むむちゃんの散歩道

mumugi.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

図書館考 ー図書館本3冊を読んで考える『アウシュビッツの図書係』『ホスピタル図書館』『刑務所図書館の人びと』

文学ってなんぞや?

文学部への進学を決めたときの私の「問」

生きる力を支えてくれる、励ましてくれる「文学」の持つ「力」ってなんなの?
その答えを知りたくて文学部に進学したけれど、エライ先生方も誰ひとりとして答えてはくれなかった。


本ってなんなんだろう?
図書館ってなんなんだろう?


「それらの「答え」を探し続けるのが、私の人生のテーマだ。」
みたいな、つまらない答えは要らない。

ので、問うことをやめて、本に触れる人を観察したり、図書館を訪れたり、図書館に関わる人を観察しながら、あの人にとってはこう、その人にとってはこう、ふむふむ、に方針転換。



三萩せんや『ホスピタル図書館』
病院の院内図書室を引き継ぐ形で建てられた私設図書館。
図書館に来た人が、本を読んだ人が、なぜか治癒されていく、というお話。
主人公の女の子が、元気のいい柔道部出身の女の子で、「重版出来」か?と黒木華を浮かべながら読みすすめてしまった。

エピソードが、もっと具体的に深ければいいのにな。
用いられている本とか作者とか、さらりと表面をなぞっただけで、物足りなくって説得力に欠ける。
コンセプトはいいんだけどなぁ。

著者が司書をしながら執筆をしているとか。
であれば尚の事、使いようのあるタイトルの本もエピソードもたくさん持っているはず。


アントニオ G イトゥルベ『アウシュビッツの図書係』
アウシュビッツの収容所において、文字を読むことも書く事も禁じられている。
活字への渇望。命がけでわずか8冊の本を守る14歳のディタの物語。

実在のモデルが居るという。
あぁ、生死の狭間に置かれて、生きる光を与え、力強く生き延びるエネルギーを与えてくれる本の存在。
本なのか、言葉なのか、文字なのか、書かれた物語なのか、その正体はこれって決められないけれど、
それが混在して「本」の体裁に帰結し、こうして長きに渡って手渡され、読み継がれてきた。

胸に抱きしめる紙の厚み、それそのものが
生きてゆくための力にも、安らぎにも、知恵にも、なる。

最近は、電子書籍にも興味津々だ。興味津々ながら、paperからなる本の力強さは、デジタルでは出せないことを感じながら、この小説を読んで確信した。書かれている中身だけが、生きてゆく力を励ましているわけではない。


『刑務所図書館の人びと』
小説としては面白みがない。文章が冗長すぎて読みにくいのが残念だ。
でも、こういうところに図書館の需要が、こういうところに本との運命的な出会いがあるんだということに気づかせてくれる1冊。
刑務所の中の図書館ではなく、ちまたにある図書館と、もっとはやく出会えていたら・・・。
そう思わずにはいられない。

**********

民主的な市民が構成する民主的な社会が育つために、ひとりひとりが自らの考えをあるまとまりとして自認し、それを他者の意見と合わせたり、戦わせたりしていくときに、「自らの考えをあるまとまり」にするのを助けるものが必要だ。
大きなところを、テレビやネットなどが身近なメディアとして助けている。
あぶくのようにあらわれては消えてゆく頼りがいのない情報が、比較的多いのが、それらの心許なさ。

あらわれて消えてもいいのだけれど、もう少し腰を落ち着けて考えたい場として、図書館が有効なんだ。
圧倒的な居並ぶ本たちが、心をなだめてくれる。
その中から、呼びかけてくるいくつかを手に取って、目次を見るだけでも得られるメッセージがある。

メディアリテラシーの第一の「クリティカルな(批判的な)思考」は大事なのだけれど、
同等に「共感」によって自らの考えや意思を明らかにするプロセスも大事だと、私は思っている。

批判にはねじれが伴うことがよくある。
自らが傷ついたり悲しんだり怒りを覚えたりすることによって、「批判的態度」を形成してしまうことがある。

悲しさを抱えていることを、怒りを抱えていることを、痛みを抱えていることを、自ら知った上でのほうが、
ねじれに飲まれぬ「意思」や「考え」をまとめやすいことがある。

そして、「共感」の罠=自らに都合の良い「快」ばかり集めずに踏みとどまれるチカラもまた必要だ。


そう言った読む力を育てるための教育は、どこで行われるのだろう。
そう言った力を育てるための「教育」である、と、言い切れない「学校教育」では困るのだ。

by shiho_kato | 2016-09-13 18:05 | 読書ノート | Comments(0)