いい本です。
良かったのは、「受けとめる側の視点」が貫かれていたところ。
毎回のゼミに、障害者の方々が来て、そのお話を聞く。
このたぐいの本は大概、そのお話された内容をポンポンと置いて、そこに感想めいたことを添える。
でも、この本は違った。
ゼミの担当教員である野澤さんが聞いた内容に自身の感想を添えてちょろりと書き、
メインはそのお話を聞いた学生の感想。
どうしてこのゼミを受講しようと思ったのか、障害をどう捉えていて、いざその人を目の前にして話を聞くに連れて何が揺さぶられたのかを、ひとりひとり丁寧に言語化していく。
障害を持たれた方をあちら側とし、それを受けとめる側をこちら側とするならば、徹底してこちら側視点から書かれているところに、ウソの無さがある。
偏見もあり、頭でっかちな理解もあり、敬遠もあり。
そこから始まる。
共通していたのは、ワードでしかなかった「障害者」が、「顔を持つ」ようになったこと。
顔を持つようになったとたん、あちら側とこちら側ではなく、地続きの私たちになっていくこと。
「福祉社会の実現を」みたいなキレイごととして終わらせない、ただただ出会いのためのゼミであったからこそ、ウソくささが限りなく小さくすることができたのだろう。
この本における「東大生」としての価値は、言語化できる能力がおそらくは他よりもほんのちょっぴり高いかもしれない、という程度だ。
むしろ、隠したいコンプレックスと、そこに留まり続けるための必死さと、高みに身を置かなくてはならない追い詰められ感との闘いが率直に語られていて、それもとても良かった。
それこそ、「東大生」が「顔を持つ」ようになった。
本筋とは関係ないのですが、私がハッとしたのは、
障害者福祉サービスの利用計画で最も用いられるキーワードは「安定」と「継続」だそうだ。
たしかに、精神保健福祉士の勉強をしたときにも暮らしの安定の持続や、実習に行った時も安定して過ごせることを第一にっていう空気が蔓延していたように覚えている。(そしてそれは妙に息苦しかった)
野澤さんは言う。
「若いころは「挑戦」や「冒険」「飛躍」をもっと求めてもいいのではないか。(略)冒険や逸脱を家族や支援者が敬遠するのは自分たちにのしかかる負担の重さからである」(p111)
「冒険し逸脱する生身の人間として」障害のある人たちをしっかと捉えたことが、私にあっただろうか。
ガツンとやられた。
あぁ、これだ。
私が、実習に行っている間、息苦しかったのは、息を殺してそろりそろりと一日を過ごすことに細心の注意を払っていたからだ。その一日が、何年も何年も続くようにと、場を作っていたからだ。
世界を広げてくれてありがとうの一冊。