むむちゃんの散歩道

mumugi.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

最後の授業「PSW(精神保健福祉士)を色に例えるとしたら」。専門職とは何か。

土曜日は、社事大の精神保健福祉士の講座の最後のスクーリングの日だった。

レポートもすべて出し終え、
昨年受講できなかったスクーリングの再履修で、
本当に最後の最後の日。

すでに来年1月の国家試験の願書提出ははじまっていて、
すでに、卒業見込み証明書はもらっていて、
そんな中での、最後の授業。

かなり早い段階から、途中何度も、挫折しかけて、
やめたくなって、なげやりにもなって、
赤点もとって、レポートの再提出どころか再々提出までして、
あまりたくさん感謝の気持ちを持てずに過ごした日々でした。

勉強大好き、と公言している私にとって、
学びの場での、これは、貴重な珍しい体験になりました。


最後のスクーリングは18名での演習型。
アイスブレークに、先生が問うた。
PSWを色に例えると何色ですか?

青、赤、虹色、黄色、スカイブルー、いろいろ出てくる。
それぞれに違う、ということを、理解する時間。

だけれど、それだけじゃないことに、気づいた。
この講座の受講生には当事者が含まれている。
特にきっとこのグループは。
先生自身が、「ピアサポート」「ピア精神保健福祉士」を奨励しているから。

そして、その時は知らなかったけれど、
その日の終わりのカミングアウトとして知った、「当時者」たちが
授業の冒頭であげた色は・・・・
「肌色」「やさしいピンク」「クリーム色」だった。
そろいも、そろってやわらかい色。

私も適応障害をわずらったり、心療内科のお世話になりながら、
この夏バテと掛け合わせての、自律神経失調症と、つきあったりする身としては、
半ピアであり、こんなサポートしれくれよ、頼むから、みたいな動機が半分。
支えるために必要な知識とスキルが欲しいという動機が半分で
受講して、試験を受けんとしている。

**********

赤をあげた人は、制度を改革すること、社会を障害者にとって過ごしよくする情熱と理由を述べた人が多かった。
青をあげた人は、サポーターとしての爽やかさをあげた人が多かった。
黄色やオレンジをあげた人は、光で照らすことをあげた人が多かった。

そして、あわい色をあげた人たちは、
そっと寄り添う感じ、相手に合わせられる感じ、と述べた。

当事者が望んでいるのは、それ。


赤と、黄色と、白と、混ぜると肌色になる。
社会の制度やカルチャーをなんとかしないと変えられないことはある。赤は必要だろう。
あたたかな光が、希望を照らす。黄色は必要だろう。
だけれど、強すぎる思いは、重たい。
強すぎる思いには、同じ強さを持たないと近づけない。
強すぎる思いのある人には、とても弱い気持ちにならないと近づけない。

この二年間学んできて、今日もつくづくと思った。
精神疾患のある人にとってだけの、
構造の改革をデザインし、革命のパッションを抱いてもダメ。
ぜんぜん。

虐待も、そうなのだけれど、グレーゾーンの中で踏ん張ってる人が多いんだもの。
うつが増えているのは、グレーゾーンの中での踏ん張りがきかなくなってる。
自殺が増えているのも、そう。

グレーゾーンは、あまねく社会の環境の在り方の問題で、
それは、ある視点からの、あるポイントからのアプローチで
いじるだけでは、どうにもならない。


定義できないけれど、
発症もしていない、障害ももっていない、
でも、なんだか疲れて、なんだかいつもがんばって、なんだかいつもあやうくて、
なんだかいつもふんばらなくっちゃやってられなくて、
そんな「フツー」の人にとって、
楽に、楽しく、生きられる環境ができあがれば、きっと、それは、
今、障害や病気や、その手前などでしんどい人たちにとっても、
プレッシャーとストレッサーの少ない、病気が重くなりすぎず、障害が重たくのしかかりすぎない環境。

資格はとりたいな、と思う。
取ろうという情熱で、ほかの人たちに圧倒的に負けているので、
先生には、「それじゃダメ、絶対取る」と思わなくちゃ、と言われた。
そうかもしれない。

でも、資格はとっても、使いたくないな、とも思う。

人としての在り方の資質の中に織り込めたら、それでいい、と思う。
学校図書館の司書として、子どもたちの母として、
保育園の親の一人として、学校のPTAの一人として、
友だちの一人として、隣人の一人として、
そのままの私の中に、蓄えられるものであればいいと、思う。


いつか、専門職として、働き始めたら、「そんな甘いこと」、って、
もし思うのであれば、今だから、言えることと思って、
書き記しておこう。


あ、でも、今専門職として、司書の仕事をしはじめても、思わないな。
一人の人として、目の前の生徒たち、先生たちが、
今何を欲しているのか、心をこらしてキャッチする。
そっと見守る。
居心地の良い場所にする。
ほんのひとときの、とまりぎとして、踊り場として、そっと休める場であり
休みながら、これからの力を、胸に頭に蓄える場になればいい。それぞれの方法で。

専門職かどうかとか、関係なく、
私らしく、学校図書館という場をつくり、
私らしく、本を眺め、本を選び、本を並べている。

人は職業人である前に、人なんだ。
by shiho_kato | 2012-09-24 17:45 | 読書ノート