むむちゃんの散歩道

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静岡一泊、富士山堪能の旅

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静岡に降り立つのは初めて。いつも通過するばかりだったので、どのくらい近いのかも、今回はじめて知りました。

昨日は駿河湾に富士山に夕焼けと、贅沢な絶景を拝みました〓 
あまりに大きすぎて、一瞬それが富士山とわからないくらい!
夜は生桜えびに生しらす、ほっぺたが落ちそうになるとろっとしたマグロ、あおさのお味噌汁。静岡の幸を堪能しました。

今日は天女の羽衣伝説の三保の松原で海辺のひととき。
お昼は再びお鮨で海の幸を満喫しました。


最後に会った時、幼児だったJジュちゃんはすっかり子どもになっていて、ニコニコ笑顔がステキ。2つ上のお姉ちゃんに、むむちゃんは照れながら憧れながら張り合いながら、直ぐにお友達になって、たくさん遊んでもらいました。


自身の生き方を自ら決められる友人は、相変わらず美しく、迷いない佇まいでした。
彼女がガンバりすぎないように、制止するのではなく、彼女より先に先にと動くどこまでもジェントルマンなパートナーさんと、彼女が交わす柔らかい会話が心地よかった。

間もなく遠い国で新たな生活を始める彼女たち一家と、また数年後、元気に会えますように。
次に会ったとき、会わぬ間の人生を、語り合うに足る面白いものにできますように。
そう祈りながら、いつまでも手を振り続けてくれた彼女に背を向けた。

二日間、心尽くしのおもてなしをありがとうございました。
# by shiho_kato | 2008-02-15 17:48 | Comments(0)

大切にすること、大切にされること

大切にすることと、大切にされること

自分が具合が悪い時に安心して仕事を休める
誰かが具合が悪い時に安心して仕事を休ませてあげられる

たとえば、そういうこと。

自分がそうなったときに大切にされたいことであり、
誰かがそうなったときに大切にしてあげようと思えること、
それが「権利」というものなのだと、
突然、思いいたった。

以前、このブログで北村年子さんのことを書いた。

その一連の講座を受けて、
私が学んだのは、そういうことなんだな、と、
突然、思いいたった。

そして、もう一つ、
大切にされたいことは、
自分じゃないと、わからない。

相手がこういうところを大事にしてほしいのかな、
と思うところと、自分がこういうところを大事にしてほしい、というところは
思いがあっても一致しないことがある。

だから、私はこういうところを大事にしてほしいのです、
と、自ら言うことはとても大事。

それは、同じ講座の林大介さんのワークショップで学んだこと。

それを「当事者主権」とよぶということは上野千鶴子さんの本でかつて読んだ。


声高に、とか、ふりかざして、とか、とうとうと、とか、
そういうことではなくて、
それでも静かに
私は働く母親として、
言わなくてはならない時があるのだと、思う。

戦うのではなくて、
言ってみたら、気づいてもらえるかもしれない、という信頼に託して。

私のためでもあり、
同じ境遇にある友のためであり、
あとに続く後輩たちのためであり、
何より、いつか働く母親になるかもしれない娘のために。
# by shiho_kato | 2008-02-14 11:35 | 私ノート | Comments(0)

賢いよりも愚かでも正直

頭の中の言葉、口にしてみたら、
うまく言えなかった。

だから、一緒にいる空間で伝えることが大事だって、
そう思った。


一度口にしたら、
伝えられる言葉がわいてきた。

だから、伝えるべき人に
正々堂々と伝えようと思った。


言葉にしたら、その責任を相応に負っていくという事実から、
本当は逃げていただけなのだと思う。

賢いやり方はほかにあったと思う。

だけど、
賢い自分よりも、
愚かでも正直な自分が好き。


愚かでいさせてくれることに感謝。また、感謝。
# by shiho_kato | 2008-02-13 17:05 | ありがとノート | Comments(0)

ウイルス性胃腸炎

ウイルス性胃腸炎でした。
オムライスのせいにして、ごめんなさい。


つわりを思い出す胸の苦しさ。

とほほ。

はやく、すっきりしたいよう。
# by shiho_kato | 2008-02-12 13:54 | 私ノート | Comments(0)

働くことと育てること 2

間もなく育児休業があける。
そして、私の降格復帰の話し合いがなされている。

私は自分の働いている職場が大好きだし、
それを提案されているみなさんが大好きだし、
そこに込められた労わりの想いも十二分に受け取っている
私の降格は、私の尊敬する人に適正なポストを与えることを企図していて
その人を大事に思うみなさんの気持ちに
負けずとも劣らないくらいその人を尊重したいと思っている。

だから、あれこれ思う気持ちも
私自身の権利に関することもすべて呑み込んでも
構わない、という覚悟をも辞さない。

だけれど、だけれど、
育児休業中のいま、これを受け入れることは、
育児を理由に、これを受け入れることは、
同じ時代を、切りひらいて、静かにたたかって生きている
女性たちを裏切る。
私は一生懸命そこでがんばっている
友人たちと同志であるとは言えなくなる。


そして、社会的な組織である私の職場が、
時代に逆行するそのような人事を、
認めることは、
本当に、大好きな私の職場の品格をある意味では、
うかうかと損ねることになるのではないか。

迷う。


たぶん、復職してからなされる話であるなら、
ちがうのだけれど。

育児休業中の
たとえ保障されていたとしても
元にもどれるのかどうかの
不安とのたたかい。

それは、私自身の能力が追い付くのか、
職場にブランクもある育児の不自由も増えた私を受け入れられるのか、
そのいずれもの不安、葛藤。
そのたたかいのさなかに、
おろします、と言われることは、
戻る場はないと、言われているのと同じくらいのこと。


だから、せめて、これが、
受け入れることになろうとも、
悪しき前例とならないように、
次につながる女性たちに、
同様なことがふりかからないように、
その楔だけは、打たなくてはならない。


戦うのは、いやだな。

ふりかざすのは、いやだな。

声高に、訴えるのは、いやだな。

どうしたら、いいのだろう。


そして、だから、
眠れぬ夜は、まだ続く。
# by shiho_kato | 2008-02-11 23:32 | 私ノート | Comments(0)