むむちゃんの散歩道

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佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』

中学生・高校生の頃、夜9時からと土曜の夕方のFMラジオの番組が好きだった。
ユーミンとか、斉藤由貴とか、永井真理子とか。

深夜のラジオは私は聞いたことがなかったけれど、三宅ユージで盛り上がっていた。
大学に入ると、さだまさしのAMラジオを聴いている人たちと(これも私は聴いたことがないけれど)、その常連さん(番組に毎週毎週投稿するレギュラー視聴者?)とが、リアルに出会っておぉ~っと盛り上がる場面なんかに出くわすこともあったりした。
当時はまだポケベルとかメールとか、世間的にも導入初期で電話世代だったので、長電話が多かったのもこの時期。

10代~20代前半って、音オンリーではあるけれどリアルに声が聞こえるメディアとの親和性が高いんだなぁ・・・と思ったものです。

ラジオは(電話も)、もう古いメディアなのかなって思っていたけれど、
これを読んで、変わらず生きていることを知った。
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かつてと異なるのは、ナマ声を届けるラジオ、そこに届くハガキ(「ハガキ職人」という響きも懐かしい)に加えて、SNSを介した同志と出会う可能性が広がったこと。

ツイッターとかフェイスブックとかブログとか、半信半疑ながら使っている。
実際にその人を知っている、出会っている場合のより知り合うための付加価値を運んでくれる用途にはいい。
知らない人だけれど、長くウォッチングし続けて、実際に会うときには「はじめまして」と言うのもそらぞらしいくらい、互いの価値観や考え方なんかを知り合えているような場合にも、いい。

私にとって、SNSは既に知り合っている人とのおしゃべり以外に、「いずれ会う人」「いつか会う人」との準備体操みたいなところがあると思っている。


ラジオで読まれるハガキやメール(コメント)を通して、いつの間にかよく知り合っちゃっていて、思いがけず出会ってしまった後に生まれる物語を、おずおずとあったかく描けるのは佐藤多佳子の「らしさ」だと思う。

ラジオの上で雄弁だからって、その人が雄弁かどうかは、わからなくって
その人が雄弁ではないけれど、ラジオの上ではとても雄弁であったりして、
そこにギャップがあることを、それぞれに受け止めることができるヒトとして描かれているのがいい。



そして、つい最近の『コンビニ人間』と同様に、舞台はコンビニ。
そこに観察したくなる何かがあるってことなんだろう。
そこにだから生まれる物語があるってことなんだろう。


by shiho_kato | 2016-11-16 09:14 | 読書ノート