安保法案の廃案と、強行採決がせめぎ合っている。
昨晩の強行採決は流れたけれど、今日以降、どうなるのだろう。
今日までの安保法案に関する論争は、
あらたまって振り返って整理するほどのこともないくらい、すっきりした論点でまわっている。
・憲法の専門家、外交の専門家の「この法案は憲法違反である」「安全より危険を招く」の声に耳を貸さない。
・世論の反対、というよりも、不信や不安に対して答えたり説明することがない。
法案の中身ではなく、「採決すること」ばかりが先走っている。
あからさまにそのような推し進め方をする安倍首相をはじめとする議員たちを恥じる。
おとなが、形を作ることだけを急ぎ、内容を疎かにする姿勢を恥じる。
私たちは選挙で、この法案を提案するような人たちを選んでしまった。
その愚は、何をどうしたって私たちが背負う荷だ。
しかし誤りに気づいた時に、誤りをできるかぎり早く修正することが、
傷を浅くするための方法だ。
ここで立ち止まれない政府。
ここで言葉でやりとりをして、理解を促すための話しあいの姿勢を取れない集団が
私たちの国を、政府という名の役でもって牛耳っている。
それを恐ろしく思う気持ちを、しっかりと記憶に焼き付けなくては。
他国との争いが生じた際に、
言葉を尽くして話しあうことができない政府が、
立ち止まれない政府が、ここに居る。
そのことを忘れない。
私たちは知っている。子どもたちは知っている。
他者と喧嘩した際に手を出したら負けであることを。
手を出すことなく言葉で解決し、解決に至らずとも、「うまく」交わすことができるのが、
ベターなふるまいであることを。
ベターなふるまいをおのずとできる国であらなくてはならない。
この法案のおかげで、
そのように振舞える国であり続けるために
拳を振り上げ、一方的に議論を閉ざす為政者に権力を握らせない覚悟がよりいっそう必要になった。
この安保法案の廃案がかなった先に、
この安保法案を提案するような愚かしい人々を選ばない決意を忘れない。