直木賞受賞作の朝井リョウの『何者』(新潮社)を読んだ。
あぁ、10年前だったら、めっちゃ共感してはまっているかもしれない。
と思ったのでした。
その前に、
古市憲寿と加藤嘉一の『頼れない国でどう生きようか』(PHP新書)と、
『日本の難題を片付けよう』(光文社新書)を読んだ。
がんばって読みぬいてみて、あぁ、なんだろうこの別世界の人、感は・・・。
と、少し疲れた。
ジェネレーションギャップってあるんだなぁ。
こんなに顕著にばっちりと、感じちゃうものなんだなぁ。
あぁ、そんなことを考えていた時もあったよね。
あぁ、そんなこと言えちゃった時期もあったよね。
あぁ、そのときだから書いてしまえたこともあったよね。
みたいな、そんな感じでした。
困ったなぁ、
新たな社会を論じたり社会に受け入れられる
これらの若い人たちの作品たちを、
私自身の「過去にそんなこと考えたよね」みたいな記憶のように、
受けとめなくてはならなくなっていくのだろうか、今後ますます。
年齢にはあがなえないものがある。
年を重ねる部分では、経験とか、懐の深さとか、熟慮とか、知恵とか。
若さという部分では、思い切りの良さとか。
だから、きっと年長の人を、頭が固いというのも違っているし
若い人を、思慮が浅いというのも違っている。
38歳から見た20代はいつの時代も青く見え、
38歳から見た60代はいつの時代も立派にも見えうとましくもどかしくも見えるんだ。
若い人に対して、生活経験の足りなさからくる社会を論じる視点や思考や言葉の軽さに
ジェネレーションギャップを感じ、
「今の若いものは」とは、言わないようにしよう。
年長の人に対して、自身の経験にがっつり裏付けされてしまった頑ななそれに、
ジェネレーションギャップを感じ、
「年寄りはこれだから」とは、言わないようにしよう。
だって、それはライフステージの問題で、
今の若者や高齢の人の問題ではないんだもの。
そして、自由に素直に、今の自分に合うものをチョイスすればいい。
そして、も少し背伸びができそうなら、時代も越えて、あぁ、やっぱりこれはいい、
と思えるものを、底の底の方にたくわえらえるようにしよう。