むむちゃんの散歩道

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望月衣朔子『新聞記者』

報道はダメだな。
と、思うことが増えた。


情報を自分自身であれこれをつなぎ合わせて解釈する力をしっかりと持てないと、ダメ。
テレビのニュースも、新聞も、あくまで情報を得るための箱でしかない。

メディアは、深めることも、掘り下げることも、無い。
論説は刹那的で、その解釈は、不安定な揺らぎゆえに当てにならない。

森本学園のこととか、加計学園のこととか、
ほんとだったら、しっかり決着を導き出すまで追い込める報道機関でなければ。
そうじゃなければ、権力を民間側から監視する役割を担えないじゃないか。って思うんだ。


あやふやな情報や、それまずいだろう政権決定をする時に別の情報をかぶせて消え去らせてしまったり。

メディアと権力が結託していると、ロクなことがないってことを、
この1、2年、ものすごく学んでいる。

市民サイドの発信も、その思考のありどころを把握するのには、一定期間、定点観察する必要がある。
信頼できる人だと思っていても、時にあれっと考え方が変化する人も居る。

フィルターをかけるところから自分でしなくてはならない時代。
大きなメディアだけでなく、小さなメディアにも、私たちは直接触れる機会が与えられている。
自由度は増したのかもしれない。
その一方、チャンネルが多いことにもたれて、発信する側が自らに課す厳しさを緩めているようにも思える。

もし情報に振り回されたとしたら、
受けとめる側が、悪いんだ。自己責任だ。って言われちゃいそうな気がする。

納豆がいいと聞けば納豆を買い、もやしがいいと聞けばもやしを買うのは、
即、情報を鵜呑みに右往左往する視聴者が悪いんだよね、って、発信する側も町の人々も、ちょっとエライ人たちも思っているんじゃないのかな。


そんなことを思いながら読んだ。
望月さんの、個人として気になってしまったことを、記者として真摯に追いかけようとする姿勢は、記者レベルでは立派な方に入るのだろう。

取材で問いきれない、追い込みきれない、伝えきれない、書ききれない、もどかしさや口惜しさも伝わる。
それを超えて行け、と思う。
所属する組織に振り回されずに、組織を振り回して行け、と思う。


by shiho_kato | 2017-12-30 12:37 | 社会&地域&子どもノート