎるあれこれを真空パックにして永久保存するための言葉を教えてくれたのは
俵万智だ。
「いま」の気持ちを言葉にすることを大切に、、、の思いは、
「いま」の自分を大切に、、、に、スキップして、
私の中に立ち現れる言葉は、私を守ってくれた。
最近ではすっかり怠け者になってしまって、とどめおくことなく流してしまっている。

それだけ、「一生懸命自分を大切に」と思わなくても良くなった証しかもしれず、
それだけ、私よりも大切な者たちをこそ大切に、と転じたのかもしれず、
でも、少し前にゲラゲラ笑って読んだブログの記事などを見ると、
私よりも大切な者たちに、大切なんだよ、と伝えるのは、そのときその瞬間の言葉たちであったことに、いままた気づく。


そんなことをゆっくりと考えることのできる時間を過ごさせてもらった。

時間を止めることができる。
そういうちいさな余裕が、ふたたび私の人生のステージに、とり戻されつつあるんだなー。
生きてみるものだ。


by shiho_kato | 2017-11-12 21:20 | 私ノート | Comments(0)

「1人でもアクティブラーニング!?」 ー図書館総合展1日目ー

「アクティブラーニング」の言葉が闊歩するようになって、「じっくり自ら黙々と深める学び」が軽視されているような気がしている。

図書館はどちらかというと「じっくり自ら黙々と深める学び」に親和性があり、
他者との対話を重視した「聞く話す学び」ができる場としてふさわしいかどうか、、、。
一足飛びに飛びつけないなぁ、と思っていた。

なので、この「ひとりでも」っていうのは知りたくて知りたくてのキーワード。
講師は野末俊比古さん

「主体的」は、self-motivationではなく、self-directive。これはすっと落ちる。
そうか、動機付けの問題ではなく、次は何を調べよう読もうの学びのプロセスを決めて進めていくことが、アクティブラーニング的な「主体的」なのか。腑に落ちた。与えられた課題を自らの動機付けに引き寄せるのはなかなかに難しいことであるから。

「対話的」の定義は「意見を共有する」ことであり、その鍵となるのは現在考えていることを「外化」(会話でもいいし紙に書くのでもいい、自分以外の人に伝えるようにすること)することだ、との説明。ふむふむ。

他者との対話ではなくとも、自己との対話もありというお話でつまづく。自己との対話、つまり「私」の中にあるものを「外化」し、それを受け止めて返すのも「私」であるとするならば、それを対話と呼べるのだろうか。
とてもとても質問してみたかったけれど、講師の先生への質問のタイミングを逃して残念。

この講座では、要所要所でそのテーマについて両隣の人とのおしゃべりタイムがあり、前後6人でのおしゃべりタイムもあった。
体系的にアタマに入れたい時に、「何を話そうどう話そう」で過剰に緊張するのでそのドキドキは、邪魔になるなぁ・・・、と思っていたのだけれど、各学校(主に大学)の取り組みのカケラカケラを聞くことができて、欲張りな私の満腹中枢を満たしてくれた。

予期せぬ刺激や、予期せぬ情報、予期せぬ視点は、たしかにこの「ワーク型」「対話型(自己との対話を現時点では除く)」では得られることを実感した時間でした。


それと、講座を実施しているリアルタイムで、手持ちのスマホから一言コメントを入れることができて、それを見ながらおしゃべりタイムや講師のコメントを得られる体験は面白かった。

このリアルタイム一言は、かるたのクイーン戦をniconico動画で見るときにツイッターがざーざー流れてくるのと仕組み的には同じ(もちょっと整理・管理されているけれど。名前が出ないとか、参加者をその場に居る人に限定できるとか)。いま、大学の講義ではこういうの使う先生もいるのだろうな。私の時にも、60人とかを超える大教室の講義で、こういう仕組みがあったら、もちょっと退屈せずにいられただろうな。と、思った。

by shiho_kato | 2017-11-08 12:46 | 学習ノート | Comments(0)

地毛証明に、地毛黒染めの、ウソ

髪を染めない人の方が、パーマをかけない人の方が、
品行方正で、より仕事ができて、より社会に貢献する意識が高く、
人に支持されすリーダーシップがあり、信頼に足る人間である。

と、おとなを評する人が居たら、その人の視野の偏りに驚き、議論に値しないと一蹴するだろう。
と、子どもを評する人が居ても、賛否両論で世論は二分される。

二分だぜ。
それを支持する人が相当数いることにびっくりだ。

ましてや、もともと茶色で、それをわざわざ黒くせよとは。
黒い頭の生徒であれば、成績優秀に育てることができるのだ。
と、教育者側が思っているのであれば、

入試まで半年を切る10月頃に勤務校に来ていただきたい。
7割近くが東大に進む生徒たちの頭の色は、
ピンク、緑、青、紫、シルバー、色とりどりだ。


彼らの上履きときたら、原色の白色はもちろんのこと、破れ剥げ、原型を留めていないものすらある。

姿が学力といかに関係無いか。
目の当たりにする毎日だ。

外面に侵食されない内面を持ち得ることが、何十年にも渡り日々証明され続けている。

むしろ、「外面に侵食されない内面を持ちうるために」どのような指導がなされているのかを学ぶことが、学力のアップにつながるかもしれないね。


いや、「地毛証明」も「地毛黒染め」も、個々人の学力アップなんて問題になっていないんだ。
問題になっているのは、学校の体面なのか。
なるほどなるほど、おとなの事情のエゴに、生徒をつきあわせているってことか。

by shiho_kato | 2017-11-06 11:58 | 社会&地域&子どもノート | Comments(0)