むむちゃんの散歩道

mumugi.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

第66回全国かるた競技東京白妙大会(D)

今週はむむちゃんの大会。
今年3度目になる東京武道館。

むむちゃんが、小学3年生の2月に初めて生でかるたの大会を見たのが、この白妙大会のA~C級の大会だった。
あれから3年半。
級は異なるけれど、自身がその舞台にあがる資格を得て、ここに居る。
当たり前の毎日を過ごして来ただけなのに、あの頃の私たちは時を経てここにこうしていることを想像すらできなかった。
なんだか、とてつもない奇跡のかけらを舐めているような気持ちになる。

会場のスタッフにまりぃが居た。
3年半前もこの大会でスタッフをしているまりぃと久々に再会したんだ。
そんなことを考えていたから「応援してるね、がんばって」の声をかけてもらい、センチメンタルに嬉しい。

第66回全国かるた競技東京白妙大会(D)_d0134102_17333816.jpeg

1回戦目は練習を一緒にしている他会の方。
札ならべや、互いの特性をよくよく知ったIさん。
試合で緊張することはあまり無いらしいむむちゃんだけれど、それでもまだ動きはじめの硬い初戦で、リラックスして取れるのはきっとプラス。
もちろんIさんにもプラスだろうな。

この大会の審判長がいる大会は、会場全体の緊張感が2割増になる。
進行中、「ルール」「マナー」きっぱりとはっきりとダメだしが多数出るから。
競技かるたは畳の上のスポーツと言われるけれど、他のスポーツをいくつか(卓球とかバドミントンとかマラソンとか…)やってきた身としては、共通ルールの理解に明確さが欠けているような気がする。と、常々思っている。他の道ものをいくつか(茶道と書道)やってきた身としては、マナーの徹底が甘い気がする。

スポーツと比べると第三者のジャッジが入らなかったり、道ものとの比べると歴史が浅かったりするためだろうか。
そもそもの競技人口が少なかったから相互の理解でできていたことが、わっと増えてしまったために行き届かなくなったためだろうか。

この審判長のおかげで、きっぱりはっきりと明確に学べたルールやマナーが多々ある。
プレーヤーだったらもしかすると圧倒的な緊張感に萎縮してしまうかもしれないけれど、応援する者としてその場に居て、これはそうだったのか、こういうことも違っているのか、これはダメだったのか、これも気をつけなくてはならないのか、等々、メモでいっぱいになっていく。できれば個別のジャッジについても応援席までどう判断するのか聞こえたらいいのにな、と思うくらいだ。

・服装のこと(パーカーの紐が前に垂れない、髪が前に垂れない、背中やお尻は出さない、膝は出さない)
・互譲の精神(譲り合えることを重視。やたらともめない)
・応援者の姿勢(足を投げ出さない、体育座り、あぐらはダメ)
そして、当たり前だけれど、自身の札を自ら取りに行く、見えるようにしっかりと手をあげる、読みは決して止めない(読手の尊重)、どうしてもという場合には読みの後に処理する、等々。

当たり前のことを、この試合会場でマイクを用いてがんがん注意しなくてはならないことは、審判長にもストレスだろう。
今回はD級の大会だったので「D級まであがってきた選手にあるまじき!」の怒りが会場を圧倒していた。

中でも、今回際立ったのは、「もめ」
ちはやふるで、もめの田丸を登場させているけれど、あれはよろしくなかったのではないか、と個人的には思っている。
私は「もめ」が嫌いだ。

勘違いに対する取りの主張はあるけれど、勘違いが起こるのはひとつの試合の中で数枚だ。
ルールをよくよく知らないがためにお手つきやら何やらで札送りの説明を要することは、下の階級ではある。
自分の取りを言葉で主張しなくては「取り」にならないかるたは、ダメだし、
取れてない札をパフォーマンスで取りにしようとしたり、ほんとうに私の取りではないのか?と相手に確認したくなる時点で、負けを認めるべきだ。

再三再四に渡って、審判長から不要に「もめ」るな、の注意がなされたにも関わらず、プレイの姿勢が変わらなかったのは、指導の問題にあるのだと思う。
会場のアナウンスでも、会や保護者が「もめ勝て」と指導するようなケースがあることが紹介され、非難された。
やだな、そんなスポーツマンシップにかける選手を育てる会は。

日本国語大辞典によると「もめる」とは「摩擦が生じる。争いが起こる。ごたごたする。紛糾する。」の意。
かるたの試合中の主張と説明を、どうして「もめる」なんて言葉にしたんだろう。
言葉に引っ張られて、言い争ってごたごたしちゃうのは当然だ。

第66回全国かるた競技東京白妙大会(D)_d0134102_17341637.jpeg
「もめるな」を徹底しようとするこの会場において、二回戦目のむむちゃんの相手は、不幸にも「もめがるた」の選手だった。
一枚一枚、何をか尋ね、何をか主張する。
相手からのプレッシャーだけではなく会場全体のプレッシャーも感じざるを得ない。
応援席から見ていても、いったいどこに主張の要素があるのかわからず、何を主張し何を尋ねているのか、これもかまたか、と見ていてもゲンナリする。
かるたは基本的に静かに、言葉を発することなく進む競技なのに。
このやりとりを毎回繰り返されては、相当に精神を削られる。
勝負はシーソーゲーム。枚数差がつかないままに進んでいく。
終盤戦、むむちゃんは無言を通して勝ちに行った。
主張に主張を重ねる相手に、説明以上のもので応戦することなく、何もケチのつけようがないより早い取りをすることに徹して勝ちに行った。
3枚差の勝利。伸ばしていない爪さえもくい込むくらい強く握り締めていた手を、ようやくほどいた。


その心の強さに驚く。驚くと同時に、ほんとうにほんとうに尊敬する。
もはやかるたで、その場に座って落ち着いて戦いを続ける自分を想像することができない。
かっとなってクレーム合戦になるか、勝負を放棄してはやく終わってしまえと祈るか、どちらかだ。
そのどちらでもなく、イラっとしながらも、削られながらも、自分の良い取りを追求し続けたむむちゃんの姿勢に感服だ。


仮に重ねて想像できるとしたら、フルマラソンの35km過ぎ。
もうここまで来たから少し落とさせて。もうここまで来たらいいよ。きついよ、緩めよう。
そういう誘惑に負けないで、あと少し、もう少し、がんばれ私、ここまで来た自分のためにもがんばれ、ここで負けるな。あと数十分じゃないか。
先の見えない人生に比べたら、いつ抜けるかわからないトンネルの中にいた日々に比べたら、ゴールは見えてる。30分後には片がつくんだ。
言い聞かせて、走り抜けるラスト7kmに似ている。


むむちゃんが、これまでの人生のしんどさとその戦いの1時間あまりを重ねたとは思えないけれど。
もし彼女の生きてきた道が、この芯の強さの土台を作っているのであれば、苦労ばかりさせてしまった不出来な親としてはちっとは慰められるやなぁ、、、。と、自分に都合よく思ってみたり。



3回戦目は5枚差で敗れた。
ぼんやりしていたり、暗記が抜けていたり、うっかりなミスが目立って惜しいな、という気持ちになるけれど、それ以上に、あれだけの闘いの後で、よく踏みとどまれたと思う。

第66回全国かるた競技東京白妙大会(D)_d0134102_17375893.jpeg

あらためて、むむちゃんは私のあこがれのかるたプレーヤー。
もう何をどうしても届く気がしないけれど。





*大会備忘録*

【日  時】  平成28年9月18日(日)  午前9時30分〆切
【会  場】  東京武道館 第一武道場(東京都足立区綾瀬3-20-1)
         (アクセス:東京メトロ千代田線 綾瀬駅より徒歩5分)
【競技方法】  競技規程、競技会規程に則ったトーナメント方式
【入  賞】  参加人数によって分割の上、上位4名
【会  費】  D級 1800円
【審 判 長】  新川 三紀子 公認審判員
【読  唱】  五味 朋子専任読手、井熊 昭子A級公認読手、神保 貴史A級公認読手
【申込〆切】  平成28年8月31日(水)厳守
主 催  白   妙   会  会 長  篠  大 介
公 認  一般社団法人全日本かるた協会

by shiho_kato | 2016-09-18 18:48 | マラソン、かるたノート