白波瀬佐和子著『生き方の不平等』岩波新書2010.5.20発行
なぜ、こうも生きにくいのか?
社会の歪みを俯瞰するのに、いい本でした。
すでに知っていることだけれど、まとめられている点で、新書の役割に沿う本でした。
はっとさせられたのは、2つ。
1つは、「当事者だから見えないこともあるのです」
いまは当事者ではないけれど、社会の諸問題の当事者になる可能性をだれもがもっている、不平等を語るとは、すべての者がもつこの可能性を語ることです。
というくだり。
当事者を誰より尊重すべきだ、と私は信じている。
そこに当事者ではないくせにそれらしく語る驕りがないようにと努めています。ですが、当事者性に、いつそうなるかわからない可能性について感じるアンテナの感度の高さも含め、近くある気持ちを持つことは、驕りと違い、誰もかもが当事者に気持ちを近付けて想像してみようという想像力はもっともっと大事にしたいなぁ、と、思いました。
もう1つは、「一億総中流社会論(が)、同質的であるという前提のもとでの他者理解という構図があり、日本に内在する異質性に人びとが鈍感になる土壌を生んだ」「同質的でないことを前提とした他者理解の土壌はまだ日本社会に成熟していない」
異質性の排除の促進、進行が、一億総中流社会論に端を発すというのは、初めての1つの解です。
残念なのは、副題につけられた「お互いさまの社会に向けて」
お互い様社会、お互い様文化は、私の師の故牟田悌三さんが、提唱し、「おたがいさま宣言」を発表している。
そちらで語られている語り口(書き様)の方が、おたがいさまの語感が際立っている。
落とし方にもう一工夫、必要だったのではないかしら、最後にストンときませんでした。
でも、読むに価する、いい本でした。