むむちゃんの散歩道

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加納朋子『カーテンコール!』

教育ってなんだろうって、ほぼ毎日考えるわけです。

そういう場所でお仕事をしているうえに、
「学齢期」の子どもたちと暮らしているから。

『カーテンコール!』は、私の中の「教育」とは何かの問いに答えをくれる小説だった。
こんな小説を書いてくれた加納朋子にありがとうを言いたい。
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年度末で閉鎖が決まった女子大。
年度末では卒業できない女子学生たちを集めて、救済のための半年間の補講期間を設ける。

集められた女子学生たちは、LGBT、肥満、摂食障害、起立性調節障害、ナルコレプシー、厳しいしつけに似た虐待等々、ちょっとした訳ありの女の子たち。
「学ぶ」以前の「生きる」問題を抱えている女の子たち。
そして、その「生きる」問題にスポットが当たることなく、ここまで来てしまった女の子たち。

いるよね。きっとたくさん。
どれもこれも、治療まで行けている人はまだ良い病名。
病気や問題としてとらえられず、怠惰な性格、だらしない性格、親の甘さ、親の厳しさ、いずれも個々人の個々の家庭の「性格」や「性質」としてとらえられて終わってしまいがちだ。


生きる問題を越えなければ、学びへは向かえない。


理事長夫妻の手のひらがあたたかい。
飛び立って行けるように、そして何度でも戻ってきてやり直すことができるように。

うわっつらのハリボテではなくて、土台のところをしっかりとしたものにして送り出す。
それが教育機関にたずさわる人のお仕事だ。



私が女子大しか経験していないからだけれど、女子大こそ、その送り出しを意識して学生を見ていくことが必要なのではないかな。

「大学」を卒業したあとに、働くこと、結婚すること、しないこと、子どもを産むこと、産まないこと、育てること、仕事を辞めること、もう一度働き始めること、人生のステージが小刻みに変わる。
そのたびに悩み、そのたびに考え、惑い、行きつ戻りつしながら、人生は紡がれてゆく。

卒業したら、終わり。

ではない。
卒業して社会に出てからの方が、未知の、即生活や生命にかかわる、決断や困難が待っている。

次々訪れ生々しく迫るステージを乗り越えてゆく基礎力を蓄えるのが、学校という場所であってほしいと思う。


この理事長の経営する女子大で働いてみたいなぁ。そんな学校があれば、だけれど。

by shiho_kato | 2018-02-05 21:49 | 読書ノート