11月20日は国連で『子どもの権利条約』が、採択された日です。
採択から、今年で20年。
日本が批准してから、今年で15年。
『子どもの権利条約』には、
たとえば
子どもは、遊んでいい。(子どもは、発達に応じた遊びができるように大人はしなくてはならない)
子どもは休んでいい。(子どもに休養が必要なときには安心して休めるようにしなくてはならない。)
子どもの気持ちや、子どもの考えや、子どもの想いは言っていい。(子どもの気持ちや考えや想いを、大人はちゃんと聞かなくてはらなない。)
というようなことが、書かれています。
今年は採択20周年、批准15周年、ということで、たくさん勉強できる資料をあちこちからいただいて、私も遅ればせながら、勉強する機会が増えました。
子どもの権利条約って、国内法より上位にあるんですって。
日本の法律は、子どもの権利条約に違反しないように作られて、執行されなくてはならないんですって。
子どもの権利条約は、社会が人と人とのつながりの中で生き合える社会づくりを、いちばん弱い立場におかれた子どもから始めよう、という思想が流れているそうです。
子どもに意見を言っていいというと(子どもの権利条約の意見表明権)、わがままを助長して、クラス経営に障りがある、ろくなおとなにならない。
等々、言われますが、大きな理解不足です。
考えていることや、思っていることを言うことは、勇気が要ります。その言ったことに対する、違う見方や、異なる考え方にも、出会うことになる、自分の言ったことをさらに説明することを求められることもある。子どもに意見を聞いて、それを丸呑みしろ、ということではなくて、言ったことに責任を持たせること。
子どもが言ったことを、丸呑みするのは、言わせないことと同じくらい、大人の省エネ(怠慢)です。子どもに意見を聞いたら、今度は大人がその事について、その意見について、説明しなくてはなりません。
そんなやりとりは、子どもが他者と生きていける大人になっていくために、必要なプロセス。そこを省略して、責任を負える、他者を認められる、大人は育ちません。
どれもこれも、子どもたちが育つために必要な、あたり前のことが書かれている条約。
そして、子どもの権利条約を批准した国は国として、すべての子どもひとりひとりに、この条約の存在と内容を伝える義務を持つそうです。
この15年、日本がそこに取り組んできたかというと…。
当時子どもだった私は、大人になって子どもの活動に携わるようになって最近ようやく知ったくらい。
知れば知るほど、ステキな条約。
それを知らせたり、日々の中で実行できているか照らして考える感覚を自らにも、持ちたいな。
そんなことを思う、11月20日です。