翌日からの移動教室の準備に切羽詰るむむちゃんを残し、
ちょろちょろっと気分転換、池上本門寺の「100万人のキャンドルナイト」に出かけてきた。
今日の目的は、キャンドルライトそのものではなく屋外の一角で公演する山の手事情社の「幸福の王子」。
それに出演する、8歳下の
チカちゃん。彼女は30代はじめに転身をはかった。
前職の職場に社会人経験を踏んでから転職してきて、働きながら小学校教諭の免許を取った。
自らをどのように生きさせよう(活かそうではなく、どう自分の人生を生きられるだろうか)と模索する姿を、一緒に仕事をしながら見守ってきた。
けして押し出しの強い人ではなくて、優しくて、受けとめきれなさに正直で、自らの答えは内に持っていてもギリギリまで一緒に揺れ続け、最後は必ず自省するところに戻る。いい受けとめ手だなぁ、と思う。
その彼女が、私が前職をやめた数年後に、劇団員になるために劇団研修生になった。
それで生活していけるの?と、いの一番に訊きたくなるのだけれど、そういう問題ではないのだろう。
「劇団で演じることに一生懸命になる日々を送ってみたい」を通過しなければ、次に進むことができないんだ。
研修生を終えて正規の劇団員になったそう。
どれだけ「ガラスの仮面」を読み、映画にドラマに観入っても、生の演劇の善し悪しは私にはわからない。
今日は「幸福の王子」の王子役。
以前研修生時代に出演していた様子と、今日の公演とを観て、
チカちゃんは、役の中では、演じる中では自分を開放できるのだな、と感じた。
それならば、いいではないか。
公演後に「チカちゃんはどこに行こうとしているのかしら。」と問うてみた。
「私にもわからないんです。」困ったように答える。
「でも、子どもたちと一緒に劇をつくったりできたらいいな、とは思います。」
むむちゃんとぷぅちゃんが学校から持ち帰ってきたお手紙の中に、
山の手事情社の「
演劇と教育現場の接点についての勉強会」のチラシが混じっていて、
チカちゃん、こんなことをやっているんだなーと思ったことを思い出した。
会話を重ねれば、どんどん積もる話になっていきそうで、長い立ち話を切り上げて、またねと手を振った。
自分を誤魔化さずにチャレンジできるひとは少ない。
生きていくための条件(生活の環境)が許すことや
自分が何をしたいのかをまっすぐ見つけることのふたつが、
ちょうど同じタイミングで合うことが難しいから。
30代、いい年齢だ。
そこに足を踏み入れた人の清々しさを、初夏の風と共に感じる夜。
迷い迷いしているのだろう、苦しく思うこともあるだろう、先の不安に苛まれることもあるだろう。
それでも、「いま、これ」を選んだ潔さを応援したいと思わせてくれる清々しさだった。
むむちゃんからのメッセージ。
「レジャーシートがない」
今日三回目の移動教室のための買い物。
あーぁ、もうこれが最後でありますように。
額に汗して自転車を漕ぐ。
むむちゃんがいつか、チカちゃんになる日がくるのだろうか。
ハラハラしながらも、腹を据えて支えられる程度のおとなになっていたいものだと思う。